クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会

The organization considering and supporting Croatia, Bosnia and Herzegovina
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Interview:イビチャ・オシム監督(ジェフ市原・千葉)

「ボスニアから来た名将に聞く、ボスニアの今と、私たちが進むべき道」

 イビチャ・オシム監督を訪ねて、千葉県姉崎にあるジェフの練習場に行ってきました。オシム監督は、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれ育ち、ユーゴスラビアの民族紛争という抗うことの出来ない力によって翻弄されながらも、ボスニアが生んだ名将としてサッカー界をリードしてきました。
「クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会」の今後の活動への貴重なアドバイスをいただけました。さらに、力強い協力の言葉もいただけました。

■取材場所:ジェフ市原・千葉 姉崎サッカー場 
■日時:2006年4月9日(日)
(通訳は、間瀬秀一さんのお世話になりました)

インタビュー後、大量のサイン攻撃を受けるオシム監督

 グラウンドでは、前日のセレッソ大阪戦に出場した選手達のクール・ダウンが行われていましたが、オシム監督は、練習には参加せずに私たちの取材を受けて下さいました。緊張しながらクラブハウスに入ると、オシム監督がテレビや雑誌ではあまり見た事の無い穏やかな笑顔(失礼!)で私たちを迎えてくれました。
「ボスニアの事を考えてくれている人が日本にいることが、とても嬉しいです。感謝しています。トゥルコビッチ選手が日本のセレッソ大阪にやって来て、それをきっかけにセレッソのサポーター達がボスニアの子供達を助けようと立ち上がってくれたということに、日本で働く一人のボスニア人として嬉しく思います。」
 手を握り合わせて机に置き、前のめりの姿勢で、横に座る通訳の間瀬さんを見つめながら話す、お馴染みの姿。名将・イビチャ・オシムに取材しているんだ!という感慨が急にわき上がって来ました。
「ボスニアには物が足りない恵まれない子どもたちがたくさんいます。それでも、サッカーをしたがっている子供もたくさんいます。ボスニアには多くの宗教団体がありますが、宗教団体というのは、自分たちの仲間しか助けようとしません。しかし、子供達に宗教や、国の歴史は関係ないはずです。そういった境遇の子供たちを助けることは、素晴らしいことです。」
 
 オシム監督自身も、ボスニアの子供たちに物資の寄付を行ったことがあるそうです。しかし、物資の運送方法や、信用出来る受け渡し先を探すのが困難なため、継続して行うことが出来なかったそうです。
「(私たちの活動を紹介するVTRを見ながら)私も、この施設に服やボールを持っていったことがあります。幾つかの施設がVTRに出て来ましたが、見ただけでどの施設なのかわかります。ジェフには、今は使っていないサッカー道具がたくさんあります。私も、その道具をボスニアに送りたいと思っていますが、運送方法や送り先がわからない状態です。ボスニア大使館から送るはずでしたが、大使が代わると、任務の引き継ぎがなされておらず、一からやり直しになってしまったこともありました。残念なことですが、ボスニアには、送った物をくすねてしまう人がいます。だから、しっかりとした受け入れ先を見極めることは非常に重要です。」 

「ボスニアに鞄を贈っても、中に入れる物がない」
「クロアチア、ボスニア=ヘルツェゴビナを考える会」は、2002年から活動して来ました。これまでにボスニアとクロアチアに4回渡航し、述べ740球のサッカーボールを養護施設や孤児院、サッカークラブに寄付してきました。今回、オシム監督を訪ねたのは、クロアチア人やボスニア人は本当に私たちの活動を喜んでくれているのか?ということを尋ねるためでした。
「正直に言って、ボスニアの養護施設にとって最も必要な物は、サッカーボールやユニフォームではありません。寒さを凌ぐ服や毛布といった日用品、子供達が勉強するためのパソコンの方が必要です。以前、ボスニアの小学校の関係者と話す機会がありました。『本当に必要な物はボールや靴ではなく、パソコンなどの技術的に発展したものだ』と彼らも言っていました。やはり、何を欲しがっているのか分かった上で寄付した方が良いと思います。貧しい孤児院と、強豪サッカークラブでは、それぞれ必要なものが違うということもあります。例えば、ジェフのクラブハウスには、私のスポンサーのプーマから届いたたくさんの鞄が段ボールに入ったままになっています。これを送っても良いのですが、ボスニアに鞄を送っても中に入れるものが無い。これが現状です。」
 
 寄付をするサッカーボールやユニフォーム集めへの支援者は、徐々に増え始めています。ミズノ・フットサルプラザからは、フットサル場で出る、持ち主の現れない忘れ物を寄付してくれるという約束を新たに結びました。サッカーボールは必要ないのだろうか?と不安になる私たちの気持ちを察してか、オシム監督は笑顔を浮かべながら付け加えました。
「もちろん、サッカーボールやユニフォームを貰って喜ばない子どもはいません。サッカークラブは、サッカー道具を必要としているでしょう。これからも是非贈ってあげて下さい。しかし、セレッソのユニフォームばかり持っていくのは止めて下さいね。ボスニアの良い選手が全員セレッソに行ってしまいますから(笑)。」

 今、私たちが困っているのは、クロアチアやボスニアへの渡航費用の工面です。物は集まる様になってきましたが、それを運ぶお金が集まらなくなってきています。費用の工面や、安価な運送方法など、何か良い方法はないのでしょうか?
「ボスニアの大使館と相談してみてはどうでしょうか。私の妻の兄弟の娘さんの旦那さんはボスニアの大使です。それに、前の大使は、私の親友です。私から連絡を取って彼らを紹介しましょう。大使と連携をとれば良い方法を教えてもらえるかもしれない。例えば、飛行機で無く、安い船便で送ることが出来るかもしれません。」


「ジェフとセレッソは敵同士だ。しかし、グラウンドの外では手を取り合って連携しなければ実現出来ない」
 セレッソ大阪は、来期から、「クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会」への協力打ち切りを検討している。現在、セレッソにはボスニア人のプレーヤーはいないのだから、協力する必要はないのではないか?というのがセレッソ側の考えです。もし本当にセレッソからの協力が打ち切られた場合、どのような体制でやっていくべきなのか思案しています。
「これからは、セレッソやジェフといったクラブに、無理に絡めて行く必要は無いのではないでしょうか。セレッソにトゥルコビッチというボスニア人選手がやってきて、それを機にサッカーとセレッソを愛する人たちがボスニアについて考えてくれるようになったというきっかけは大変素晴らしいことです。しかし、ボスニア人がプレーしたとか、監督がボスニア人とかは、もはや関係ありません。Jリーグ全体を巻き込んでいくプロジェクトを目指すべきです。Jリーグ全体に働きかければ、すぐに300足くらいの靴は集まるでしょう。ジェフから移籍した村井と茶野に連絡をとってジュビロ磐田に協力を募ることも出来ます。このプロジェクトは、セレッソやジェフといった既存の枠組みを外す事に意義があると思います。『ボスニアを助ける』という目的を大切にして、みんなで一つにまとまって行かなければ実現できません。確かにグラウンドではセレッソとジェフは敵同士ですが、グラウンド外では手を取り合って協力していきましょう。」
 オシム監督は、「クロアチア=ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会」への協力を約束してくれました。これからは、クロアチアやボスニアの現状と、それを助ける為の私たちの活動を、もっと多くの人に広めるにはどうしたら良いか考えることが重要だと仰っていました。
「私は、今、ジェフ千葉の監督をしています。立場上、協力は出来ますが、実際に動く事は出来ません。だから、あなた達の様なクラブと直接関係のない人たちに期待しています。ボスニアにはアイディアはあっても実現させる力が無いことが多いのです。しかし、あなたたち日本人にはアイディアとそれを実現させる力があると思います。その活動の為の協力なら私は惜しみません。私が賛同することで、メディアが注目し易いなら、それを利用したって構いません。これからは、お金よりも、連携の輪を広げていくことが重要です。実際、私自身でやれることはたくさんあります。お金をかけて物を贈ることだって出来ます。しかし、それが重要なのではありません。ボスニアのことに感心を持ってくれる人をどれだけ増やしていく事が出来るのかということが重要なのです。他にも活動している人が探せばいるかもしれません。そういう人達を別の方向に向かわせるのではなく、まとめて行かなければいけない。」
 「この話し合いを、意味の無い、空っぽな物にしたくありません。協力して行きますので一緒に頑張りましょう。連絡を待っています」と言って去って行くオシム監督の後ろ姿は、とても頼もしく感じました。我々が、オシム監督に共感してもらえて本当に良かったと喜んでいると、急にオシム監督が振り返りました。「そうそう、練習中なのに何故オシムはいないんだ?と社長に言われたら、あなた達のせいにしておきますから」。ばっちりオシム語録もいただきました。これからも、オシム監督に力を貸していただき、私達「クロアチア=ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会」にもオシム語録が出来てしまうほど、密接に連携していきたいと思います!

インタビュアー;里見夏生(サッカー・ジャーナリスト)
サッカー文化の「種」を発見し、伝えていくためのプロジェクト「FOOTRACK(フットラック)」にライター、企画/編集として参加。
FOOTRACKでは、プロジェクト第1弾として、2006年ドイツW杯、コスタリカサッカー協会公式カメラマン岸本剛氏(フォート・キシモト所属)による「選手が出ない、W杯写真集」を企画しています。FOOTRACKでは、写真集出版に賛同していただける方の署名を集めています。是非こちらからご署名下さい!
オシム監督 | permalink | comments(6) | trackbacks(1)

この記事に対するコメント

写真集出版、賛同します!!
FOOTRACKのページ、見ることができませんでした。
Flash Playerかなにか、必要なのでしょうか??
やこ | 2006/06/15 11:38 PM
やこさん

http://www.footrack.jp/

はFlash Playerが必要です!

よろしくお願いいたします。
枡田 | 2006/07/05 9:55 PM
始めまして。

昨日、オシム監督の「情熱大陸」を見ました。
感じたのは、サッカー以外の祖国紛争が印象的でした。
その中で悩みながら、生き抜いてきた強さを見てオシム監督の私の知らない一面を知りました。

知識として、紛争があった、、という事は私たちは認識していても、それが自分の中に重大な事として理解する、、と言うことが、平和な国に住んでいると出来ないという自分に反省もしました。

ストイコビッチも空爆を止めてくれ!と訴えていましたよね。

私は、昔千葉の柏に住んでいたので、柏と市原(千葉)を応援していました。
サッカーを通じて、他の国にも支援をしようとする管理人さん達に、成功を心から祈りたいと思います。
だいまつ | 2006/07/24 1:41 PM
はじめまして。
コメントありがとうございます。
私たちは毎年サラエボを訪れてますが、
いまだに彼らの気持ちの奥深くに入ること
に難しさと感じています。
平和な日本で育った人間が
普通に理解するのが難しいのは当然なことです。
環境が違い過ぎることと、あまりにも離れた場所にあるからです。
ただボスニアを知ろうとする気持ちが芽生えただけでも
ほんの少し彼らに近づくことが出来ます。
それが私たちの今につながっています。
だいまつさんが思うその気持ちを大事にしてください。
赤松 | 2006/07/26 12:45 AM
再度のコメントです。

私たちは、島国で、民族の違いと言うものを普段感じて生活すると言うことが、余りに少ないですからね、、。

第一次大戦でのきっかけ等、昔から本当に難しい土地柄の地域であるという事で、歴史も複雑で、事情も各民族の言い分もあり、本当に日本からは理解が難しいですね。

私たちが恵まれているということに感謝しつつ、他にも目を向けることが必要な時代だと、この記事をみて感じました。

後、コメント返していただいた人、赤松さんですか、、。
今後の活動が実りあるものになるように願っております。
だいまつ | 2006/07/27 12:57 PM
こんばんは。
再度のコメントありがとうございます。
現在の僕たち日本人の生活、風習、文化が
かけ離れているので難しいところではあります。
現在の我が日本は恵まれていますが、
第二次世界大戦の戦後処理が上手くいかなければ、
日本は朝鮮半島のように真っ二つになって可能性もあったので、
それを考えると文化の違いはあれども
違う形の悲劇を日本も味わってかもしれません。
赤松 | 2006/07/29 12:33 AM
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今や、サッカーで「名監督」といえば、、おそらくオシム監督とほとんどの人が答える
ジェフ 初タイトルですね | 東方見聞人 | 2006/07/24 1:33 PM