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戦力外通告 パパの延長戦「悔いなし」 西武・元外野手

2008年02月24日12時25分

 西武ライオンズの外野手だった柴田博之(31)は、あえて使い込んで破れたバッティンググラブをはめて左打席に入った。

 昨年11月27日、名古屋市中川区のナゴヤ球場であった12球団合同トライアウト。所属球団に契約を切られた選手たちが、実戦形式で自分の力をアピールする「敗者復活」の入団テストだ。参加者は23人。

 「ふつうに、普段通りに」

 それでも力んでしまい、スライダーをひっかけた打球は一塁手の正面へ。一塁まで半分も走ることなくアウトとなった。ネット裏にいるセ・パ両リーグの編成担当者らの視線を感じながらベンチに戻った。

    ◇

 滋賀県出身で、98年のドラフト4位で西武に入団。01年から上位打線で活躍したが、厳しいレギュラー争いの中、昨季の1軍出場は7試合だけだった。

 10月26日夜、球団から呼び出しの電話を受けた。妻の香織(32)に言った。「たぶんトレード話や。ヤクルトかな、楽天かな」。楽天の本拠地・仙台市出身の妻は「楽天だったらうれしいな」と笑った。

 だが、翌日、聞かされたのは「9年間、ご苦労様」。戦力外通告だった。家族の顔が浮かんだ。香織、小学1年の長男海斗(かいと)(7)、次男の雄矢(ゆうや)(3)。

 何でクビやねん。おれは、家族はどうなるんや――。

 トライアウトのチャンスは5打席。第2打席の投手は、ソフトバンクを戦力外となった倉野信次(33)だった。ユニホームを着る最後の日にしたくない――同じ思いの倉野の球には力があり、ボテボテの三塁ゴロに。

 夢中で走った。西武から米大リーグに移った松井稼頭央(32)と俊足コンビを組んでいた自慢の足。一気に一塁を駆け抜けた。「セーフ!」。スタンドから小さな歓声があがった。

 その頃、香織は埼玉県所沢市の自宅で雄矢をあやしていた。

 戦力外通告を電話で聞かされた直後は思わず涙をこぼした。振り返れば、夫がひじを手術したときも、手首に死球を受けて「痛(いて)え」とうめいていたときも自分は無力だった。「せめて今回は、涙は見せずに励まそう」。そう心に決めていた。

 「お父さんが頑張れるようにお祈りしよっか」

 雄矢は小さな手を合わせて「パパがんばれ」と言った。

 思わずぎゅっと抱きしめた。

    ◇

 第3打席。三遊間に転がせば、足の速さを再びアピールできる――。どんな球でも左方向に打ってやろうと思った。

 海斗は「足の速いパパが好き。ぼくも野球選手になる」と言う。野球選手としての父親をもっと見せたい。まだ野球が分からない雄矢を思うと、その気持ちはさらに強まった。

 しつこく内角を攻められたが、レフト前安打を放った。

 キャンプで2カ月、シーズン中も遠征のたびに家を空ける夫。子育てを一手に担う妻。香織は99年の結婚以来、夫に「しんどかったら言ってくれよ」と促されても、愚痴や意見めいたことは口にしないできた。

 だが、今度は違った。

 2回あるトライアウトのうち、11月7日の1度目では、どの球団からも打診がなかった。同僚から「最初を逃すと契約は難しい」と聞いた柴田は「もう1回受けてもあかんやろ」とこぼした。投げやりに聞こえた。

 「可能性を捨てないで。受けないと絶対に後悔する」

 夫が2度目のトライアウトに向かう朝、手紙を渡した。前夜、家族が寝静まった後、何度も書き直して仕上げた。

 「信じてる。きっと誰(だれ)かが博(ひろ)を見つけ出してくれる」「野球が大好きで大好きでしょうがない博の姿をグラウンドで出し切ってきて。ファイト」

 第4打席もレフト前安打を放った。気分転換にベンチを出ると、裏手の喫煙所で球団関係者数人が談笑していた。目を疑った。「ちゃんと見てんのか」

 最終打席。今度は元巨人の南和彰(26)の球に食らいついた。追い込まれて粘るのが持ち味だ。ファウル、ファウル、またファウル。

 「おれのプレー、見てくれよ。人生賭(か)けてんねんぞ!」

 鋭い打球が、センター前に抜けていった。

 帰宅途中の香織とのメール。

 「5打数4安打でした。いいアピールしたでぇ」「わぁーすごいよ〜良かったねッ」

    ◇

 自宅で球団からの連絡を待った。携帯電話には、息子たちがお守り代わりにつけたウルトラマンやドラゴンボールのストラップ。ずっと画面を見つめ、寝る時も枕元に置いた。

 しかし、期限の1週間をすぎても電話はなかった。

 「悔いはなかった?」

 「ない」

 「9年間、ご苦労様」

 ほほ笑んだ香織に、柴田は「ありがとう」と頭を下げた。

 2月半ばの平日。家族で公園に出かけ、海斗とキャッチボールをした。

 野球を教える仕事を模索しているが、まだ決まっていない。引退の経緯や今の立場について、息子には詳しく話していない。酒が飲める年齢になったら「追い込まれた時にこそ真価を発揮する」という自分の哲学とともに語ろうと思っている。

 「高い球、投げて。高〜いの」

 「よおし、絶対捕れよ」

 白球が青い空に高く高く上がった。=敬称略

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