◇慰霊碑再建し公園整備--平和学ぶ場設ける
フィリピン中部パナイ島の山中で、朽ち果てようとしていた第二次世界大戦中の在留邦人集団自決事件慰霊碑。フィリピンの子供たちの教育支援などを進める日本の非営利組織(NPO)がこのほど、碑に刻まれたプレートを近くのイロイロ市の博物館に移転。慰霊碑を再建し、現地を平和記念公園として整備する計画に乗り出した。大戦中、島では日本軍により多数のフィリピン人が殺害された。関係者は、両国国民にとっての悲劇の地を、両国の子供たちが交流し、平和の大切さを学ぶ場にしたいと夢を広げる。【パナイ島で大澤文護】
「安らかにお眠りください-- イロイロを愛し、戦争で自決された日本人市民のみなさん」。英文でそう刻まれた金属プレートをはめ込んだ慰霊碑を80年に建立したのは、パナイ島に旧日本軍中尉として駐留した熊井敏美さん(90)=東京都在住=ら旧日本軍関係者だった。
71年、集団自決で生き残り、地元フィリピン人に保護されて育った遺児らの希望を受けて調査を開始。自決場所の確認と遺骨収集を実現した。さらに募金活動で資金を集め、高さ1メートル、横1・5メートルの碑を完成させた。
しかし遺児や関係者の高齢化で管理が困難になり、プレートが外れかかったり、周辺の地盤が崩れるなど、慰霊碑は崩壊の危機に直面した。熊井さんは、日本のNPO法人「日本フィリピンボランティア協会」の網代正孝会長(68)に窮状を訴えた。
網代会長はイロイロ市にあるフィリピン大学ビサヤ校のルイサ・マブナイ教授(58)=日比関係専攻=らと慰霊碑の保存策を検討。今年2月に現地を訪ね、まず慰霊のプレートを取り外し、「イロイロ博物館」に移転・展示した。
プレート移転の記念式典に参加した網代会長は、集まった数十人の地元住民や地元高校生に「慰霊碑の近くには(ゲリラ掃討戦を進めた)日本兵により、多くのフィリピン人が殺された現場もある。両国の歴史を語り伝えるため、慰霊碑の修復と同時に、現場を記念公園として整備したい」と語りかけ、施設の管理や運営への協力を求めた。
網代会長は「将来、戦争を含む歴史資料を展示する資料室を作り、両国の学生が歴史を学びあう場を設けたい」と話している。
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■ことば
◇パナイ島集団自決
大戦末期の1945年3月18日、米軍はパナイ島に上陸。駐留する日本軍約2500人は在留邦人と共に内陸部に逃げ込んだ。同21日、イロイロ市北西約30キロの山中に追い詰められた日本人学校の教員や生徒、母親などを含む約50人の民間人は、手投げ弾や銃剣などで集団自決した。生存した子供は地元のフィリピン人に保護され、戦後を生き抜いた。
毎日新聞 2008年3月8日 東京朝刊