◇国の謝罪なく無念
最後の法廷で残留孤児が流したのは悔し涙だった。22日、大阪高裁で原告側が訴えを取り下げた中国残留孤児兵庫訴訟。原告の残留孤児たちは、1審で国の責任が認められて勝訴したものの、国からの謝罪もないまま、不十分な支援策受け入れと引き換えに訴訟を終結せざるを得ない無念さをにじませた。「日本人として、日本社会で尊厳を持って生きられるようになるまで闘い続ける」。孤児らは今後も、国に、謝罪や支援策の充実を求めていくことを誓った。
法廷は孤児やその家族、支援者ら約70人で埋め尽くされた。孤児側の宗藤泰而弁護団長は「原告らが訴訟をしたのは、生まれてから60年以上、自分たちを日本人として認めず、遺棄し続けた国の責任を明確にし、国に謝罪してほしかったから。残念ながら、その目的を達成できなかった」と語った。
また、4月から実施される支援策について「生活保護に準じて運用されるため、わずかばかりの貯金の保有なども許されず、収入認定などによって支援給付が受けられない人が出てくることも予想される」と指摘した。
意見陳述した尼崎市の宮島満子さん(72)は旧満州(現中国東北部)で家族8人を亡くし、養父母の墓が文化大革命で壊されたまま再建できない悔しさを涙声で語った。そして、「家族を、戦争で狂わされた私の一生を、返すことができないというのなら、国がきちんと罪を償って賠償してほしい」と訴えた。
小脳出血などで倒れ、退院したばかりの山田春木さん(65)=宝塚市=も家族に体を支えられながら法廷に立った。狭心症を抱えながらゴルフ場などで働いてきた山田さんは、中国語で、「支援策には政府の謝罪の意味が込められるべきだ。孤児すべてが平等に受けられないのは人権侵害だ」と語った。【樋口岳大】
〔神戸版〕
毎日新聞 2008年2月23日