火の海とは、まさにこの一夜のことだった。
先日、新見市を震撼(しんかん)させた火災は深夜、古い木造建築が密集する市中心部で起きた。十数メートルもの炎が上がり、黒煙と火の粉があっという間に一帯を覆った。
私は偶然、現場から二、三百メートル離れた妻の実家にいた。炎上はそこからもはっきり見え、騒然とした様子が伝わってきた。カメラを手にすぐさま家を飛び出した。
既にいくつもの建物が炎に包まれ、商店街の大通りは大勢の人でごった返しの状態。延焼におびえ、茫然(ぼうぜん)と立ちつくすお年寄り。手で煙を遮り、大声で身内の安否を確認する人。顔をぐしゃぐしゃにし泣き崩れる若者の姿も。「ぼくらのまちが、のうなってしまう」
火勢が増す中、新見支局長と合流し必死で取材した。
かつて新見支局に赴任していた時期がある私は、旧家太池(おおいけ)邸、元料亭の松葉など明治期の風情が残る新見市中心部の風景が好きだ。だがこの近辺、実はこれまでに何度かの火災に見舞われている。最も被害が大きかったのは今からちょうど七十年前、一九三八(昭和十三)年の大火。当時の新聞記事によると、合併前だった旧新見町の三分の一を焼き、焼失民家は三百戸にも及んだという。
目の前で燃え上がる炎に、思わず悲しみや恐怖が込み上げた。被災者だけでなく、多くの市民が心身ともに深く傷ついたことだろう。
一日も早い回復を心から祈りたい。
(文化家庭部・赤井康浩)