June 30, 2004
認識パターン
更新が開きました。
ようするにそのぐらい忙しくて勉強してる暇なんてないけど、息抜きに受験勉強でもしようかな、という趣旨のサイトです。
さて、Blog-goldで紹介していただいてありがとうございました。まあこれは
はじめといて、やめんなよ
という忠告でもありましょう。いやほんとすみません。地獄の6月だったんです。
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さて、前回、私の自己紹介のようなものを書く、と宣言したので、少々。
東京の某私立大学院生・塾講師です。自己紹介終わり。
「なんだ、学歴高いんじゃん、だから『進学は選択の問題だ』なんて言えるんだよ。勉強が苦手な一般人には縁のない話なんだよ……」と思ったかもしれません。しかし声を大にして言いたい。
学歴も選択の問題だ
と。はっきりいって大学受験に素質は関係がありません。努力の量は多少関係がありますが、とにかく才能とかはまったく関係がない。関係があるのは
(1)どの大学を受験するのかを決めていること
(2)どの科目で受験するのかを決めていること
(3)それぞれの科目で出題される問題を知っていること
この3つだけです。
もっとも重要なのは(1)で、これが決まれば、あとは(3)をただ穴埋めしていけばよいだけです。この穴埋めに必要なのは、<時間と作業>です。
ところが(勉強だけしていればいい受験生ではない)われわれ一般人にはこの<時間と作業>がもっとも手に入れにくいものです。
じっさい、わたしには、今年はこの<時間と作業>を入手できる可能性がほとんどありません。だから、たぶんセンター試験で落ちるでしょう。
「大学院生で、塾で講師なんてしているのに、センター試験程度ができないなんて、ありえるの?」という疑問をもたれた方もいらっしゃるかもしれませんが、ありえます。というか、
そういうものです。
センターは楽だけど、東大の本試験は難しい、などということはありません。まったく同じ性質の、「パターン認識」の問題があるだけです。たんに、「東大本試験用のパターン認識」と「センター試験用のパターン認識」の2種類があり、両者を身につける<時間と作業>が必要だというだけです。
大学入試の違いは必要な偏差値の違いではなく、必要なパターン認識の種類の違いである、という事実を、私は自分の大学受験で知りました。偏差値の高い方から順番に合格したからです(受験校のうちもっとも偏差値が低い大学には落ちた)。
ここで著名人の言葉を引用しておきましょう。社会学者宮台真司氏のインタビューからです。
――駿台の公開模試で6回とも成績優秀者ランク表に入ったそうですが、それはスゴイことなんですよね?
宮台 スゴイです。国語では何回か全国一番でしたね。入試も僕にとっては結構、重要な経験です。……内容とかってぜんぜん読まないんです。全部、記号化してパターン認識。一定の処理手順を踏んで着実にクリアーすると答えはこれしかないという、そういうやり方です。文学的思考とかは一切関係ない。あと、数学もそう。当時、思考力とか言ってる人もいましたけど、僕の中学時代の先生は、非常にいい先生だったんですけど、「お前ら、数学で思考するのは10年早い、こんなものは全て暗記とイメージでクリアしろ」と。だから、僕は参考書を一切使ったことがない。全科目問題集を積んで、30秒見て答えがわからなかったら、すぐ答えを見て憶えて、後は一日後、三日後、一週間後と、問題を定期的に見直してどうやって解いたっていうのをイメージトレーニングする。……1日4回のセッションでこなすという感じですね。
――運動選手みたいですね。
宮台 ……当時のZ会は本当に趣味の世界で、「駿台公開模試では一番になれてもZ会では無理」「パターン認識では解けない問題がある」とか赤ペンで書かれて、「なんだこのやろう」と(笑)。じゃあその問題をパターン認識で解いてやろうと。で、後にはZ会でも上位に入るようになって、基本的にパターン認識と型の習熟でほとんどの問題は解けるという自信を深めました。……パターン認識で解けないこともあるって巷で言われることの99.9パーセントはパターン認識で解くことができます。
――だからこそ、残りの0.1パーセントが出てくるんですよね。
宮台 それが言いたいんだよね。論理の問題も同じだけど、論理だけでは割り切れないと言われることのほとんど全ては論理で割り切れる。だから、入試試験が重要だったって言うのは、パターン認識だけで足りるような下らないことに時間がかけられるか、みたいな自意識が非常に強くあったわけです。
このインタビューでもっとも共感できるのが、「パターン認識だけで足りるような下らないことに時間がかけられるか、みたいな自意識が非常に強くあった」という部分ですね。私も浪人時代、そのような自意識が強くあった。CDだって集めなきゃいけないし、服だってそろえなきゃいけないし、セックスだって数をこなさなきゃならない。なんで受験勉強なんて辛気臭いことに貴重な時間を費やす必要があるのかと。
ただし、この宮台インタビューは彼の受験生時代の話です。「1日4セッション」と言っていますが、1セッション1時間かけているわけです。彼は。そんな時間はわれわれ一般人にはありません。せいぜい、1日15〜30分でしょう。「受験」のために使える時間は。週末はガールフレンドのためにまるごと2日身体を開けておかなければならないし。
私の場合、それに加えて秋に色彩検定1級の試験が待っているわけですね(6月の2級試験が受かっていればですが――たぶん受かっていますが)。論文だって書かなきゃならない(今年中に2本投稿して載らないと、博士論文を書く権利がもらえない......_| ̄|○鬱だ)。
というわけで、前口上はこれぐらいにして、実際に何をやるべきなのか、次回、整理してみましょう。
最後に注意ですが、受験生は私の真似をしないように。受験生時代の宮台氏を真似してください。
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この記事へのコメント
努力は関係あっても素質は関係ない、選択の問題だ、ということですが、若干引っかかりました。やっぱり素質はあるかなと。
いくら努力をしてもできないものはできないっていうこと、あると思うんですよね。具体的な例をあげろと言われればそれは受験に関係無いものばかりになる気がしますが、受験に関するものもあるかとかなり軽率ながら思ってみました。
まあ私の場合、努力に関する問題が大いにありますが…
トラックバックが迷惑なら勝手にこちらで消すことができるので心配しないでください。
「いくら努力をしてもできないものはできない」というときに、たいてい「じゃあどういう努力をしているの?」と聞いてみると、はたからみると「努力の仕方が間違っている」場合が多いと思うんですよ。
そして、「努力の仕方」は「選択の問題」であることが多い。つまり、ありうる/あらゆる「選択肢」をすべて考慮に入れたうえで、自分に適した選択肢(努力の仕方)を選択する、という作業をしていない受験生は多い。
これは受験に関しては、99.9パーセントいえるはずなんです。残りの0.1パーセントは、たとえば目の不自由な人が、点字などの試験を用意していない大学を受ける場合とかね。
このばあいでも、大学側に用意させるとか、選択肢は無限に出てくるわけで。
「努力できる素質というものがあるじゃないか」というのはもっともな疑問だし、ぼくも同意するのだけれど、「大学受験ていどに使う努力には、ほとんど素質はいらない」とお答えします。
だってねえ。大学受験産業ってものすごいんですよ。受容があるから、情報量がすごい。東大の過去問とか、本屋に行けば売ってるわけですよ。
過去問5年分ぐらい暗記してしまえばもう100%合格水準に達するわけですから、やっぱりこれは努力よりは<時間と作業>の問題ですよ。
私もうすうす、受験も選択の問題だ、と思っていた節がありましたが、
ここを見てはっきりそのことを理解し、hidex7777の考えに賛同していることをご理解ください。
>ありうる/あらゆる「選択肢」をすべて考慮に入れたうえで、自分に適した選択肢(努力の仕方)を選択する、という作業をしていない受験生は多い。
これは受験生側の情報収集能力の格差(デジタル=デバイド)、メディア=リテラシーの格差、高校教育が単純に受験を既成事実として押し付けるという教育の問題に関連してくると考えられ、一概に大学受験の構造の問題として押し付けるのには難があるように思われますが、ここでこれらを問うのは論点のすり替えなので、やはり大学受験の構造の問題を真摯に突き詰めて欲しいです。
パターン認識で受験が突破できるということにも正直少し引っかかりますが…
というのは予備校(SPS)で英語の機能文法や論理的読解、全教科に共通する大まかな論理的思考を学び、訓練させられた私としては、やはりパターン認識にも論理的思考が前提されていると考えられ、論理的思考がまったくできない超純粋文学人というのも存在すると思うんですよ。論理というのも西欧的思想ですし、それが絶対的思想ではない今日この頃ですから。価値相対主義の名の元に。
以上、非常に浅はかな感想でした。