松下竜一 『底抜けビンボー暮らし』的講演料相場



  松下竜一さんの講演謝礼は、たいてい2万円か3万円だそうです。
  作家生活20周年を迎えて、松下さんはその年(1990年)の収入を自ら足し算してみました。
  まず、5月に出版した児童向けノンフィクション『どろんこサブウ』(講談社)の印税が70万円。定価は1,400円ですから、5,000部発行されたのでしょう。
  20年間で出版した33冊がいつまでも品切れせず、毎年増刷されて印税がどんどん転がり込む、という生活を夢見る松下さんですが、現実には文庫『豆腐屋の四季』と単行本『狼煙を見よ』だけがかろうじて増刷になり、両方をあわせた印税は30万円でした。そのほか、折にふれ雑誌や新聞から注文があって書いた原稿料が20万円くらい。

《こんなふうに今年の収入を予測してみてがっくりとなるのだが、このままゆくと一年の合計が一二〇万円にしかならない。これではやっていけるはずもなく、あとはもう思いがけない収入による上積みを期待するのみである》(『底抜けビンボー暮らし』筑摩書房)

  聞くところによると、この自虐的というか、奥さん自慢の本といいますか、ともかくこの『底抜けビンボー暮らし』が売れて印税がけっこう入ったそうで同慶の至りでございますが、同書には講演料をめぐって次のようなエピソードが記されています。

《ある市の社会教育課の職員二人がわざわざ打ち合わせに来宅し》、先方が講演料を訊いてきた。松下さんは胸中「どうせ相手は大きな都市の自治体から出る金なのだし、ここは思い切って五万円と吹きかけてみようか……」と思うも、「いえ、やっぱりそちらにおまかせします」と言ってしまう。

《口をついて出たのは、やはり気弱な言葉であった。
「そうですか……。では率直に当方の内情をいわせてもらいますと、予算として二五万円しか組んでないんです。こんなところでよろしいでしょうか。
〔中略〕五万円などと口に出していたら、笑いものになるところだった。顔色に動揺が出なかったことを祈るのみである》(同書)

  結局、松下さんは旅費こみで15万円にしてもらう。「これ以上は絶対にいただけません」と言ってしまうのです。あとで中学生の娘さんからは、「呉れるちゅうもんを、どうしてもらわんの。いつもタダの講演にひっぱり出されるちゅうて嘆きよるんやから、もらえるときにもらわんとだめやないの。――おとうさんは、杏子のことかわいくないの?」と迫られ、「もちろん、かわいいさ」と返答すると、「だったら、杏子のことを思ってしっかりかせがんとだめやないの。杏子はクラスでも一番ビンボー人なんよ」と叱られてしまいます。

  私は、取材型作家の労働単価から計算すると講演料は20万円くらいが適正なのではないか、と考えています。詳しくは『情報の「目利き」になる!』に書きました。でも、専門家が集うシンポジウムや、市民運動型講演あるいは小規模な学習会には「出会い」や「取材」ができるなどの長所もあるので、超格安でも構わないと思っています。基本的には需要と供給の問題ではありますが。
  しかし、文筆業者はどれだけ取材費その他がかさんでしまうか、をご存じない方からすると、たとえ講演料3万円だって「時給3万円なんて、いいわねえ」みたいなことになってしまいがちです。

  講演という行為は、いかなる「仕事」なのでしょうか。そして、講演料というのは、いかなるものに対する「対価」なのでしょうか。その「相場」とはいったい――。

  いまはテレビの時代ですから、有名人といえば総じて画面上で頻繁に見かける人たちのことだと言ってもいいほどで、詳しくは『有名講師・講演料500人情報』(日本実業出版社)というエグい本をご参照ください。大学教授の北野大氏は「手取り70万円」を要求しておられます。朝日新聞論説委員の轡田隆史さんは「50〜70万円」だそうです。

  さて明治時代に、有名人といえばそれは文士か政治家のことでした。政治家は有料で弁士に立つことはありません。日本で初めて講演料をもらって登壇したのは、これまた夏目漱石さんでありました。




(「ガッキィファイター」2003年2月4日号に掲載)





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