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あなたに会いたい第4部 新聞記者の原点は人に会うことだ。渦中の人、話題の人、市井の人…。そこには涙があり、笑いがあり、言い得ぬ思いがある。「あなたに会いたい」第四部は、二十代を中心とした本紙の若手記者たちが、今、一番会ってみたい人を訪ねてみることにした。恩師、忘れえぬ取材相手、あこがれのサッカー選手、そして、自分の人生を変えた人…。きょうから新聞週間。読者のみなさんに、等身大の「出会い」を届けたい。('04/10/15

◇この連載をテーマに、西日本新聞社は2007年の創刊130周年に向けたキャンペーンソング「愛〜あなたに会いたい」をつくりました。作詞、作曲はさだまさしさんです。さださんの新アルバム「恋文」に収録され、本紙ホームページでも一部試聴できます
<5>やっぱり優しさじゃろね 故松下竜一さんの妻洋子さん  
宮崎総局・南陽子( '04/10/20 朝刊掲載)
山国川沿いの散歩コースを歩く松下洋子さん =大分県中津市
 その朝、珍しく一度で寝床から跳び起きた。城下町として知られる大分県中津市。老舗旅館の傾いたような窓からは、秋晴れを予感させる日の光が差し込んでいた。
 この町に暮らし、六月に亡くなった作家松下竜一さんの妻洋子さん(56)に、私は会いに来た。しかし、“松下センセのビンボー暮らし”をつづったエッセーには繰り返し「ダンマリ夫婦」「寡黙な細君」とある。どうも洋子さんは少女のように内気な人らしいのだ。
 会ってくれるだろうか。私は手紙を書いた。洋子さんと松下センセは、周防灘に注ぐ山国川を散歩するのが日課であった。センセに代わり「散歩にお付き合いさせていただけませんか」とお願いしたのである。
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 「懐かしいなぁ。カモメも、もう来てるかもしれませんね」
 雲一つない青い空。四匹いる松下家の犬のうち「エンゾー」を連れ、山国川の堤防を歩いた。昨年六月に松下さんが倒れてから、一年四カ月ぶりの散歩だという。
 洋子さんの実家のある小祝島との間に、赤い橋が架かっていた。若き日の松下さんは、この橋を毎日渡って豆腐を配達し、洋子さんと出会った。
 「この水門のところで犬を放して一時間以上おってですね、帰ったらお昼になっていて…」
 センセを思い出して洋子さんが笑った。
 私が押し掛けたのは、気骨ある社会派作家松下竜一が愛し抜いた女性はどんな人だろうか―という素朴な興味である。
 実は、「松下竜一」を読み始めたのは、訃報(ふほう)に接してからだった。九州電力が、国内最大級の照葉樹林が広がる宮崎県綾町で、送電線鉄塔の建設に踏み切った問題を取材するなかで、その名前は聞いていた。二年前、松下さんは町を訪れたことがあったのだ。
 だがどんな人か知らぬまま、松下さんは亡くなった。『砦に拠る』『暗闇の思想を』…、デビュー作『豆腐屋の四季』も読んだ。なかでも最近のエッセーには大笑いした。恋しさのあまり病室から双眼鏡で洋子さんをのぞく話など、とにかくべたぼれ。“反権力の運動家”がかすむのである。

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 「女性のファンが多いで…『でもやっぱりおまえにかなう女はおらん』とか、まぁしょっちゅう言ってましたねぇ」
 アオサギが飛び立ち、川面が輝いた。「いのちき」。日々、懸命に生きることを松下さんはそう表現した。洋子さんと、いのちきして全うした人生。ささやかな暮らしを守ろうとしたゆえに、社会の矛盾や理不尽さがよく見えたのではないか…。
 でも、洋子さんはセンセが運動することをどう思っていたんですか―。
 「言っても聞かん人というのもあったし、だけど、信念持ってやっていることやから、続けてほしいと思ってましたよ」
 松下さんの親友、梶原得三郎さん(66)は「洋子さんは、竜一さんが背中の後ろに隠してきた人」と言う。だが、洋子さんはその背中をしっかり見ていたのだ。
 センセの何を愛していたんですか―。「やっぱり、優しさじゃろね。お父さんは家族思いやったし、人にも優しかったし」
 洋子さんの「宝物」を聴かせてもらった。松下さんの読者が作詞作曲した曲「しろつめ草を踏まぬよう」である。
 チガヤの稲穂 ゆれる土手 犬にひかれる ふたつの影 山国川をわたる風 今日もお前と遊ぶ…強く大きなものたちに 踏まれたいたみ 言葉によせ 物にあふれる浮世まで せめて想いよ とどけ (抜粋) センセの遺影が飾られた書斎に低く伸びやかな歌声が流れる。涙をこらえた洋子さんのほおが美しかった。
(宮崎総局・南陽子)
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 ▽みなみ・ようこ 1978年生まれ。京都府八幡市出身。2001年入社。02年3月から宮崎総局勤務。綾町の鉄塔建設問題を取材するうち、緑鮮やかな宮崎がすっかり気に入り、自然や林業も勉強中。



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