1958年。松本清張の手になる『点と線』の大ヒットをもって、本邦ミステリ文壇の趨勢は一変する。
以降20数年の長きにわたって隆盛を極める、《社会派推理》小説の台頭である。 英米黄金期の謎と論理を、戦前からの通俗娯楽小説の器に移植したそれまでの和製探偵小説に対して、 地に足の着いた生活者視点で極力リアルに犯罪の記録をつづってゆく社会派の作風は、それ自体なんら本 格ミステリ的嗜好と相容れぬものではなかった(他ならぬ本家清張の作品にだって、時に唖然とするほど トンデモなトリックが散見される)が、付和雷同的出版社・権威主義の書評家・ウルサ型読書人といった 連中が、いかにも高尚な《社会派》という看板の前に、娯楽性重視の既存作家を、やれ低劣だの子供だま しだのと一斉に非難し始めたことも、一方で紛れのない事実であった。 かくして、それまで探偵作家と呼ばれた創作家たちは、一人の例外もなく抗いがたい時代の流れに直 面せざるをえない羽目になった。 テレビドラマの原作というメディアミックスのさきがけで、人気作家の地位を不動にした島田一男のよ うな成功例の陰には、かたくなに己のスタイルを堅持したがために事実上文壇から抹殺された香山滋のよ うな悲劇もあった。かの横溝正史にしてからが、70年代の一大リバイバルがなければ、そのまま《過去 の作家》としてひっそりと余生を送ったであろうことは想像に難くない。 と、長い前置きだったが。さて、我らが彬光君はどうだったか? デビュー作以来のパートナーともいうべき、天才型名探偵・神津恭介をあっさり退場させたうえで、 日活ヒーローのごときタフガイ探偵大前田栄策を創出。軽めの娯楽読み物を量産する一方で、それまで の日本には一部の例外をのぞいて存在しなかった本格的な法廷小説というまったく新しいジャンルに、 ミステリ作家としての活路を見出そうと模索していたのだ。 一般に法廷小説といえば、赤かぶ検事で有名な和久峻三や『推定無罪』のS・トゥローがそうである ように、作者本人も法律家というパターンが大半であろう。広範で高度な知識を要求される分野だけに 付け焼刃の勉強では歯がたたないことの裏づけでもあろうが、そこは燃える男・彬光。東大冶金科とい うバリバリの理系出身でありながら、独学で書物を読み漁り、さまざまな裁判の傍聴席におもむき、つ いにはとある事件の弁護人役で実際の法廷に立つまでになってしまったのだから、恐るべき執念と感嘆 するほかない。そうして生み出された新たなる名探偵こそが、本作に登場する少壮弁護士・百谷泉一郎 と明子夫人のおしどりコンビなのだ。 そのものスバリのタイトルが示しているように、本作は幼児の営利誘拐をテーマとしている。事件の 展開を時系列でつづっていくという構成上、物語の7割は名探偵コンビの出番もなく、いかにも《社会 派》然としたドキュメント・タッチで淡々と物語が進んでいく。 伝統芸能的にひとつの《型》として成立 している本格ミステリならば、アナクロぶりも味のうちと割り切ることもできるが、下手にリアルな模 写が続くぶん、社会風俗や嗜好慣習等の古臭さがモロに目に付くのはいかんともしがたい。《彼》とい う三人称で正体をぼやかすことで、冒頭1ページ目から犯人を登場させる変形型倒叙形式の導入は、さ すがに手馴れの手腕と関心させられるが、今時の若い衆が読んだら、途中で投げ出しかねない退屈な部 分があることも、認めるにやぶさかではない。 けれども早まってはいけない。本作が真の面白さをむき出しにし始めるのは、実に後半百数十ページを過ぎてから。 百谷夫妻が事件の解決に乗り出して以降のことなのだ。 一生を刑事事件の弁護に捧げると決意した熱血若手弁護士・泉一郎と、《兜町の女将軍》の異名を拝 した相場の魔術師・明子夫人という設定の妙も興味深いこの探偵コンビだが、本作では(以下ネタバレにつき反転)金の力にものを いわせた明子が、職業探偵を何十人もやとって全ての容疑者を尾行させるという破天荒な禁じ手をやっ てのけてしまう。 長いミステリの歴史の中でも、こんなネタを大真面目で作品に取り上げたの はおそらく彬光が最初で最後であろう。その物凄さを体験するだけでも、本作は十分に読む価値アリである。も ちろん売り物はぶっ飛んだ探偵手法だけでなく、最後に明かされる事件の真相も《驚愕》と呼ぶにいさ さかの遜色もない一大ドンデン返しであることも、彬光の名誉のためにつけくわえておこう。 角川文庫版の解説によれば、本作は探偵小説専門誌『宝石』の連載小説であり、開始時点で決まって いたのは犯人を《彼》と呼んで冒頭から登場させるというアイデアだけだったという。そう思って読み 返してみると、中盤までなんだか話が盛り上がらないのも、終局にいたって俄然テンションがあがるの も、「執筆中に良いオチを思いついた!」という泥縄的な創作姿勢が露骨に透けて見える。とはいえ、 それならそれで良いではないか。そんないい加減な態度でのぞんで、これだけの傑作をものにしてしまう 強引さこそ、高木彬光という作家の本質のように、私には思えてならないのだ。 (03/04/14) 以下、『刺青殺人事件』『人形はなせ殺される』および本作に対する極度のネタバレを含んだ、好事家 のためのワンポイント・チェック。 密室トリックで読者の興味を引っ張りながら、《顔のない死体》のバリエーションこそが勝負玉だった 『刺青〜』。《見立て殺人》そのものがアリバイ工作の条件に過ぎなかった『人形〜』と同様に、本作 でも《営利誘拐》という表面的な事件像が、犯人の真の動機を隠蔽する最大のトリックとなっている事 実は注目に値するだろう。 ジャンル小説の約束事を逆手にとったミステリ作法は、いかにも玄人好みといったところであろうか。 こんなところにも、広範な読者を獲得した横溝正史とは対照的に、少数ながらも熱狂的なファンを魅 了し続ける高木彬光の特性が現れているのかもしれない。 |