叱り方
2008/03/03 月 22:13
失敗をしたときに一番大事なのは、失敗したことを叱ることではなく、「失敗した原因を考えさせること」もしくは「失敗しないためにはどうすればよいか考えさせること」だと思う。
叱るな、といっている訳ではない。
まず叱るのはかまわない。失敗したこと、まずいことをしたのだと悟らせるために、まず叱るというのは有効な手だ。だが、叱るだけではいけないと私は思っている。
物事について自分で考える訓練というのは極めて重要だ。なぜなら、考えることにより多くのことを学ぶ可能性が生まれるから。
もしかしたら叱られたことについて何が悪かったのかを考えて、正しい道を選ぶのではなく次は叱られないように抜け道を考えるかもしれない。私はそれでいいと思う。
もちろん、バレて前回以上に叱られ、場合によっては烈火のごとく怒られるかもしれない。だが、新しい物事というのは、そうした過程から産まれるのではないだろうか。だからこそ、私は人を叱る時は、ただ叱るのではなくなるべく考えさせるように促している。
こうしたやり方が、人によっては温く映るであろうことは無論承知しているし、甘いと言われるであろうことも承知している。それどころか、実際に言われたこともある。
だが、人を伸ばす叱り方や教育というものに、近道なぞない。身になる教育は時間がかかって当然じゃないだろうか。
迂遠なやり方かもしれない。
だけど、私自身にはこのやり方がベストだと思っているし、たぶんこれからも同じように息子や後進に対して接していく。
自分のやり方が間違いだと、自分で思う日が来る日までは。
叱るな、といっている訳ではない。
まず叱るのはかまわない。失敗したこと、まずいことをしたのだと悟らせるために、まず叱るというのは有効な手だ。だが、叱るだけではいけないと私は思っている。
物事について自分で考える訓練というのは極めて重要だ。なぜなら、考えることにより多くのことを学ぶ可能性が生まれるから。
もしかしたら叱られたことについて何が悪かったのかを考えて、正しい道を選ぶのではなく次は叱られないように抜け道を考えるかもしれない。私はそれでいいと思う。
もちろん、バレて前回以上に叱られ、場合によっては烈火のごとく怒られるかもしれない。だが、新しい物事というのは、そうした過程から産まれるのではないだろうか。だからこそ、私は人を叱る時は、ただ叱るのではなくなるべく考えさせるように促している。
こうしたやり方が、人によっては温く映るであろうことは無論承知しているし、甘いと言われるであろうことも承知している。それどころか、実際に言われたこともある。
だが、人を伸ばす叱り方や教育というものに、近道なぞない。身になる教育は時間がかかって当然じゃないだろうか。
迂遠なやり方かもしれない。
だけど、私自身にはこのやり方がベストだと思っているし、たぶんこれからも同じように息子や後進に対して接していく。
自分のやり方が間違いだと、自分で思う日が来る日までは。