この記憶術を駆使して、原口證は2006年には円周率の暗誦で10万桁というダントツの世界記録を達成しました。原口證の記憶術は、世界で注目を集めています。
普通の記憶術はもうたくさん!円周率の暗誦でダントツ世界一の原口證の記憶術をお試しください!
誰もが驚く記憶術。果たして、この記憶術は誰にでも会得できるのでしょうか?
原口さんは、この記憶術は誰にでも会得可能、と言います。楽しく覚えるからこそ、誰にでもできると言うのです。
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「円周率暗唱」の世界記録を三回も更新したと聞くと、誰もが「記録達成のために大変な努力を続けたに違いない」と思うことでしょう。
しかし、悲願達成のための艱難辛苦のドラマに魅力と感動を求める方々には「申し訳ない、すみません」とお詫びいたします。なぜなら、私のこれまでの道のりはその対極にあるものなのですから。
世界記録を更新するのにまったくの努力の必要がなかったなどと、にわかには信じてもらえませんでしょう。私の記録達成が努力や根性などといったものとは無縁の状況から紡ぎだされたもの、ということを確信を持っていえるからなのです。そしてその事実を踏まえると導き得るのが、人間の能力向上のための本質的道筋とは、巷間言われている頑張りや刻苦勉励とは違うものなのだ、ということなのでした。
そうしてまた、私が記録を伸ばし続けながら得た感想から言えるのは、人間誰もが「今より更に良く」あろうという潜在的な向上能力を有しており、理に適ったやり方さえ採れば、自然にそれが開花し驚くべき能力を発揮するだろうということです。
未曾有の記録の達成者と言われる今、その感想は確信に変わりつつあります。小・中学校時代に「オール3」程度の成績しか残せなかった凡人の私が何の苦難もなしに世界記録保持者と称されるようになったのですから、他人の誰もが私と同じ方法を採れば同じ結果を得られるもの、と私は確信しているのです。
当然、これは円周率暗記の世界に限定されるものではないでしょう。幼児がオモチャで遊んでいるときは、楽しく幸せな時間を過ごしています。同じように私の円周率記憶の桁数も、ごく気楽な道のりを静かにのんびりと歩いて来ただけで身に付いたものに過ぎないのです。したがって、世界記録の挑戦も「記録に挑む」という固い言葉などとは縁遠い、非常に気軽で緊迫感のないものでした。
この世界記録をご存知の方々は「そんなことがある筈がない。どんな世界でも記録作りとなれば、緊張とプレッシャーで押し潰されそうになって、さぞかし辛く苦しかったに違いない」と、思われるでしょう。しかし、私の心の中は不思議なほどに平穏に推移したのでした。そしてこれが決して過言ではないのです。
そうかといって、私自身には何事にも動じない心の修練を積んだスゴイ人物というわけでもありません。可もなければ不可もなく、学校時代にも目立ったところのない、人一倍気の弱い大人しい少年でした。取り柄と言えば、親切心が他人より少々優っていた程度です。そんな私を今ではマスコミの方々が、驚異的な記憶力とか天才的な暗記能力者とか言って持て囃してくれます。また、一般の人々も、畏れ敬うような眼差しで私に接します。これには恐縮の至りです。
これはどうしたことなのでしょう。記録達成の直前までは、風采の上がらない、世事にも疎そうな普通のオジサンとしか見られていなかった筈です。記録を更新する前と後を比べても、私には何一つとして変化は生じてはいませんし、私自身の能力にも何の飛躍や向上もないように思えてならないのです。逆に私が確信しているのは、ごく普通の私にできたのですから、皆様が私と同じ方法で世界記録を目指したなら、ほとんどの人が達成できるのではないかということです。
なぜなら、私が円周率に親しみを持って暗唱記録に挑戦を始めてからは、苦しいことや辛いことは一切なかったのです。ましてや、続けなければとか、楽しくしなければならない等の義務感を持ったことすらありませんでした。ただひたすら続けたいから続け、楽しいから続けた結果の世界記録の達成だったのです。
昔から「なにか目標を持ったなら続けることが大事だ、楽しくやることが肝心なのだ」と言い伝えられています。でも、それは私には大分以前から違うような気がしていました。記録達成を成し遂げた今、やっぱりそうではなかった、と実感しています。続けることが大事なのではなく「続けられる方法でやるのが大事なのだ」と思っています。また、楽しくやることが肝心なのではなく「楽しくやれる方法でやるのが肝心なのだ」とも思えてならないのです。
『ぶっちぎり世界記録保持者の記録術』より抜粋