YOMIURI ONLINE
現在位置は
です

本文です

特攻伝えるCG制作へ、知覧平和会館専門員が元隊員証言集める


戦死した特攻隊員の遺影の前で「特攻の歴史を正確に後世に残したい」と語る八巻聡さん(知覧特攻平和会館で)=大野博昭撮影

 特攻隊の出撃基地となった鹿児島県南九州市(旧・知覧町)にある「知覧特攻平和会館」専門員、八巻聡さん(31)が、特攻隊の出撃場面や当時の飛行場の様子などを描くコンピューターグラフィックス(CG)作りを目指し、元隊員や戦闘機の元整備員らの証言を集め続けている。

 この4年間で55人の話をビデオカメラに収めた。「自分が制作するCG資料を通じ、戦争を知らない世代にも特攻隊について関心を持ち、考えてほしい」と考えている。

 千葉県船橋市出身。大空へのあこがれから第一工業大(鹿児島県霧島市)で航空工学を学び、航空エンジニアとして愛知県の会社に勤めた。特に特攻隊に関心があったわけではないが、平和会館が専門員を募った際、「学生時代を過ごした大好きな鹿児島に住めるなら」と応募。2003年8月に採用された。

 証言を集め始めたのは、元整備員の男性と出会ったことがきっかけ。慰霊祭の50年記念誌に載せる当時の飛行場の地図作りのため跡地を案内してもらった。

 元整備員は「訓練直前に、タイヤを固定するボルトががたついていると報告を受けたことがありまして……」と話し始めた。同型のボルトがなく、迷った末に硬度の劣るボルトと交換したが、離陸直後にボルトが折れて車輪が落下。パイロットが巧みに不時着したため事故は免れた――と打ち明けられた。

 戦闘機の性能などハード面への関心ばかりが強かった八巻さんだが、「細かなことであっても埋もれた証言を集め、戦争にかかわった人たちの生の姿を提示するのが自分の義務ではないか」と記録作成を思い立った。

 旧知覧町には軍属として特攻隊にかかわった住民が多い。役所の広報誌で協力を呼びかけ、館内で年配の見学者に話しかけて証言を募った。

 関係者らがみな簡単に応じてくれたわけではない。特攻機を誘導した水上機の元パイロットは、手紙には応えてくれたが「当時の話をすると自分が壊れてしまいそう」と、ビデオカメラの前には立ってくれなかった。ある元整備員は、着陸直後の特攻隊員に「なぜすぐにおれの戦闘機に誰も来ない」と殴られたことを明かした。一方、出撃を待つ間に終戦を迎えた元隊員は「戦況の挽回(ばんかい)は望み薄だとは知っていたが、敵に一泡吹かせねばと考えていた」と当時の覚悟を口にした。

 八巻さんは証言で得られた情報をもとに、当時の飛行場の様子や特攻隊の出撃場面、訓練の模様などをまとめたCGを制作する。若い世代にも精巧なCGで戦争や特攻隊への理解を深めてもらいたいと願い、「後世の日本人に戦争の実態を伝えたい」と話している。



    3月5日

ページトップへ

    3月4日

ページトップへ

    3月3日

ページトップへ

    3月2日

ページトップへ

    3月1日

ページトップへ

    2月29日

ページトップへ

    2月28日

ページトップへ
現在位置は
です