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【列島深化論】廃道を行けば 明治の底力に感嘆しきり (1/2ページ)
「王政一新之(の)秋」と石碑にある。大分県宇佐市と中津市を結ぶ廃道「キリズシのトンネル(長さ80メートル、幅2・4メートル)」がこのほど刊行の『日本の近代土木遺産 改訂版』(土木学会刊)に収録された。明治元(1868)年、王政復古に奮い立つ人々が「千年に一度」の大工事を開始し、矩形(くけい)、素掘りの馬車道を完成させた。
提供者は「旧道倶楽部」。大阪大学大学院(原子力工学専攻)卒で大阪府豊中市在住、永冨謙さん(32)が、国内各地の旧道、廃道を踏破し、ホームページで研究成果を発表。学界関係者に認められた。
一貫して原子力の基礎研究に従事したが、入学翌年の平成7年、「もんじゅナトリウム漏洩(ろうえい)事故」、卒業時に「東海村JCO核燃料加工施設臨界事故」が発生した。未来に懐疑的になる一方、阪大サイクリング部員として各地の山間部を辿(たど)って見つけた産業遺産、土木遺産に魅せられた。
のめり込む契機は、8年夏、兵庫県篠山市と丹波市を結ぶ「鐘ケ坂隧道(ずいどう)」(長さ250メートル)を「再発見」したことから。地形図、ツーリング地図からも抹消され、打ち捨てられたトンネルを何度も訪れ、調査した結果、明治16(1883)年10月完成の現存最古のレンガトンネルと分かった。
後に琵琶湖疎水工事にも携わった「大坂藤田組」の施工で、28万枚のレンガを使用した。丹波振興のため、「阪鶴鉄道」(後のJR福知山線)を造った田艇吉(でんていきち)ら篤志家が私財を投じたが、工費の3分の1が足りず、兵庫県令、森岡昌純に直談判した。森岡は電光石火の動きを見せ、翌日、「見積書を出せ」。計画はたちまち進展した。