バアチャンと僕の最後の時間
つい数日前、「月参り」でお会いしたばかりのバアチャンが急に亡くなった。
知らせの電話をいただいたときも、しばらくは「同じ苗字」の他のバアチャンを連想してしまい、ピンと来なかったくらい、会ったばかりだったし、元気な人だった。
信じられない感覚が消えないまま、それでも準備をしてバアチャンのお宅に「枕経」に向かう。車を走らせながら、「もしかして間違いでは?」とまだ思っていた。
いつも毎月訪問してたバアチャンの家。つい数日前にお参りに来たばっかりの家。お宅に到着し、玄関のベルを押して、ドアを開ける。いつも、バアチャンが奥から玄関まで出てくる「タイミング」に、出てきたのは娘さん。
そして、つい数日前、バアチャンと一緒にお勤めをした仏間には、バアチャンの入った棺があった。
壁のポスターも、カレンダーも、植木も、飾ってある人形も、窓からの景色も、つい数日前にお茶を飲みながら眺めたのと同じなのに、バアチャンは亡くなってしまった。
娘さんから、亡くなった経緯を聞きながら、
「その瞬間」バアチャンは何を思っただろうか、と考えていた。
つい数日前のバアチャンとの「会話」、「姿」、「空気」のヒトコマ・ヒトコマが鮮明に思い出された。何気ないバアチャンと僕との「最後の時間」の「記憶」がセリフが決まっている舞台のように蘇ってきた。
僕にとってバアチャンとの最後は、「声」だった。
その日、バアチャン宅のお参りを終えて「じゃ、また来るね。どうも~~~」と僕は、玄関を出た。バアチャンの方に向き直って、お辞儀をしながら、ドアを閉めた。
でもなぜか、いつもよりドアを閉める勢いが強かったのか、
「はい、どうも、また~~」
という自分の言葉(音声)が消える前に、ドアは全部閉まっていた。
すると、閉まったドアの向こうから、バアチャンの
「気をつけて~~~、はい、またね~~」
という「声」がした。
だから、僕は、そのドアの向こうの「声」に向かって、もう一度
「はいは~~~い!」
と言ったのだ。
あのとき、もう1回ドアを開けたら、そこにバアチャンはいたのに。
それが、バアチャンと僕との「最後」だ。
「枕経」をあげながら、泣いた。
嘘偽りなく、本当に可愛がってもらった。副住職の頃から、ずっと僕を応援してくれた。ライブにも来てくれた。お寺の学習会にもいつも足を運び「仏教の中味」を勉強されていた。報恩講では、婦人会の皆さんと厨房で一生懸命活躍してくれた。若い人のやっている「お店」を毎日手伝う「現役」だった。そして、いつも周囲に感謝していた。
葬儀は「家族葬」でおこなわれた。
「遺影」の写真が、バアチャンらしい笑顔だったので、また泣けた。
・・・・・・・その後。
数日たった。
また今日も、法事や月参りで、たくさんの檀家さん宅をまわった。帰る際に玄関のドアを閉めるたびに、
「ん??もしかして・・・・コレがこの人との最後になるかも?」
とか考えてしまう。そんな事を意識しすぎても、どうにもなるものではないけど・・・ね。
テイネイに生きていきたい、と思った。
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