−−石橋産業事件の深層−−
手形パクリに暗躍した闇の紳士たち(2)

税金はカネになると…

 法務・検察トップの検事総長を退任後、弁護士を開業した大物「ヤメ検」が、「検事時代は巨悪を追及しながら、弁護士になると一転して“悪”の代理人となって稼ぐのはおかしい」という“ヤメ検批判”に対して、こう弁明したことがある。

 「そういう批判は、ヤメ検が検事時代のパイプを使って、同僚や現役に圧力をかけたり、彼らから情報を収集しているというイメージからなされるのだろうが、そんなことは決してない。私は、退任後、捜査に関する電話の一本もかけたことがないし、また、たとえOBがそんな行動に出ても、それを気にするような役所じゃない」

 「電話すら入れない」という姿勢は立派だが、それでは高額の報酬を払って、ヤメ検を雇う側にメリットはない。

 「事件の方向性を聞き、保釈等で好条件を引き出すのがヤメ検の務め、検事だって人間だから、“見知らぬ他人”より“かつての身内”の方に、どうしても便宜を図る」

 こう率直に語るのは、東京地検特捜部が手がける「特捜案件」に強いことで定評のある中堅のヤメ検である。だが、この人にして、「いくらなんでも田中(森一容疑者)さんはやり過ぎだった」と、かつての先輩を切り捨てるのだった。

 上場企業を傘下に持つ石橋産業から180億円の手形をだまし取ったとして、許永中被告(イトマン事件で公判中)とともに詐欺容疑で逮捕された田中容疑者。事件の背後に、「闇社会の代理人と呼ばれる田中を、これ以上野放しにできない」という検察の強い意思があったのは前回に記した通りである。

 では、「やり過ぎ」だという田中容疑者の手口とはどういったものなのか。同容疑者のかつての側近は、らつ腕ぶりをこう語る。

 「田中さんが、最も得意にしていたのは税金問題です。脱税額が大きく、手口も悪質で、国税が検察に告発、逮捕されるのが確実な人が田中事務所に駆け込んできたとします。彼は検事時代の知識を総動員して悪質でないことを立証、それを検察人脈を使って検事に説いて回り、逮捕なしの範囲でおさめてしまう。時には、『公判になったら、国税の恥部が暴露されるかもしれない』といった“恫喝”も使っていました」

 「税金はカネになる」が、田中容疑者の口癖だったという。また、“本職”の刑事事件においても、その人脈と交渉能力がいかんなく発揮された。

“世話焼き”で後輩検事手なづける

 「ツテを頼れば、全国、どの地検にも田中さんの顔が利きます。福岡で殺人教唆に問われていた暴力団関係者を、自白がないという一点だけで釈放させたことがありました。担当検事に田中さんが相当、強くねじ込んだことが功を奏したようです」(前出・同)

 そのために田中容疑者は、検察パイプを細らせないよう最大限の努力をしていたという。

 後輩のヤメ検が、その“世話焼き”ぶりをこう証言する。

 「検事も40代になると先が見えてくるから、第2の人生のことを考えないといけなくなる。そんな時、顧客をたくさん抱えた田中さんは頼りになった。彼に、顧問先を紹介してもらったり、事務所を準備してもらったりしたヤメ検は何人もいます。『危ない人』だという評判はありましたが、接待がうまく座持ちのいい人でもあったので、みんなこだわりなくつきあっていましたよ」

 検事を退官して12年になる田中容疑者が、「闇社会の代理人」でいられたのは、こうした努力の賜物でもあった。

 とはいえ、検察パイプの利用は、大なり小なりどのヤメ検もやっていること。「特捜案件」を手がけるということは、“巨悪”の側につくことである。田中容疑者の場合は、容疑者を弁護するだけでなく、“犯罪”の仕掛けに、法的顧問として自ら関与した点が、今回、罪に問われた。つまり「向こう側の人」(検察OB)になってしまったのである。

 許被告は180億円の手形詐欺において、石橋産業との間でさまざまな書類や契約書を交わしていた。その一つひとつを取ってみれば、「合法的」(捜査関係者)だが、事件を総体として眺めれば、「詐取しようという意図は明白」(同)だった。「法的に間違ったことはしない」と日ごろ、抗弁していた田中容疑者だが、マクロで判断する検察の手法に、太刀打ちできなかったのである。

 ヤメ検としての最低限のモラルを逸脱したと判断され、検察総体から見放された田中容疑者。その罪が重いのはいうまでもないが、彼の逮捕をきっかけに生じたヤメ検という存在そのものへの批判に対する回答を、検察はまだ見いだしていない。

(ジャーナリスト・伊藤博敏)


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