−−石橋産業事件の深層−−
手形パクリに暗躍した闇の紳士たち(1)
闇社会の代理人になった元特捜検事
「ここ3〜4年で、検察が最も執念を燃やした捜査だった」
検察OBがこう漏らすのが、3月7日に東京地検特捜部が摘発した手形詐欺事件である。逮捕されたのは、イトマン事件で公判中の許永中被告(53)と、その顧問弁護士的立場の田中森一容疑者(56)。2人が詐取した手形の額面は180億円と巨額だが、政治家や大企業の犯罪を暴くことを最大の責務とする東京地検特捜部が胸を張るような事件ではない。
検察の執念は、田中容疑者が大阪と東京の両地検特捜部を経験した「ヤメ検」であるにもかかわらず、許被告のようなアングラ経済の側に立ち、「闇社会の代理人」と呼ばれるほどに堕落したところに発している。
「要は“身内”の恥だったんです。元特捜検事の名を利用して顧客を集め、その客も非合法ゆえ、うなるほどカネのある暴力団、事件屋、悪徳金融業者のような連中が多かった。『ヤメ検』の代表として田中森一の名はとどろき、マスコミに取り上げられることも多くなって、検察としては、なんとか手を打たねばなりませんでした」(前出の検察OB)
上場企業を傘下に抱える石橋産業の株券流出を機に、「わしがその問題を処理しましょう」と、許被告が言葉巧みに石橋産業経営陣に近づき、政治家や官僚を紹介、共同事業計画を持ちかけるなどして石橋サイドを安心させたところで手形を振り出させ、詐取したというのが事件の概要である。
大物とのつきあいを誇示して信頼させ、最初は徹底的に尽くして安心させ、油断したところで手形を振り出させる−。イトマン事件でもまったく同じことが行われたわけで、これが「日本一の仕事師」と言われる許被告の典型的な“資産収奪”の手口である。
イトマン事件で逮捕された許被告が保釈されたのは平成5年12月末。さしものパワーも衰えるかと思われたのだが、すぐに復活、表に姿を現すことはなかったものの、東西の暴力団を股にかけ、「事件ある所に許永中あり」と、再び言われるようになった。その時、顧問として許被告の行動を「法的に問題があるかないかをチェック」するのが、田中容疑者の役割だったという。
それ以前に田中容疑者は、山口組ナンバー2の故・宅見勝若頭(当時)の顧問に就任しており、検察にとっては腹立たしく、頭を悩ます存在だった。宅見若頭に続いて許被告とコンビを組むことになった田中容疑者を、さすがに検察は許しておけなかった。
「犯罪者にも言い分はあり、弁護人が必要です。しかしヤメ検が、暴力団トップや許のような怪しい人物ばかりを顧客にするのはやはりおかしい。それに、田中は特捜検事の経歴を生かして『こうすれば事件にならん』と、反社会的勢力に脱法指南するばかりか、同僚や後輩検事への飲食接待や、冠婚葬祭時に多額の慶弔金を出すなどして検察パイプを太くしており、それを使って事件に介入することがあった。いつしか『田中を逮捕すべし』という声が検察内部で上がるようになりました」(司法担当記者)
元同僚逮捕へ検察の執念
「ヤメ検」を現役検事が狙う−。身内にやさしい検察としては、めったにない事態だが、それほど田中容疑者の“行儀”は悪かった。なかでも強硬論者だったのが、田中容疑者のかつての上司でもあった石川達紘福岡高検検事長だという。
「石橋産業の前に、田中は親和銀行事件で逮捕されるんじゃないかと言われていました。これは2年前に警視庁が摘発した長崎県の銀行の背任事件なのですが、背任の舞台となった会社の監査役に田中が就任していたんです。この事件は『ヤメ検』としての知恵と人脈でクリアしたんですが、続いて告訴状の出た石橋産業で2年前に逮捕寸前だった。両方の事件を、東京地検検事正として捜査指揮したのが石川さんだった」(司法関係者)
石川検事長といえば、検察のなかで特捜部歴の長い「捜査現場派」の代表的存在。12年前に検察を去った田中容疑者は、かつては「らつ腕検事」の名をほしいままにしたものだが、その田中容疑者を“指揮”したこともある石川検事長は、「おれが検察にいる間に、田中の問題にケジメをつけたい」と、周囲に漏らしており、現場には「先輩だからと遠慮することなく徹底的にやれ」とハッパをかけ続けたのだった。
許被告の海外逃亡でいったんはつぶれるかと思われた事件が昨年末の許被告の身柄収監により復活。すでに石川検事長は、東京地検を離れ、福岡高検に栄転していたが、田中逮捕の意欲を燃やし続け、それが検察の“総意”となって、ようやく事件化したのである。
(ジャーナリスト・伊藤博敏)
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