わが母は先月、七十九歳を迎えた。傘寿である。祝い話を向けても、「この辺では、そんなことで祝うようにはなってない」とけんもほろろ。年齢の自覚がないのか、照れくさいのか。彼女らしい反応といえば、まさしくそうである。
夫、つまりわが父と死別して二十年。岡山県吉備中央町の田舎に、独り暮らしを続けている。同居話には一切耳を貸さない。「私はどっこも痛いところがない」と、天の恵みの健康を宝に、いまだに手伝い仕事に精を出し、軽乗用車を足代わりに駆ってはどこへでも。
「ちょっと野菜を持って行ってやるわ」などと、五十キロばかり離れた岡山市のわが家へ届けたりもしてくれる。まったくのスーパーばあちゃんなのである。
住まう場所は、限界集落などと、思いやりのかけらもないような言葉で呼ばれる、その典型例のごとき地域だ。標高四百二十メートルの山の中。近所といっても「お〜い」と呼んで、声が届くかどうかというほど離れていて、人家はまばら。それも空き家はあるし、住んでいても母と似たり寄ったりの超のつく高齢者だ。
そんなところで、八十近い女性の独り暮らしといえば、わびしくて、哀れを誘う光景に思えるかもしれないが、本人はまるで意に介さない。限界集落であろうが、なんであろうが彼女にはそこしか住むところがないのだ。
ただ淡々と無名に生きて、無名に死ぬであろうこんな民草が、生きていてよかったと思える国であってほしいし、そうでなければ国たる値打ちがない。政治の責務を思う春である。(特別編集委員・横田賢一)