薬害エイズ事件で、エイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱血液製剤の回収指示などを怠ったとして、業務上過失致死罪に問われた元厚生省生物製剤課長、松村明仁被告(66)に対し、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は3日付で、上告を棄却する決定を出した。禁固1年、執行猶予2年とした1、2審判決が確定する。小法廷は「薬務行政上必要かつ十分な対応を図るべき義務があったことは明らか」と指弾した。
適切な権限行使を怠った「官僚の不作為」について最高裁で有罪が確定するのは初めて。厚生官僚、医師、製薬会社トップの計5人が起訴された薬害エイズ事件の刑事裁判はすべて終結する。
2審・東京高裁判決(05年3月)によると、松村被告は、安全な加熱製剤が承認された85年12月以降も、製薬会社に危険な非加熱製剤の販売を中止させたり回収させる措置を怠り、86年に大阪府内の病院で製剤の投与を受けた肝臓病患者を死亡させた。
弁護側は「回収命令は別の課の権限。権限のない被告が、行政指導などで回収させるべき作為義務はなかった」などと無罪を主張し、上告していた。
小法廷は「上告理由に当たらない」と退けたうえで、業務上過失致死罪が成立するかを職権で判断。非加熱製剤を投与された人がエイズを発症し、多数の死亡が予測されたことなどから「薬務行政担当者には薬害防止の業務に携わる者としての注意義務が生じた」と指摘した。さらに「エイズ対策の中心的立場にあった被告には、他の部局と協議して必要な措置を促す義務もあった」と述べ、同罪が成立すると結論付けた。
松村被告は、85年に帝京大病院で製剤を投与されて死亡した血友病患者についても起訴されたが1、2審で無罪判決を受け確定。同じ患者を巡り起訴された安部英(たけし)・元帝京大副学長は1審無罪後に2審途中で死亡し、公訴が棄却された。一方、86年の肝臓病患者への投与を巡っては、製剤を出荷した旧ミドリ十字の歴代3社長も起訴され、2人は実刑が確定(1人は公判中に死亡)した。【高倉友彰】
▽笠間治雄・最高検次長検事の話 検察の主張が理解されたものと受け止めている。
▽松村被告の話 特に申し上げることはありません。
▽薬害エイズ 産官学の構造的癒着が生んだ薬害エイズ事件。薬害患者たちの怒りを背景に検察当局は96年、業務上過失致死容疑で強制捜査に踏み切り、3者すべての刑事責任を追及した。東京地検は安部英・元帝京大副学長と松村明仁・元厚生省課長を逮捕。大阪地検も旧ミドリ十字の松下廉蔵、須山忠和、川野武彦の歴代3社長を逮捕した。
安部元副学長と松村被告は無罪を主張。85年に血友病患者に非加熱血液製剤を投与し死なせたとされた安部元副学長に対し、東京地裁は01年に無罪を言い渡し、2審公判中に死亡したため公訴が棄却された。同じ起訴事実に関し、加熱製剤が承認された85年末までは危険性を予見できなかったとして、松村被告も1、2審無罪で、検察側が上告断念。血友病患者への投与では、有罪判決が一度もないまま終了した。
一方、86年の肝臓病患者への非加熱製剤投与で起訴された旧ミドリ十字の元社長3人は、起訴事実を認めた。川野元社長は1審実刑後、2審公判中に死亡。松下、須山両元社長は05年、それぞれ禁固1年6月、同1年2月の実刑が最高裁で確定。松村被告も、こちらの起訴事実は有罪が確定する。投与時期で判断が分かれた。
薬害HIV感染者は89年、国や製薬会社に賠償を求め大阪、東京両地裁に提訴。支援運動の高まりを受け、96年2月に当時の菅直人厚相が国の責任を認めて謝罪。同3月、その後の提訴者も含め国と製薬会社が1人当たり4500万円の和解金を支払うことで和解が成立した。
厚生労働省によると、血液製剤によるHIV感染者は06年5月末現在で1438人、うち606人がエイズを発症するなどして死亡。和解者総数は1382人で、3人が東京、大阪両地裁で係争中。【北村和巳】