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マルクス・アウレリーウス『自省録』

 「自省録」は、今から1800年以上前に、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスにより著された思想書です。史上唯一の哲人皇帝と呼ばれたマルクスの思考が赤裸々に記されており、特にその廉潔な人間性は現代に生きるわれわれを啓発します。

 思想書、啓発書といわれると、何か漠としたカタチのないものを連想し、あまり馴染みが無いという方も多いと思いますが、人生という大航海の海図を買うようなものだと思ってください。そう考えると、これほどコストパフォーマンスの高い買い物は他にないと思いませんか。思想書は本来若者ほど読むべきであり、(思想書に限らず)古典や名著と呼ばれる本に触れることは、史上に名を残した偉人との対話であり、テレビゲームをはじめとしたインドアの趣味に比べ、遥かに有益な時間の使い方であると私は確信しています。

 以下に「自省録」の一部を紹介します。

 ※これから読もうと思った方へ
 「自省録」は、マルクスの内省のために書かれているため、一貫性に欠け、その構成は複雑怪奇です。要約することはできません。そのため、馬鹿正直にアタマから読むのもいいですが、あえて最終章から読みんでみるのも面白いと思いますよ。

朝起きたら自分にこう言い聞かせる。--おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、こういう連中を避けて通ることはできない。この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないことによる。しかしぼくは、善の本性は美しく、悪の本性は醜いことを知っている。それに、駄目な奴 とぼくの間にはそう大差はないことも知っている。彼らとは血を分けた兄弟であるだけでなく、知性、神性の程度において同胞なのだ。だから、ぼくには傷つけられて兄弟に腹を立てたり、逆に兄弟を傷つけたり、憎んだり、ということはない。両脚や両腕、やまぶた、歯並びが互いに調和しているのと同じに、人間は協力するために神様に創られている。人に腹を立てたり、キライになったりするのは他人の邪魔をすることだし、他人の邪魔をするのは自然と神に反することなのである。

人生は一瞬にすぎず、人の本質は流転し、その感覚は鈍く、その肉体は腐敗しやすく、その魂はとらえきれず、、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。 一言で言えば、肉体に関するすべては流れであり、魂に関するすべては夢であり煙である。はかない。人の一生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却される。であれば、ぼくたちを導くことができるものは何か。
それはただ一つ、哲学である。すなわち自己の内なるダイモーンを守り、これが損なわれないように、傷つけられないように、快楽と苦痛を制御できるように、何ごともでたらめにおこなうことのないように、偽りや偽善のないように、他人から惑わされることのないように、すべての出来事すべての自己に与えられている分は、自分自身の由来するところと同じところから来るものとして喜んで受け入れるように、何にもまして死を安らかな心で待ち、これを肉体を構成する要素が解体することとみなすことができるように、ダイモーンを保つこと。 もし個々のものが絶えず別のものに変化することが、これらの要素自体にとって少しも恐れるべきものではないとしたら、どうしてぼくたちがこれを恐れなければならないのだろう?それは自然の摂理によるものだ。自然によることで悪いことは一つもないのだ。



主体的な生き方


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