パソコンに見る日本の技術の展望
宮井秀人
- はじめに
- 今度の沖縄サミットは、ITサミットと呼ばれている。それほど、各国のITへの関心は高い。IT革命は、産業革命を上回るほどの、産業、生活への衝撃力を持つという人もいる。
IT革命を支えているのは、申すまでもなく、コンピュータの発達である。戦後、アメリカを中心に発展してきたコンピューター技術は、日本でも早期から導入され、発展してきた。マイクロプロセッサーが開発されると、日米で独創的なパソコンが数多く生まれ、日本でも優れた製品が多数生まれた。日本のアイデアや技術が、必ずしも遅れていたわけではないのである。にもかかわらず、産業化の面では、大きく立ち後れてしまった。その原因は、「デファクトスタンダード」にある。一部の分野を除いて、日本がアメリカに大きく出遅れているIT産業の現状を、歴史的に見ていきたいと思う。
- マイクロプロセッサー
- まず、パソコン普及の原動力となったマイクロプロセッサーについて述べてみたい。今でこそアメリカの企業に押されっぱなしのマイクロプロセッサー市場だが、実はこのアイデアは日本で生まれた。
- シャープ(株)が電卓の開発の際、演算装置に超LSIを選択した。その電卓開発に従事した佐々木正氏によれば、アメリカが集積技術で進んでおり、それに負けたくないという意識があったからだという。
超LSIは、そもそもCPUやRAMなどの機能が集積されたLSIに、さらに表示や入力といった付加回路、付加的機能まで集積していくというものである。佐々木は、ある数学を専攻した女性社員が、これに反対したことを伝えている。数学をやった人の目からは、1よりも小さい数字がある。一つのチップの中に、あらゆる機能を集積するよりも、各機能を持った部品を一つ一つ作れば、組み合わせ一つで、色んな用途に応じることがでいるではないかと、いうのである。
しかし、シャープは、結局、超LSI路線を採用してしまう。
「今にして思えば、これはまさにパソコンの発想である。(中略)しかし、この決断は決して正しいものではなかった。というのも、このときの彼女のアイデアが、後になってアメリカのインテル社が開発したマイクロプロセッサにつながるからである。」(佐々木正「はじめに仮説ありき」クレスト社 1995 68-69p)
- 日本ビジコンも、マイクロプロセッサーの誕生に大きな役割を果たす。しかし、
「世界にマイクロプロセッサーの登場を促した日本の電卓メーカーのビジコン社は、まもなく電卓市場から撤退し、権利の全てをインテル社に譲渡した。それがインテル社が世界的なマイクロプロセッサーのメーカーに飛躍していく第一歩であった。」(相田洋 「新・電子立国」NHK出版 1996 190p)
- このように、コンピュータ普及の当初から日本は大きなビジネスチャンスを逃してしまったのである。
- デファクトスタンダードの洗礼
- その後、マイクロプロセッサー市場で、アメリカに先を越された日本企業の中で、はじめて日本産のマイクロプロセッサーを開発したのはNECであった。
- インテル製のチップ「8080」をリバーシング技術で改良したNECは「μPD-753」を設計する。これは「8080」よりも高性能なのだが、この時の改良がもとで互換性を失い、コンピュータ業界では売れなくなってしまった。デファクト・スタンダードの重要性を痛いほど認識させられることになった。NECの当時のチップ販売担当の渡辺和也氏は次のように言う。
「ですから、互換性を出すためには、改悪しなきゃいけなかったんですよ。ですから、私は技術者に「いやあ、せっかく改良したのを、まことに申し訳ないけど、これじゃ勝手もらいえないから、改悪してくれ」って頭を下げた」(中略)「そう。技術的に優れていることと、それが売れるというものは違うとね」(相田洋 同書 p195)
ここから、すでにパソコンの市場でのアメリカ企業のしめる力が強くなっていることが伺える。後にNECは積極的にデファクトスタンダードを採用し、特にマイクロソフト社との関係を強め、日本におけるパソコンシェアを独占し続けた。
- しかし、マニアだけでなく、ビジネスユーザーからも、マイコン需要が大きくなる。そしてNECは、組立キットの「TK-80」、ユーザー側から押されるように発売されたパソコン「PC8001」など、ヒット作を世に送り出していくことになる。日本におけるパソコン(マイコン)ブームはアメリカのそれと比較しても、遜色なかったのである。
- 日本におけるその他のパソコン
- NEC以外では、ソード社の中小企業向けに開発されて普及したミニコンピューター「M200」があげられる。これはエド・ロバーツが世界最初のパソコンと言われる「アルテア」を開発したのと同時期であった。さらにソード社はOSやアプリケーションまで開発し、特に表計算とデータベースの機能を合わせ持つ「PIPS」は商店経営者の間で爆発的に普及した。これはアップルの「Apple
II」で表計算ソフト、ビジカルクが人気を呼んだのと同時期であった。
- その後もシャープのX68000シリーズや富士通のFM-TOWNSなど、独創的なパソコンが乱立し、それぞれ独自のコンピューター文化を築いた。確かにイギリスにAmigaのコモドール、アメリカにアップルなど、独創的なコンピューターメーカーはあったが、日本のように一国でこれほどまでに様々なパソコンが生まれた国は少なかった。このあたりでも日本のパソコン文化が活況であったことが伺える。
- しかし、それらはアメリカの業界標準のマイクロソフトのOSであるMS-DOSを搭載した、DOS/V規格によって駆逐されていくことになる。その後もマイクロソフトが市場を独占し続け、近年になって、独占禁止法裁判が幾度となく行われているのは記憶に新しい。
- マイクロソフトの戦略
- ここまで日本のパソコン市場について述べてきたが、今度はパソコン用ソフトのシェアを独占し続けてきたマイクロソフトを例に、アメリカではどうだったのか見ていくことにしよう。
- 世界最初のパソコン「アルテア」で動くOSの業界標準はデジタル・リサーチのCP/Mであり、マイクロソフトはそれのプログラミング環境のBASICを開発するメーカーであった。
- IBMは、アップル社のパソコン「APPLE II」の成功により、パソコン市場の重要性に気づき、自社が投入する新製品IBM-PCのOSを、デジタルリサーチに求めた。しかし交渉がなかなかうまくいかず、IBMはマイクロソフトに持ちかけた。マイクロソフトはCP/Mの互換OSを開発していたティム・パターソンからそれを安値で買い上げて、自社ブランドで売り出した。それを当時マイクロソフトの重役だった西和彦氏は「ペンキの塗り替え」と揶揄する。
- その後のIBMとの協調関係からマイクロソフトは業界標準の座を固持し続けた。やがてはIBMとの次世代OS「OS/2」の共同開発が継続できなかったのを契機に、IBMの技術情報をあらかた持ち去って、自社製次世代OSのウィンドウズNTに投入するという荒技までやってのけた。マイクロソフトはそれほどにまで大きく成長したのである。コンピュータ業界の巨人の地位はハードメーカーのIBMから、ソフトメーカーのマイクロソフトに完全に移行した。
- マイクロソフトのその後の高圧的な戦略は、現在司法省が独占禁止法裁判で提起されている通りである。同社は決して独創的な製品で勝ち進んできたのではないのである。前記の渡辺氏の「技術的に優れていることと、それが売れるというものは違う」という言葉がここでも意味を持ってくる。
また、ジェトロの前川徹氏は次のように言う。
「しかし、これまでマイクロソフト社が独創的な製品を生み出したことはあるのだろうか。大型汎用機の世界から、あるいはライバル企業の製品から(もちろんゼロックス社のPARCから)種々のアイデアを借用し、優れたソフトを買い取り、あるいはプログラムのライセンスを取得し、時には会社を丸ごと買収して製品を開発してきた。
個人的には「日本人には独創性がない」という意見には賛成できないが、万が一そうだとしても、まったく心配はいらない。ここに立派なお手本がある。必要なのは先を見る目と、絶対に人には負けないという強い意志、そしてライセンス契約の時に必
要な法律の知識か、優秀な弁護士である。 」(前川徹 −(改訂版)マイクロソフトの小研究− 【ニューヨーク駐在員報告】 http://www.ecom.or.jp/seika/survey/maegawa/mae-chu-9701.htm)
- おわりに
- 私は前川氏の意見に賛成である。「新・電子立国」の著者である相田洋氏は日本にビル・ゲイツの様な人物が生まれないことを憂いているが、そうでなくて本当に良かったと思う。ビル・ゲイツはビジネスの天才であっても良い製品を作る天才ではない。彼のような人物に主導権を握られては、技術者は独創的な製品を生み出す気力を喪失してしまう。日本のメーカーはマイクロソフトの圧力にもよく耐えてきたほうだと思う。前述のソード社はやがて後のウィンテルによってパソコン事業から撤退するが、ソード社の社長、椎名尭慶氏は「やっぱり、われわれにとって夢だったのはソニーでありホンダでした。」(相田洋 同書 p202)という。つい五年前には「20世紀最後のビッグビジネス」(相田洋 同書の帯に記載)ともてはやされたマイクロソフトだが、20世紀も終わりに近づいた現在、そのやり方が問い直されている。独占禁止法裁判でマイクロソフトの戦略の違法性が明白になり、インターネットの普及でOSにこだわることが無意味になり、日本のメーカーからも「i-mode」や「プレイステーション」など独創的な製品が生み出されてきている。我々は真に独創的な製品・アイデアが大切にされる環境・社会を作っていか
なければならない。
- 参考文献
- 相田洋 「新・電子立国」NHK出版 1996
- 佐々木正「はじめに仮説ありき」クレスト社 1995
- 前川徹 −(改訂版)マイクロソフトの小研究− 【ニューヨーク駐在員報告】 1999
http://www.ecom.or.jp/seika/survey/maegawa/mae-chu-9701.htm
- 宮井秀人 「マイクロソフトの経営の問題点」(1年の基礎演習で私が書いたもの) 1999 http://www.asahi-net.or.jp/~fu8h-myi/microsoft.html