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2008年02月09日付・夕刊
(6)既にデパート化!?県東部の脳神経外科の衰退と、ヘリ搬送の急増にあえぐ高知医療センター(高知医療センター)脳外科。溝渕雅之医師(48)はもう一つ、違う角度からの悩みも漏らした。 「救急病院のコンビニ化が問題だって言われてるじゃないですか。それはもう、ひと昔前の話。患者さんが要求しているのは夜も開いている専門店。『おにぎりじゃなくて、シェフの作りたてが食べたい。夜中にわざわざ来たんだから』。そういう人が増えたんです」 例えば耳の調子が悪い患者に「当直医は外科です」と言うと、「じゃあ、耳鼻科の先生が来るまで待ちます」。自宅待機の当番医が呼び出されることになる。 「デパート化ですよ。夜中の救急処置なのに、何から何まで担当科の医師が呼ばれる。そんなことしてたら皆、へとへとになってしまうのに」 彼の話は高知医療センター全体を覆う疲弊感に広がった。 昨年九月、高知医療センターは当直体制を変えた。医師が減少して、当直医が減ったためだ。四十数人で回していたのが三十人を割り、「これじゃ、体が持たん」ということに。副院長以下、ほとんど全員総出で日直、当直をするように改めたのだ。 減少の背景には、大学の医局の引き揚げもあるし、人間的な生活を求めて外へ出た医師もいる。実は、驚いたことに、高知医療センターの大看板「救命救急センター」のトップ二人も十九年夏、相次いで去っていった。 医者が次々と消えていく。心療内科も昨年三月限りでなくなった。神経内科は昨年六月までに、三人いた常勤医が消えた。 神経内科の崩壊は、脳外科にとっても痛手だった。けいれん発作や、脳卒中のうちの脳梗塞(こうそく)を診てくれていたからだ。心療内科も、脳障害の後、うつ状態になったり、夜間の妄想でわれを忘れる患者についての相談ができなくなった。 「脳外科が二人増えても、神経系が四人減っているから全然、楽になっていないわけです」 そしてこう漏らした。 「世間は高知医療センターを、建物が大きくて立派なんで、医師もすべての科がそろっていると思っているかもしれないけど、実は全然違う。医師はマシンじゃないんだから。百メートル十秒で走り続けろと言われても無理。ナースは三交代勤務で、その上、手厚い看護とかで『七対一看護』なんて言ってるけど、ドクターは出ずっぱりなんですから」 そうした余裕のなさの上に、高知医療センターの医師はさらに“仕事”を背負う。 「外来でプライバシーを守るため、医師が患者さんの所まで行って小声で呼ぶじゃないですか。血圧も医師が測る。確かに大切だと思うけど、その時間があれば電子カルテが打てるし、患者さんの待ち疲れも少しは減らせるんですよ」 高知医療センターのキャッチフレーズは「患者さんが主人公」。 「それはその通り。時間が無限にあればそれもできるけど、今の現実とは、懸け離れてるわけです。そういうのが嫌になって、ここだけでなく、日本のあちこちで医師がひっそり消えていっている。僕の言ってることはおかしいですか?」 溝渕医師の口調は激しさを増していった。 その話からしばらくして、私は彼の言う「現実から懸け離れた世界」へ足を踏み入れた。 =第1部おわり |
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