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【静岡】

16歳のライダー世界への夢かなわず 衝突事故で浜松の和田卓也君逝く 

2008年3月3日

 罪のない犠牲者を日々生み続ける交通事故が、また一つ、若者の未来を奪った。オートバイのレースで日本の頂点を、そして世界への飛躍を目指していた高校1年の若きレーサー、和田卓也君(16)=浜松市中区泉4の16の24。サーキットではなく、通い慣れた一般道で、125ccのオートバイを運転中、右折の乗用車と衝突した。「世界クラスのライダーになる」と、父英夫さん(48)と二人三脚で歩み続けてきて、突然散らされた若き才能。ファンたちは「あまりに惜しい」と悼んでいる。

 事故は1日午後6時25分、夕闇に包まれた中区葵西6の交差点で起きた。直進しようとした和田君の前に、右折しようとする男性会社員(35)の乗用車が現れた。バンパー付近に衝突し、腹を強打した。収容先で死亡したのは約2時間後。死因は「腹腔(ふくこう)内出血」。向かっていた友達の家には、永遠にたどり着けなくなった。

 バイク店を経営する父の影響で幼稚園からバイクに乗り始め、小学4年でレースに参戦し始めた生粋のライダー。14歳で本格参戦し、05年には国内最高峰につながる「鈴鹿ワンデーヒーローズ」など各種レースで表彰台を独占。国際ライセンスを取得し、念願の国内最高峰「全日本ロードレース」には06年の最終戦でついに挑戦した。

 同レースではフリー走行中に転倒し、右足首の骨折でリタイアに見舞われたが、その後は「NGK杯」で優勝、「MINI−MOTO STクラス」でも優勝と大レースで実績を重ね、昨年10月の全日本も予選で一時1位(決勝はエンジン故障でリタイア)。「今年一番良い走り」と喜んだ。専門誌は才能に注目して紹介し、耐久レースのDVDの表紙にもなって、ファンの期待を集めつつある中での悲劇だった。

 「逃げ切りも、追いつくレースもできる。素質があった」。英夫さんの脳裏をかすめるのは、幼いころ、バイクで飛ぶように疾走していた和田君の小さな後ろ姿。そして、搬送先の病院に駆け付けた時の、事故後にしてはあまりにもきれいすぎる顔。

 「外傷も骨折もなかった。ついさっきまで、店の手伝いをしてくれていたのに…」。英夫さんは悔しがる。

 「今年も全日本GP(グランプリ)125に参戦します」(2008年1月29日)。インターネットの和田君のブログには、少年らしい笑顔と、大人への階段を上ろうと意気込む気概が詰まっていた。

 だが、そのブログの最新の更新は「葬儀のお知らせ」になった。家族が寄せた「皆さまには多大なるご支援、ご協力、ご声援をいただきましたことを、心より感謝いたします」とのコメントで、締めくくられた。

 オートバイレースの世界では、昨年10月にも世界的レーサーの阿部典史さん=当時(32)=が、川崎市内の一般道でオートバイを運転中、Uターンしたトラックを避けきれずに衝突して命を落としている。

 英夫さんは、和田君にそっと別れの言葉を告げたという。「君がいたからこそ励みになった。心からありがとう」

    ◇

 和田君の告別式は5日午前10時、同市北区東三方町23の15のイズモ葬祭セレモニーホール浜松東三方で営まれる。喪主は父英夫(ひでお)氏。

 

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