HIV封じ 乗り遅れ 医療長寿(6)2008年03月04日 ■「アジアで最速」の勢い
「今はできるだけ考えないようにしている。思い詰めるとつらいから」。インドネシア東端のパプア州ジャヤプラにあるNGO事務所で、ジェキーさん(43)は伏し目がちに語った。 06年に友人からエイズの存在を初めて聞き、その勧めで血液検査を受けたところ、エイズウイルス(HIV)の感染がわかった。女性との性交渉で感染したと見られるが、いつ、誰から感染したかはわからない。 ときおり体がだるくなったり、熱が出たりする。これ以上体力が落ちると、発病を抑える薬を毎日飲まなければならなくなると医師から告げられている。体重は少し減ったが、見た目には以前と変わりない。 州清掃局の職員だったが、体力的に厳しいので辞めた。体の調子がいい時にバイクタクシーの運転手で日銭を稼ぐ。生活に困った時は親類らから支援を受ける。感染者のケアにかかわるNGOの事務所に通い、生活相談に乗ってもらうと気が休まる。将来的にどうやって生計をたてていくかが一番の不安だ。 「もっと早くエイズのことを知っていたら、と思うと悔しい。感染者への仕事の紹介などの支援を、行政にお願いしたい」 国連合同エイズ計画と世界保健機関(WHO)の報告書(07年)によると、世界に推定3320万人いるHIV感染者は近年、啓発や予防対策が進んで頭打ちになりつつある。 だが、インドネシアの状況は少し違う。04年から劇的に増加し、推定感染者数は約20万人。インド(250万人)やタイ(58万人)より少ないが、政府が把握する患者数は昨年、約1万1000人に達し、約6500人のタイを抜いた。10年には感染者数が40万人規模になるとの予測もある。報告書は「インドネシアでの蔓延(まんえん)の速度はアジアで最速」と警鐘を鳴らす。
■独特の慣習、知識不足も
なぜ増え方が激しいのか。強い信仰や多様な民族性といったインドネシア特有の事情が背景にある。 パプア州が確認している感染者数(昨年9月現在)は3434人で、00年から9倍に増えた。他州に比べて圧倒的な伸びだ。 感染予防などに取り組むNGO「YPPM」のエスター代表は「部族によっては、祭事の時に酒を飲み、ふだんと違うパートナーと性交渉する慣習がある。パプア人は一般的に性交渉を寛容にとらえ、避妊も普及していない」と指摘する。 パプア地方ではこれまで独立紛争が頻発し、外国人が入ることが難しかったため、情報面でも国際社会から孤立してきた。保健省によるアンケート(06年、6300人対象)では、エイズについての何らかの知識がある人は51.8%、コンドームを使えば感染を防げると知っていたのは35%。直近の性交渉で実際にコンドームを使用した人は、わずか2.8%だった。 「人里離れた地域までエイズについての情報を正しく伝達し、理解してもらうこと。その上で、生活慣習を変えていくことが必要だ」とエスター氏はいう。 医療面の遅れもある。州内に約240ある保健所が地域医療の拠点だが、HIVの感染診断や、エイズ患者の診察ができる能力がある医師が配置されているのは4分の1程度。医師がいる保健所まで数日かかる地域もある。 保健省のパプア州駐在幹部は「医師の診察能力アップのための研修や増員、病院などの整備、感染者の精神的ケアなど問題は山積している。だが、年間40億ルピア(約4700万円)の予算では、できることは限られている」と話す。
■コンドーム使用 ムスリム抵抗感 政府、啓発へ本腰
国民の約9割を占めるイスラム教の影響もある。 インドネシア赤十字社が06年、スマトラ島・メダンの大学で開いたHIV感染予防などに関する啓発イベントでコンドームを展示したところ、一部の学生や教授から机をひっくり返されるなどの反発を受けた。 ムスリム社会では一般的に、妊娠を人為的にコントロールすることは神の摂理に反すると考えられ、避妊に抵抗感がある。「コンドームの使用を若者に勧めるのは、不特定多数との性交渉を奨励するようなものだ」との考えも根強い。 メダンで感染予防に取り組む日本赤十字社の五十嵐真希さんは「コンドーム使用は感染予防の第一の手段なのに、社会からの反発が強く、訴えにくいところがつらい」と嘆く。 一方、ジャカルタや西ジャワ州などの都市部では、麻薬中毒者による注射針の使い回しや売買春による感染が目立つ。都会での感染が無防備な地方に入り込む構図だ。 国家エイズ委員会は昨年12月、「コンドーム週間」と銘打って全国で啓発イベントを展開するなど、ようやく本腰を入れ始めた。委員会のナフシア・ムボイ事務局長は「宗教団体にも積極的にコンドーム使用の啓発活動に加わってもらうよう呼びかけていきたい」と話す。(ジャヤプラ=矢野英基) PR情報月替わりルポ バックナンバー
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