2007年11月06日
岡田斗司夫ハロウィンナイト
時期を逸した気もするが、ロフトプラスワンで10/31に行われた岡田斗司夫のトークライブに参加してきたので、それについて書こうと思う。
イベントは「岡田斗司夫の”遺言”」と題されていて、「DAICONIIIのオープニングアニメ」から「王立宇宙軍オネアミスの翼」まで岡田斗司夫がプロデューサーとして世に送りだしてきた映像作品について、「テーマは観客では無く作り手にこそ必要」という文脈で、その製作背景について語るというものであった。
当初のアナウンスでは(ネタ出しに参加した)「トップをねらえ!2」までが言及範囲ということで、ガイナックス退社時の状況や「トップをねらえ!2」の岡田版エンディングについての話が聞けると思ったのだが、自分の半生について語るせいか話が長くなりすぎてしまい、今回は「王立宇宙軍」までということになってしまった。近いうちに「岡田斗司夫の”遺言”2」をやるらしいのだが、遺言の続編って考えてみればスゲーよな。「怪傑のーてんき」や「哭きの竜」といったガイナックス黒歴史について語る「岡田斗司夫の”寝言”」もやるか!なんて冗談も言っていたのだが、はっきり言って本気でやって欲しい。
さて、実際のトークの内容については詳しいレポートをアップしているブログがあるので、そちらを参照すると良い。
http://tambourine.cocolog-nifty.com/dengon/2007/11/post_cdd3.html
同じことを書いてもしょうがないので、自分にとって印象的で面白いと感じたこと(だけ)を、自分にとってのメモとして簡単にまとめておこうと思う。括弧内は私の感想だ。決して、時間が経つに連れて面倒くさくなってしまったからではないぞ!決して!
イベントは「岡田斗司夫の”遺言”」と題されていて、「DAICONIIIのオープニングアニメ」から「王立宇宙軍オネアミスの翼」まで岡田斗司夫がプロデューサーとして世に送りだしてきた映像作品について、「テーマは観客では無く作り手にこそ必要」という文脈で、その製作背景について語るというものであった。
当初のアナウンスでは(ネタ出しに参加した)「トップをねらえ!2」までが言及範囲ということで、ガイナックス退社時の状況や「トップをねらえ!2」の岡田版エンディングについての話が聞けると思ったのだが、自分の半生について語るせいか話が長くなりすぎてしまい、今回は「王立宇宙軍」までということになってしまった。近いうちに「岡田斗司夫の”遺言”2」をやるらしいのだが、遺言の続編って考えてみればスゲーよな。「怪傑のーてんき」や「哭きの竜」といったガイナックス黒歴史について語る「岡田斗司夫の”寝言”」もやるか!なんて冗談も言っていたのだが、はっきり言って本気でやって欲しい。
さて、実際のトークの内容については詳しいレポートをアップしているブログがあるので、そちらを参照すると良い。
http://tambourine.cocolog-nifty.com/dengon/2007/11/post_cdd3.html
同じことを書いてもしょうがないので、自分にとって印象的で面白いと感じたこと(だけ)を、自分にとってのメモとして簡単にまとめておこうと思う。括弧内は私の感想だ。決して、時間が経つに連れて面倒くさくなってしまったからではないぞ!決して!
○ ここ数年というもの、自分の持っている「人を言葉で動かす力」が低下している。記憶力も衰えてきている。今のうちに過去の裏話や思い出を吐き出しておきたい。
○ しかし今から話す裏話はあくまでも岡田斗司夫という人間からみた話であって、他の関係者の視点ではまた別の話になるだろう(……というエクスキューズ、なんだか今夜のオタキングは慎重だ。武田康廣の「のーてんき通信」を意識しているのかしらん?)。
のーてんき通信―エヴァンゲリオンを創った男たち
武田 康広

○例えば裏話の一つとして、ナディアの島編は手を抜く為の調整期間であった。しかしそんな島編でも、樋口真嗣を投入すればクオリティ的にはなんとかなる!
○ 映画製作において、テーマは観客ではなく作り手にこそ必要である。テーマが無いと人がついてこない。
○ そのテーマは、スタッフである自分たちの心意気や生き様、その日その日思っていることが良い。
○ 例えば「DAICONIIIのオープニングアニメ」で唐突に水を託される少女は唐突にチャンスを与えられた自分たちを表している。水をこぼさず持っていくというのは、SF大会をつつがなく終えて来年の開催地に引き継ぐという意味。
○ SF大会は中途半端に太った奴らが集まるコンベンションである。
○ SFファンは吾妻ひでおのブキミやナハハ、いしかわじゅんパンクドラゴンの姿で表されている(吾妻ひでおには好印象、いしかわじゅんには……ということか?)。
○ 後ろから追いかけてくる「宇宙の戦士」のパワードスーツは勿論、なんやかんやと難癖をつけてくる古参SFファンを表している。
○ SFファンを撃退しても、大人社会が立ちはだかる。ギャラの上乗せをしてくる大人、突如として豹変する大人などを怪獣やガンダム→イデオンへの変身で表現。
○ 「DAICONIIIのオープニングアニメ」は今観ればショボいが、当時は結構な高評価であった。上映後手塚治虫がスタッフを引き抜きにくるぐらい。
○ でもぼくらは虫プロのアニメ製作現場の非人間的惨状について既に知っていたから、やんわりと断った。山賀君なんて「ええ、まぁ」なんて誤魔化していた。今から思えば漫画の神様になんてことを!
○ 「DAICONIVのオープニングアニメ」では、ちょっと大人になった自分達をちょっと大人になったバニーガールな主人公で表している。
○ アニメだ特撮だハードSFだと拡散するSFファンを、モビルスーツや円谷怪獣ダースベイダーとのバトルで表現している(後のオタク・イズ・デッドに繋がるテーマ)。
○ 拡散したSFファン達が戦いあい、遂に世界は終わりを迎える。これを核爆発と、破壊された途端花びらに変化するオブジェクトで表している。作画は庵野君がノリノリでやった。その後世界は再生するが、新しい世界は我々にとって幸せなものかどうか、正気なものかどうかは解らない(ここいら辺は「世紀の大怪獣!!オカダ」に詳しい)。
世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し
岡田 斗司夫

○ このように、現在の自分達をとりまく状況やそれに対して思っていることをテーマとして作品に入れ込むことが、最も効率よくスタッフに情熱を傾けさせる方法である。それがフィルムでは高いクオリティと変な迫力に繋がる。欠点としては、作品がエンターテイメントになるとは限らない所。製作者の良い所も悪い所も全部あからさまになる。
○ というか、ぼく達はそのような作品作りしか手法として経験していない。これ以外の製作メソッドを知らない。
○ 「電車男」のオープニングアニメは「DAICONIVのオープニングアニメ」のパロディであるが、何の志も感じられない。GONZOはもっとしっかりせい!
○ 「帰ってきたウルトラマン」は、もともと、庵野君が下宿でジャージを着た男ととっくみあいをする「ウルトラマン」というショートフィルムがあって、その続編という位置づけだった。
○ 隊長の息子役は脱税で逮捕された澤村社長。
○ アマチュアとしてはかなり高レベルな特撮技術。文芸面でも高クオリティ。最初から最後までシリアスなドラマであるが、銀色のウインドブレーカーを着た庵野君がウルトラマンだと言い張る所だけが異質、というかギャグ。しかし、それでも感動できるタチの悪いフィルムを作りたかった。
○ 我々は(テーマ的に同じものを持っている)「大日本人」と違い、最後にギャグに逃げない!
○ 「王立宇宙軍」のリイクニの発想の原点はナウシカ。アニメとしての「風の谷のナウシカ」は大好きなんだけど、エコロジーとか思想的なテーマは理解できないなーという要素が理解できない宗教にハマり勧誘してくる美少女というキャラクターに込められている。
○ 俺達は手塚治虫の勧誘はやんわり断るけど、宮崎駿の口車には乗るんだ!
○ 「王立宇宙軍」の企画の実現にはバンダイビジュアル側のプロデユーサーである渡辺繁さんと知り合えたのが大きかった。「岡田君、大企業から金を引き出す時は小額ずつ出させるんですよ。そうすると企業というものはそれを回収しようと追加投資して、結果後戻りできなくなります」と、金の引き出し方を教えてくれた。
○ まずパイロットフィルムを作ったのだが、「妖星ゴラス」の「おいら宇宙のパイロット」をBGMにしたものが一番気に入っている。でも色々な人に怒られた。当然非公開。渡辺繁にも怒られた(でも、↓を読むと本当は気に入っていたらしい)。
http://www.dot-anime.com/tb/tb_emodama/013.html
○ スタッフには「監督どうするんですか?」ではなく「監督、こうしたらどうでしょう?」と常に提案させるクセをつけさせた。全てのアニメーターに設定や演出に参加させ、全スタッフの才能を吸い取るシステムを作った。個人では宮崎駿や押井守といった巨大な才能に勝てないと思った。
○ この頃は作品と製作現場を守るプロデューサーとして、いつもバンダイと戦っていた。板挟みになった渡辺繁はこれが原因で鬱病になってしまった。でも妥協したら作品が自分のものではなくなってしまう。でもでももっと上手くやれた筈だ。反省はしないが後悔はある(ここいら辺、岡田斗司夫は今でも悩んでいるらしく、すっきりしない口調だったのが印象的であった)。
○ 「王立宇宙軍」では100できると思っていたのだが、結果として40しかできなかった。でも100を目指さなければその40にも届かなかった(この話は身につまされます)。
……と、こんな感じか。
感想としては、作り手を取り巻く状況や作り手の生き様を作品にテーマとして込めるという手法は、いわば怨念や怒りや情熱を込めるということで、ガイナックス作品に共通する高クオリティや変な迫力について腑に落ちまくった。ただ、これは職人的発想というよりも芸術家的発想で、作品との距離感やバランスを見誤るとこっ恥ずかしいものになったり大変なことになったりするものだが、ガイナックス作品の大半はそうなっていないのが凄いと思った。
あと、岡田斗司夫の言葉が人を動かす力に今更ながらに驚いた。
プロデューサーという職業を、大企業から言葉巧みに金を引っ張り、現場スタッフを言葉巧みに働かせる詐欺師のようなものとして捉えるのならば、岡田はプロデューサーとして超優秀であったのだろう。
しかしその詐欺師的な要素が現在のダイエット教祖としての岡田バッシングに繋がっているのならば、もうそれは時代というか、状況の不幸としか言い様が無い。でも、ベストセラー本を書いた岡田は、経済的には幸福なのであるが。
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)
岡田斗司夫

そうそう、必ず開催されるであろう「遺言2」も是非参加したいのだが、その時有休がとれるかどうか心配である。次の次のコミケあたりで内容をまとめた同人誌が発売されそうな気もするけどね。
○ しかし今から話す裏話はあくまでも岡田斗司夫という人間からみた話であって、他の関係者の視点ではまた別の話になるだろう(……というエクスキューズ、なんだか今夜のオタキングは慎重だ。武田康廣の「のーてんき通信」を意識しているのかしらん?)。
のーてんき通信―エヴァンゲリオンを創った男たち
武田 康広
○例えば裏話の一つとして、ナディアの島編は手を抜く為の調整期間であった。しかしそんな島編でも、樋口真嗣を投入すればクオリティ的にはなんとかなる!
○ 映画製作において、テーマは観客ではなく作り手にこそ必要である。テーマが無いと人がついてこない。
○ そのテーマは、スタッフである自分たちの心意気や生き様、その日その日思っていることが良い。
○ 例えば「DAICONIIIのオープニングアニメ」で唐突に水を託される少女は唐突にチャンスを与えられた自分たちを表している。水をこぼさず持っていくというのは、SF大会をつつがなく終えて来年の開催地に引き継ぐという意味。
○ SF大会は中途半端に太った奴らが集まるコンベンションである。
○ SFファンは吾妻ひでおのブキミやナハハ、いしかわじゅんパンクドラゴンの姿で表されている(吾妻ひでおには好印象、いしかわじゅんには……ということか?)。
○ 後ろから追いかけてくる「宇宙の戦士」のパワードスーツは勿論、なんやかんやと難癖をつけてくる古参SFファンを表している。
○ SFファンを撃退しても、大人社会が立ちはだかる。ギャラの上乗せをしてくる大人、突如として豹変する大人などを怪獣やガンダム→イデオンへの変身で表現。
○ 「DAICONIIIのオープニングアニメ」は今観ればショボいが、当時は結構な高評価であった。上映後手塚治虫がスタッフを引き抜きにくるぐらい。
○ でもぼくらは虫プロのアニメ製作現場の非人間的惨状について既に知っていたから、やんわりと断った。山賀君なんて「ええ、まぁ」なんて誤魔化していた。今から思えば漫画の神様になんてことを!
○ 「DAICONIVのオープニングアニメ」では、ちょっと大人になった自分達をちょっと大人になったバニーガールな主人公で表している。
○ アニメだ特撮だハードSFだと拡散するSFファンを、モビルスーツや円谷怪獣ダースベイダーとのバトルで表現している(後のオタク・イズ・デッドに繋がるテーマ)。
○ 拡散したSFファン達が戦いあい、遂に世界は終わりを迎える。これを核爆発と、破壊された途端花びらに変化するオブジェクトで表している。作画は庵野君がノリノリでやった。その後世界は再生するが、新しい世界は我々にとって幸せなものかどうか、正気なものかどうかは解らない(ここいら辺は「世紀の大怪獣!!オカダ」に詳しい)。
世紀の大怪獣!!オカダ―岡田斗司夫のお蔵出し
岡田 斗司夫
○ このように、現在の自分達をとりまく状況やそれに対して思っていることをテーマとして作品に入れ込むことが、最も効率よくスタッフに情熱を傾けさせる方法である。それがフィルムでは高いクオリティと変な迫力に繋がる。欠点としては、作品がエンターテイメントになるとは限らない所。製作者の良い所も悪い所も全部あからさまになる。
○ というか、ぼく達はそのような作品作りしか手法として経験していない。これ以外の製作メソッドを知らない。
○ 「電車男」のオープニングアニメは「DAICONIVのオープニングアニメ」のパロディであるが、何の志も感じられない。GONZOはもっとしっかりせい!
○ 「帰ってきたウルトラマン」は、もともと、庵野君が下宿でジャージを着た男ととっくみあいをする「ウルトラマン」というショートフィルムがあって、その続編という位置づけだった。
○ 隊長の息子役は脱税で逮捕された澤村社長。
○ アマチュアとしてはかなり高レベルな特撮技術。文芸面でも高クオリティ。最初から最後までシリアスなドラマであるが、銀色のウインドブレーカーを着た庵野君がウルトラマンだと言い張る所だけが異質、というかギャグ。しかし、それでも感動できるタチの悪いフィルムを作りたかった。
○ 我々は(テーマ的に同じものを持っている)「大日本人」と違い、最後にギャグに逃げない!
○ 「王立宇宙軍」のリイクニの発想の原点はナウシカ。アニメとしての「風の谷のナウシカ」は大好きなんだけど、エコロジーとか思想的なテーマは理解できないなーという要素が理解できない宗教にハマり勧誘してくる美少女というキャラクターに込められている。
○ 俺達は手塚治虫の勧誘はやんわり断るけど、宮崎駿の口車には乗るんだ!
○ 「王立宇宙軍」の企画の実現にはバンダイビジュアル側のプロデユーサーである渡辺繁さんと知り合えたのが大きかった。「岡田君、大企業から金を引き出す時は小額ずつ出させるんですよ。そうすると企業というものはそれを回収しようと追加投資して、結果後戻りできなくなります」と、金の引き出し方を教えてくれた。
○ まずパイロットフィルムを作ったのだが、「妖星ゴラス」の「おいら宇宙のパイロット」をBGMにしたものが一番気に入っている。でも色々な人に怒られた。当然非公開。渡辺繁にも怒られた(でも、↓を読むと本当は気に入っていたらしい)。
http://www.dot-anime.com/tb/tb_emodama/013.html
○ スタッフには「監督どうするんですか?」ではなく「監督、こうしたらどうでしょう?」と常に提案させるクセをつけさせた。全てのアニメーターに設定や演出に参加させ、全スタッフの才能を吸い取るシステムを作った。個人では宮崎駿や押井守といった巨大な才能に勝てないと思った。
○ この頃は作品と製作現場を守るプロデューサーとして、いつもバンダイと戦っていた。板挟みになった渡辺繁はこれが原因で鬱病になってしまった。でも妥協したら作品が自分のものではなくなってしまう。でもでももっと上手くやれた筈だ。反省はしないが後悔はある(ここいら辺、岡田斗司夫は今でも悩んでいるらしく、すっきりしない口調だったのが印象的であった)。
○ 「王立宇宙軍」では100できると思っていたのだが、結果として40しかできなかった。でも100を目指さなければその40にも届かなかった(この話は身につまされます)。
……と、こんな感じか。
感想としては、作り手を取り巻く状況や作り手の生き様を作品にテーマとして込めるという手法は、いわば怨念や怒りや情熱を込めるということで、ガイナックス作品に共通する高クオリティや変な迫力について腑に落ちまくった。ただ、これは職人的発想というよりも芸術家的発想で、作品との距離感やバランスを見誤るとこっ恥ずかしいものになったり大変なことになったりするものだが、ガイナックス作品の大半はそうなっていないのが凄いと思った。
あと、岡田斗司夫の言葉が人を動かす力に今更ながらに驚いた。
プロデューサーという職業を、大企業から言葉巧みに金を引っ張り、現場スタッフを言葉巧みに働かせる詐欺師のようなものとして捉えるのならば、岡田はプロデューサーとして超優秀であったのだろう。
しかしその詐欺師的な要素が現在のダイエット教祖としての岡田バッシングに繋がっているのならば、もうそれは時代というか、状況の不幸としか言い様が無い。でも、ベストセラー本を書いた岡田は、経済的には幸福なのであるが。
いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)
岡田斗司夫
そうそう、必ず開催されるであろう「遺言2」も是非参加したいのだが、その時有休がとれるかどうか心配である。次の次のコミケあたりで内容をまとめた同人誌が発売されそうな気もするけどね。
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