2008年3月 3日 (月曜日)

バアチャンと僕の最後の時間

 つい数日前、「月参り」でお会いしたばかりのバアチャンが急に亡くなった。

 知らせの電話をいただいたときも、しばらくは「同じ苗字」の他のバアチャンを連想してしまい、ピンと来なかったくらい、会ったばかりだったし、元気な人だった。

 信じられない感覚が消えないまま、それでも準備をしてバアチャンのお宅に「枕経」に向かう。車を走らせながら、「もしかして間違いでは?」とまだ思っていた。

 いつも毎月訪問してたバアチャンの家。つい数日前にお参りに来たばっかりの家。お宅に到着し、玄関のベルを押して、ドアを開ける。いつも、バアチャンが奥から玄関まで出てくる「タイミング」に、出てきたのは娘さん。

 そして、つい数日前、バアチャンと一緒にお勤めをした仏間には、バアチャンの入った棺があった。

 壁のポスターも、カレンダーも、植木も、飾ってある人形も、窓からの景色も、つい数日前にお茶を飲みながら眺めたのと同じなのに、バアチャンは亡くなってしまった。

 娘さんから、亡くなった経緯を聞きながら、

 「その瞬間」バアチャンは何を思っただろうか、と考えていた。

 つい数日前のバアチャンとの「会話」、「姿」、「空気」のヒトコマ・ヒトコマが鮮明に思い出された。何気ないバアチャンと僕との「最後の時間」の「記憶」がセリフが決まっている舞台のように蘇ってきた。

 

 僕にとってバアチャンとの最後は、「声」だった。

 その日、バアチャン宅のお参りを終えて「じゃ、また来るね。どうも~~~」と僕は、玄関を出た。バアチャンの方に向き直って、お辞儀をしながら、ドアを閉めた。

 でもなぜか、いつもよりドアを閉める勢いが強かったのか、

 「はい、どうも、また~~」

 という自分の言葉(音声)が消える前に、ドアは全部閉まっていた。

 すると、閉まったドアの向こうから、バアチャンの

 「気をつけて~~~、はい、またね~~」

 という「声」がした。

 だから、僕は、そのドアの向こうの「声」に向かって、もう一度

 「はいは~~~い!」

 と言ったのだ。

  

 あのとき、もう1回ドアを開けたら、そこにバアチャンはいたのに。

 それが、バアチャンと僕との「最後」だ。

 

 「枕経」をあげながら、泣いた。

 嘘偽りなく、本当に可愛がってもらった。副住職の頃から、ずっと僕を応援してくれた。ライブにも来てくれた。お寺の学習会にもいつも足を運び「仏教の中味」を勉強されていた。報恩講では、婦人会の皆さんと厨房で一生懸命活躍してくれた。若い人のやっている「お店」を毎日手伝う「現役」だった。そして、いつも周囲に感謝していた。

 

 葬儀は「家族葬」でおこなわれた。

 「遺影」の写真が、バアチャンらしい笑顔だったので、また泣けた。

 

 

 ・・・・・・・その後。

 数日たった。

 また今日も、法事や月参りで、たくさんの檀家さん宅をまわった。帰る際に玄関のドアを閉めるたびに、

 「ん??もしかして・・・・コレがこの人との最後になるかも?」

とか考えてしまう。そんな事を意識しすぎても、どうにもなるものではないけど・・・ね。

 

 テイネイに生きていきたい、と思った。

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2008年3月 1日 (土曜日)

吹雪のパンダ

おし!!今日から3月。

昨日くらいから、気温も高くなってあったかい。

なので、分厚い「マフラー」をやめて、みのや師匠バリに「アフガンストール」を三角形に首に巻いて、夕方、近所に買い物に出かける。

そしたら、急に雪が降ってきた。短時間に街は真白に戻ったsnowsnow

今日、近所に新しく開店した「コンビニ」がある。

車での帰り道、その前を通ったら、キャラクターの「パンダ?」の「着ぐるみ」を着た人が「開店しました、オープン記念のなんかやってます」ってたぶん書いてあるであろう「旗」を振っていた。

そういえば、午前中に、仕事の途中で前を通った時も「パンダ」は旗を振っていた。朝から晩まで同一人物が「パンダ」なのかどうか、ぬいぐるみの中の人までは知る由もないけど、

吹雪で真白な、誰も見ていない道に立って、「パンダ」はひたすら旗を振っていた。

通過しながら車の中から、僕は呟いてしまった。

「誰も見てないのに〜〜〜、大変ね!」

 

でもその瞬間思ったのだ。

「誰も見ていないのに」と言ってる「僕」こそが、車の中から見ていたのだった。

そして、そんな僕の存在を「パンダ」自身は気づいていないかもしれないけど、「パンダ」はコンビニが今日オープンしたってことをきちんと僕に伝えていた訳だ。

うん、そんな「パンダ」を見ながら、

「俺も頑張ろう・・・」って思ったんだ。

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2008年2月28日 (木曜日)

25時の声

 今日の師匠のラジオ「午後もトコトン」は、久々の師匠のギター弾き語り!!

 なんと!!「25時の声」を歌ってくれた。

 まさか、この曲が聴けるなんて・・・。

 この曲は、遥か20年以上前のKBS京都ラジオ「ハイヤングKYOTO」でみのや師匠のファンになった人ならば、忘れられない別格なスペシャルな1曲であります。

 ♪僕の声が君に届け〜〜ハイヤングKYOTO〜〜♪

という番組内のCM前後に流れるほんの短い「ジングル」が、昭和62年(1987年)3月、惜しまれつつ迎えた最終回のラストシーンで「25時の声」という「1曲」になって披露されたのだった。

 番組で毎回聞き慣れた「ジングル」が、やがて「1曲」へと変貌を遂げるという出来事は、当時、京都で高校2年だった17歳の自分には、かなりの衝撃だった。深夜、ラジオのスピーカーをまっすぐ見つめながら、「歌」と「歌声」と「みのや師匠という人」とが全部繋がっているって強烈に感動した曲でした。

  

 その後、この曲は、STVのラジオ番組でも、ライブでも聴いたけど、やっぱり、この曲を耳にするたび、僕には「京都」が見える。

 今日、ラジオの師匠は、この歌を歌う前に、今月初め関西(大阪・京都)で行われた久しぶりのライブの話をされていた。関西のファンからお手紙をもらったエピソードもまじえて。。。

 

 僕は、道産子だし、今、「故郷」に住んでいるけど、この「歌」を聴くと、そして、師匠の関西ライブでのエピソードを聞くと、とても懐かしくなる。

 そして、自分にとっての「故郷」は「京都」なんだな・・・・、と勝手に思ってしまうのだ。

  

 そして、今日、この曲を、「北海道」のラジオから聴けたって事、そして、ずっと師匠のファンでいる自分の事、なんだかものすごく「ドラマチック」だなぁって思った。 

 

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2008年2月26日 (火曜日)

ルール

         

      ルール     詩・曲KONO 

 

僕は僕以外には なれるはずないのに

僕が僕であることは どうしようもないのに

僕は僕の人生を 受け取れないままに

僕が僕であることは 逃れられないのに

      あがきもがいている うつむいて泣いてる

      比べては、また溜息 自分勝手な「闇」の中

気がつけばこの世界の 真ん中に放りだされた!

「ルール」が貫いた「道」の上で

この僕に この僕に 「光」が・・・・

  

うまくいくはずさ、と 目論見が崩れ去り

進めず戻れず立ち止まれず 時は流れていった

       アルガママの世界  「影」が浮かび上がる

       照らされたのは誰? そこにいるのは誰??

苦しい時こそチャンス 自分と向きあって

「ルール」に気づかず行き詰まった

この僕に この僕に 「光」が・・・・

  

   あがきもがいている うつむいて泣いてる

      比べては、また溜息 自分勝手な「闇」の中

気がつけばこの世界の 真ん中に放りだされた!

「ルール」が貫いた「道」の上で

この僕に この僕に 「光」が・・・・

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仏教の人間洞察

京都の本山(東本願寺)から送られてくる『宗報(お寺向けの冊子)』の中に、

僕の大学時代の先生のコラムが載っていた。(以下、一部分を抜粋)

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真宗・仏教の人間洞察とは、私たちは、縁起的存在として業縁のままに、生・老・病を生き、今日とも知れず明日とも知れず死すべき身として、ただ今の瞬間の存在としてあり得ているという事実の目覚めである。

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先生が、以上の短い文章の中に仏教のエッセンスをまとめている。

難しい・・・。

でも何回も読み返しながら、その言葉の背景にある「教え」をたどる。

  

人間存在をどう見るか?

「今日とも知れず明日とも知れず死すべき身」である私。

そして、

「ただ今の瞬間の存在としてあり得ている」という私。

  

いま生きている事(生きていく事)を当然としない。

「老・病・死」を誤魔化さない。

そして、ただ、

この私へ、「事実の目覚め」を促している。

そこに耳障りのよい"甘やかし"はない。

  

直面しているのに、直面していると気づかなかった私に、

「教え」は痛い。

いや、みんな、全員が直面しているんだ。

なぜなら、もう生まれてきているんだもの。

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2008年2月23日 (土曜日)

肩こり爆弾

いやぁ~~~~~、「肩こり」っていうか、首の周りがカチカチに凝っていて、苦しくてたまんないっス。もともと「肩こり君」とは、いつも仲良く共存してきたけど、現在の症状はここ最近で一番ツライっす。肩こり爆弾が一気にさく裂状態ですわ。。。。

今日の「お通夜」でも、お経の声を出すたびに、頭が塞がる感じが強くて、思わず倒れちゃうかも・・・と思いました。

改善する時期が来ないウチは、アンマをしようが、マッサージをしようが、シップを貼ろうが、症状は同じ。今は、黙って、受け入れています。

  

でもね、

例えば、アンマさんとかに行ってね、マッサージをしてもらってる最中にね、

「いやぁ、、ここ、首のスジ、凝ってますね~~~、うん、すごい、うわぁ、カタイです・・・」

とマッサージの先生に言われたら、

「でしょ?でしょ??先生、ホント、辛いんすよ・・・・」

って苦笑いしながら、

ちょっとだけウレシイの、なんでだろ??

症状がつらいクセに・・・ね。

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「感謝」と「生き方」

    最近、「お坊さん」として歩もうとする自分自身に、聞こえてくるキーワードがある。

それは、

「感謝」

それと

生き方」

 この2つのキーワードを印象づけた人は、近所のお寺の息子さんである。

  

 その息子さんは、大学卒業後、ミャンマーの僧院に1年間に行って「上座部仏教」を現地で体感して帰国し、去年、お寺に帰ってきた。

 住職であるお父さんが体調が思わしくないので住職を引退し、今年、彼が、新しく住職になるという。まだ20代半ばで、帰ってきたばかりなのに、いきなり「住職」になるというのは、本当に大変なことだろう。

 その彼に去年、久しぶりに会った時、僕は聞いた。

 「日本とミャンマーとでは、仏教とはいってももちろん色んな違いがあると思うけど、日本で浄土真宗のお坊さんとしてやっていく中で、あなたがミャンマーの僧院で経験した事と重なる部分っていうか、通底する部分ってある?あるとしたら、何?」

 彼は、しばらく考えて、一言、

 「感謝・・・・ですかね・・・」

 と言ったのだ。あまりにもアッサリした一言に彼の真意をはかりかねて、それ以上踏み込んでは聞かなかったけど、「感謝」・・・・。ものすごく色んな解釈ができる言葉。

 でも、この言葉の「意味」を、僕の「住職」という道の中でも確認したいと思った。

 

 それから、その彼が、お坊さんの会合に初めて出席した際に、挨拶の中で、

 「僕は、僧侶とは(職業ではなく)、【生き方】だと思っています・・・・」

 と言った。他の「先輩坊さん」は、若い彼の発するこの言葉を受け流したかもしれない。でも、僕は、彼の言葉のお陰で「お坊さん」というものを「再確認」できたのだった。

  この「坊さんとは職業ではなく、生き方だ」というフレーズは、よく昔の偉い先生の本とか、研修会の先生とかも言うけれど、若い彼から出てきたこの言葉を「誰かの受け売りじゃないか?」・・・と受け流すには、もったいないキーワード。 いや。ミャンマーに行ってきた彼だからこそ、発することのできた言葉かもしれません。

  すくなくとも、彼の発した「キーワード」から、僕自身に「課題」をいただいた事はたしかです。

 今後、

 その「感謝」と「生き方」という「テーマ」を僕の道の上で確かめながら、その途中で、学んだ事、感じた事、気づいた事、悩んでいる事、などなどを、彼と語り、学び合っていける、そんな仲間になりたいのです。  

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«登場の遅い坊さんの私。