善人はハタメイワク

人間はやりきれない。どうしてこうもわかりあえないのだろう。
Iさんという男性から、ブログの記事を削除してほしいとメールをいただいた。
以下の記事である。

「般若心経講義」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1065.html


メール転載の許可を求めたが、お答えいただけなかったので内容を要約する。
Iさんは若いころ紀野一義にお世話になったという。
いたましいことにIさんはお子さんをふたり癌で亡くしている。
仏教者の紀野一義が精神の支えになった。
紀野は原爆で自分以外の家族を亡くしている。
悲痛な体験をしている紀野の言葉はIさんに重く響いた。救われたといってもよい。
紀野の存在がなければ立ち直れなかったかもしれない。
あなたは紀野一義のことをわかっていない。
なぜ紀野と会おうとしないのか。真実を見るのが怖いのではないか。
なぜ真実を見ようとしない? あなたの記事は中傷だ。削除するべきだと思う。

言うまでもなく、わたしはムカムカするわけである。
どうして本人からでもない削除依頼に応じなければならないのか。
ひとりの読者が自分の好きな作家の批判をネット上で見つけて、
「許さない、削除しろ」と迫っているだけなのだから。
だが、対人マニュアル「人を動かす」(カーネギー)を思い出す。
ここで怒ってはいけない。丁寧な返信を送った。
メール、ありがとうございます。
うちのブログの記事がIさんのご気分を害したようで、たいへん申し訳なく思います。
Iさんに比べたらなにほどのことでもありませんが、とわたしは母の悲劇のことを書いた。
苦しんでいる。苦しみのただなかから紀野一義にNO!と言っている。
だが、Iさんの憤りはもっともである。
紀野一義の本の感想はふたつ書いているが、
ふたつとも削除しなければならないのか教えてほしい。
相当したたかな演戯であった。

Iさんからご返信をいただく。文字化けしていて読むことができない。
その旨を伝えるメールを送った。
送信済みのメールを見ると、文字化けがちゃんとした日本語に戻っている。
「人を動かす」はすごいと感嘆した。Iさんの怒りが消失しているのである。
こちらは舌をだしながら書いたのだが、
Iさんはわたしのことを誠実で純粋な人間だとほめてくれている。
人間ってこんなに単純なのかとやりきれなくなった。
長文メールである。Iさんは長女を2歳のときに肝臓癌で亡くした。
つぎに生まれた長男は20歳のときに腎臓癌で逝ってしまった。
Iさんが悟ったのはこのときらしい。いつまでも恨み悲しんでいてはいけない。
すべてのことに意味があるのだと気づいた。
60歳になっていろいろと考えることがある(ひええ、60歳だったの!)。

で、Iさんはやってはいけないことをやっている。
わたしの母の問題に口出しするのである。
会ったこともない母のことをさもわかっているかのように解説する。
この傲慢はいったいどこから来るのだろうか。
好意からなのである。Iさんは自分がいいことをしていると思っている!
あなたのお母さんは人間の心を失ってしまった、などと書いていやがる。
このジジイが目の前にいたらボコボコに殴ると思う。
Iさんの根本にあるのは自信である。
子どもふたりを癌で亡くす経験をした自分は人生をだれよりもわかっている。
したがって、未熟な人間は教え導かなければならぬ。

Iさんは日常の夫婦喧嘩のことも書いている。
わたしは他人の夫婦喧嘩のことになどいっさい興味を持たない。
文章を読むかぎりにおいて、失礼になるが、Iさんの知的水準はあまり高くはない。
そのくせ、教えを垂れたがるのだから始末が悪い。
最後に「贈る言葉」である。60年の人生で支えになった言葉をながながと綴っている。
わたしはIさんに関心がない。Iさんが生きようが死のうが知ったことではない。
このひとはなんなのだろう。まるでわからない。いや、わかるのだ。
辛い体験をした。宗教的改心をする。ひとにもすばらしい教えを伝えよう!
和辻哲郎の詩、V.E.フランクルの著作が紹介されている。
わたしがV.E.フランクルも知らないと思っているのか、バカ丁寧な解説をつけてくれている。
うちのブログをまったく読まないでメールを送ってきたのが明白である。
転載したらこいつのトンマぶりがよくわかるのだが、メールの無断転載はやらない方針。
人生は苦の連続ですが生きる意味を探さなければなりません、だってさ。
どんな顔をしていたら、こんな説教を見知らぬひとへできるのだろう。
善人の無神経な図太さは計りしれないものがある。

ブログの記事は削除しなくてもいいらしい。
そもそもIさんが削除しろと要請すること自体おかしいのだが、かれに自覚はない。
わたしは「信頼に足る」人間だから、まかせたというのである。
そんな簡単に人間を信じちゃいけませんよ。
だが、この信じやすさが紀野一義による救済の下地としてあったのであろう。
メールの最後になんのつもりだか、気持の悪いポエムを置いている。

二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう (坂村真民)


やりきれない。なんでこんな目に遭わなければならないのだろう。
Iさんはいい気なもんである。なんも考えずにメールを送る。
社交辞令を真に受けてながながとお説教メールを書く。
いいことをしたといまごろウットリした気分なのではないか。
やりきれないのはどうしようもないからである。
Iさんを罵倒しても詮ないこと。断じて悪いひとではないのである。疑いもなく善人だ。
しかし、やりきれない。この暗鬱な思いはどうしたらいいのだろう。
Iさんはどうやら自分にしか興味のない人間のようだから、
おそらくこのブログ記事を読まないと思われる。
メールの返信をどうするか。怒りをぶちまけるかどうかである。
もしかしたらどう憤懣を書いたところでIさんはわからないのかもしれない。
なにゆえわたしが怒り、やりきれなく思っているか。
辛いことばかりである。
若い女性から「メル友になりませんか」なんてメールはぜったい来ないもんな。
まあ来ても人間不信だから、どうせ男だろう、と疑ってかかるが。
うちは説教口調のおじさん、おばさんからよくメールが来るのである。
大小は違えど、これも子どもをふたり癌で亡くすのとおなじ宿業のひとつのかたちなのだろう。

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