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今月のおすすめ記事  2007年8月号

敵は内にあり!

オシムジャパンの死角

木村元彦

ジャーナリスト
きむら・ゆきひこ 1962年、愛知県生まれ。中央大学文学部卒。旧ユーゴスラビアの民族問題に詳しいジャーナリスト。著書に『誇り』『悪者見参』『終わらぬ「民族浄化」』『オシムの言葉』『オシムが語る』『蹴る群れ』。

 イビツァ・オシムが日本代表監督に就任してほぼ1年が経過した。
 サラエボ生まれの指揮官はチームを粛々と作り上げてきた。
 6月に行われたキリンカップではモンテネグロ、コロンビアを相手に1勝1分けの戦いぶりでタイトルのかかったカップ戦でまずは初戴冠。結果以上に、2010年W杯南アフリカ大会に向けて、構築すべき日本サッカーの方向性をきっちりと示したことで、ベテラン・サッカーライターたちを唸らせた。
 向かうべき方向。すなわち就任会見の際に発言した「日本代表を日本化させる」という命題である。
 海外組を「黄金の中盤」と煽って、ブラジルのまねをしても、世界に出れば惨敗を喫することはドイツW杯で立証された。
 どこかの国の模倣ではなく、日本人が得意とする機動力や労を惜しまぬ運動量をベースに連動した組織力で勝つ。日本オリジナルの良さを再認識させて、その上でモダンなサッカーを構成させる狙いである。
「組織」「連動性」という言葉から、「没個性」というイメージを連想するのか、「再び管理サッカーか?」という全く的外れな批評をする評論家がいたが、オシムはまず個のアイデアを最重視する。彼はことあるごとに言う。「サッカーは試合が始まってしまえば、終わるまで選手が自分で問題を解決していかなくてはならないスポーツなのだ」
 局面ごとに監督がベンチからサインを送ったり、タイムアウトを取ったりすることのできないスポーツであるからこそ、個々のプレーの選択が大切になる。オシムの練習は多色のビブス(ゼッケン)を用いることから、複雑なもののように報じられるが、突き詰めていけば、選手が自分で次のプレーを速く判断することのトレーニングに他ならない。
 象徴的なのは、ミニゲームで中央に一人だけ色の異なるフリーマンを配置するメニューだ。
 戦っている最中、フリーマンにボールが入れば、その選手はどちらに攻撃をしかけてもいいというもの。一見、みそっかすの存在のようだが、これが難しい。フリーマンはすなわち件の局面でどこがピッチ上の肝なのかを求められるのだ。三百六十度の視野を意識し、瞬時に判断をして点に結びつくほうにパスを出さなければならない。このポジションは高度なサッカーセンスとテクニックが求められる。当初は山瀬功治(横浜F・マリノス)、長谷部誠(浦和レッズ)が担い、現在は遠藤保仁(ガンバ大阪)、中村憲剛(川崎フロンターレ)が入ることが多い。
 他の選手も、フリーマンの出したパスの先を見て即座に攻守の切り替えを求められるので、常に緊張と思考を強いられる。
「オシムが監督になってから
選手の目の色が変わった」
写真

6月5日のキリンカップ・コロンビア戦に出場した中村俊輔

 オシムの練習を見れば考えてプレーをしていない選手は一目で分かる。ただ、跳ね返すだけ、蹴るだけの選択では手詰まりになる、故に選手はそこで考え出す。
 前任者のジーコは選手に自由を与えてくれたが、オシムはその自由を享受して生かすためのアイデアの訓練を課していると言えよう。
 練習では意表を突くプレーが出ると、190センチの巨体を揺らして「ブラボー!」と叫ぶ。
 代表合宿中に言った「サッカー選手は身体以上に頭が疲れないといけないスポーツ」は至言であり、また「自分で物事を判断・決定し、その責任を自ら取るという習慣が日本の社会には根付いていますか?」との問いは耳に痛い警句であった。
 試合においては上がるな、ドリブルはするな、といった禁じ手は一切ない。やっていけないことはないが、ただ、それが果たしてそのシチュエーションでベストの選択であるかどうかが問題となる。
 モンテネグロ戦で、横に走りこんで来たフリーの山岸智(ジェフ千葉)がいたにもかかわらず、ボールタッチを多くしてシュートを放ち枠を外した中村憲を名指しで叱ったことがあるが、問題にしたのは外したことではない。浸透させるべきサッカーの過程で「中村ともあろう選手が周囲が見えていないはずがない」と判断。看過できないこととして指弾した。
 かつてこう言ったことがある。
「現代のサッカー界に昔のスーパースターたちが現れたとしても、そのままスターでいられるのはヨハン・クライフだけだろう。それだけ世界のサッカーは大きく進化している」
 言外に、ドメスティックなスターシステムでメディアが選手を持ち上げるだけでは世界に出たときに痛い目をみるぞ、との意味を含んでいる。
 もっとも、ドイツ大会で、ロナウジーニョを筆頭に歴代最強のタレントを揃えたとさえ言われたブラジル代表が、ファイナルまで進めなかったという現実を見れば、オシムに指摘されるまでもなくおのずと日本人がやるべきことは見えてくる。
 向かうべき方向性を示すと同時に着手したのは、若い世代の発掘である。
前任者は見事なまでにアテネ五輪世代を登用しなかった。そのツケを一気に払うかのようにこの1年、U-20層からも呼び続ける。
 キリンカップまでの3回の代表候補合宿を含めて招集した人数は総勢で64人。すでにジーコの任期中とほぼ同じ数の選手を観察している。
「今度の監督は海外組だけを優遇しない。Jリーグで結果を出せば代表に呼ばれる」という雰囲気を選手間に醸し出すことで、リーグの活性化にもつなげている。
 九州のあるクラブの社長は「うちのようなローカルクラブもしっかり見てくれて招集してくれる。オシムさんが就任してからうちの選手の目の色が違ってきた」と漏らした。
オシムは興行よりも
強化を優先させる
 オシムが提言してきたことはピッチの外に対しても少なくない。
 サッカーを取り巻く環境について彼が発信してきた多様なメッセージについて振り返ってみよう。
 強烈だったのは初陣の2006年8月9日のトリニダード・トバゴ戦だった。
 この時、当初、8月1日に予定されていた代表メンバーの発表をオシムは「もっと選手を見たい」という理由で8月4日にまず延期した。
 3日待って発表されたのはたった13人のメンバーだった。通常は紅白戦要員も含めて20人以上は必ず名前が挙がる。
 記者会見場がどよめく中で、「13人でも試合はできますよ」とコメント。
 初動段階で日本サッカー協会やメディアに対して「私はこういう監督ですよ」という名刺を切っている。
 自分は、しっかりと自分のサッカーを具現化できる選手を最初から集めたい。しかし、その意味でこの時期はスケジュール的に問題があった。A3チャンピオンズカップ(A3杯)に出場しているジェフ千葉とガンバ大阪の選手、そして海外遠征中の鹿島アントラーズの選手には招集をかけられない、という枷があったのだ。
 しかし、だからといって他のチームから適当に20人を選んで帳尻を合わそうとは考えない。
 想定したメンバーからこの時点で実際に呼べる選手の名前を羅列したら、13人だったというわけである。「絶対に妥協はしませんよ」という声無き意思の発信だった。
 同時にこれは「もう少し早く私が代表監督になっていたらトリニダード・トバゴ戦は断っていた」とのコメントにあるように、営業主導でめちゃくちゃな日程を組んだ日本サッカー協会に対する苦言にもなっていた。
 A3杯に出場するチームということは、当たり前だがJリーグで実績のあるチームである。そういうチームが8月の猛暑の1週間で3試合を行っている。そのど真ん中での開催は、強化の意味からしても位置づけが見いだしづらい。
 代表戦は協会にとっていわばドル箱である。しかし集金マシンである以上に、戦う組織集団でなければならない。
 オシムは代表の試合が興行優先になっていることに警鐘を鳴らしている。
 日本サッカー協会の本年度の年間予算は推定162億円と言われる。世界列強のサッカー協会を見渡しても、これ以上に潤沢な予算を持つのはサッカーの母国FA(イングランドサッカー協会)くらいであろうか。日本においても当然ながら一競技団体としては突出しており、JOC(日本オリンピック委員会)の予算の約2倍である。
 予算があることはもちろん、結構なことであるが、カネを稼ぐための弊害もある。
 換言すれば、予算のない国がなぜW杯で強いのか、そこにも注目すべきではないだろうか。
 オシムがかつて代表監督を務めていた旧ユーゴスラビアは多民族国家であり、代表戦は数々の政治的しがらみに縛られていた。
 ザグレブで試合をするときは、クロアチアの民族籍選手を、ベオグラードでやるときはセルビアの選手を多く登用するのが不文律だった。オシムは実力主義のスポーツの世界においてこれを全くナンセンスだとし、あえて他民族の選手を先発させていたという。そんな指揮官からすれば、このようなマッチメークを見過ごすわけにはいかない。
 オシムにとってすれば、旧ユーゴにおける民族主義との戦いの次に待っていたのは日本の商業主義とのせめぎ合いである。
 結果的にトリニダード・トバゴ戦には5人が追加招集されたが、この行状には「協賛金も重要でしょうが、選手のコンディションはもっと大切でしょう。私はこういう監督ですが、分かってくれたら一緒に戦いましょう」という意図が見受けられる。
 忘れられないシーンがある。
 トリニダード・トバゴ戦後の監督会見で司会者が、適当に会見を打ち切るとオシムは声を上げた。「私が終えようと言う前に終えてしまいましたね」
 続く8月16日のアジアカップ予選、イエメン戦後の会見でも同様に終了が告げられると、「やめようと言うまで続けましょう」と発言。
 自分から会見を打ち切りませんよ、聞きたいことがあれば、どんどん受けますよ、という意思表示だった。
 信念は貫くが、説明責任はきっちりと果たすとの宣言である。
 やがて07年を迎えた。代表候補合宿が組まれだし、視聴率欲しさにメディアが海外組を呼ばないのかと煽っても、頑固なまでに招集しなかった。
 彼らの力が必要であることを十分認識しながらもタイミングを図っていた。
 海外でプレーする選手にとっては所属クラブの指導者の信頼を得る大切な時期に時差のある日本に呼んで体調を崩させるよりも、確固たるポジションを勝ち得てから呼ぶべきだとの考えだ。
「海外組にはまずチームで活躍してもらい、日本サッカーのショーウインドーの役目を欧州で果たしてもらう」とはこの頃の言葉である。
写真

昨年7月、代表監督就任直前に会談したオシム監督と川淵三郎日本サッカー協会会長

 やがて3月のペルー戦で中村俊輔(セルティック)、高原直泰(フランクフルト)を呼び、キリンカップで稲本潤一(フランクフルト)と中田浩二(バーゼル)を招集する。
 国内組で作り上げたベースにどこまで彼らが融合できるかが、現在アジアカップのテーマとなっている。
 オシムの哲学は微動だにしない。サッカーのクオリティーをすべてのものより優先させる。それはマーケティングの先行でサッカーを消費物にする愚を欧州でさんざん見てきたからだろう。
 しかし、この国のスポーツ環境はなかなかそれが困難なようだ。川淵三郎日本サッカー協会会長は昨年の惨敗に向き合わず、観客動員数の低下要因は選手に魅力がないせいだとの発言をする。
 某スポーツ紙は、テレビ中継の視聴率をオシム支持率として書いた。視聴率を監督の評価に結び付けるとは驚天動地である。
 スポーツを視聴率のコンテンツとしてしか見ていないから、TBSがゴルフの石川遼君に行ったような不祥事が後を絶たないのだ。
 目先の視聴率や観客動員数を優先させたいのならば、なぜオシムを選んだのか。
 スターシステムが崩壊したのが、ドイツ大会であったろうに。
「その選手が素晴らしいのならば、私はコソボのアルバニア人で11人を選んでみせる」とは旧ユーゴ代表監督時代のオシムの言葉だが、今ならば「その選手が素晴らしいならば視聴率が取れない選手で11人選んでみせる」とでも発言しそうである。
 早稲田より斎藤君、ゴルフ界より石川君、というのが、残念ながら現状、日本のスポーツの伝え方だ。
 当たり前のことを至極当たり前にやっている監督の行状をサプライズと表現してしまう日本のメディアこそが、問題だと思うのだが。

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