主張
クラスター爆弾
禁止条約の変質策動をやめよ
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ニュージーランドのウェリントンで開かれていたクラスター爆弾禁止国際会議は、今年末までのクラスター爆弾禁止条約締結を確認した宣言を発表して二十二日終了しました。
ウェリントン会議には百二十二カ国が参加し、そのうち八十二カ国が宣言に署名しました。署名国はこんご増加する見通しです。
問題は、宣言署名によって五月のダブリン(アイルランド)会議への参加資格を得た、日本などクラスター爆弾容認諸国の動きです。国際社会が熱望する全面禁止の流れに水をさし、クラスター爆弾を容認させることをめざしています。
温存ねらう修正提案
ウェリントン会議の宣言は、クラスター爆弾の「使用、製造、移転、貯蔵の禁止」が禁止条約の不可欠の要素だと明記しました。ダブリン会議では、この内容の禁止条約案が採択されることになります。昨年二月から始まったクラスター爆弾全面禁止にむけた「オスロ・プロセス」の確かな進展を示すものです。
日本政府がこの宣言にいち早く署名したのは、宣言に署名しないと五月のダブリン会議に招待されないからです。宣言の署名によって、クラスター爆弾の禁止に後ろ向きだという国際批判をかわすねらいもあります。しかし、見過ごせないのは、ダブリン会議に参加してクラスター爆弾を存続させる政府方針です。
日本政府は、ウェリントン会議で全面禁止条約の素案に対する修正案を提出しました。その内容はひどいものです。「人道上の懸念と安全保障上の必要性との間のバランスをとる」ことを求め、不発弾として地上に残っても爆発する割合が小さい、「信頼性・正確性」の「高い」ものを認めています。アメリカなどの「改良型」を認めるというのです。
しかも、アメリカなどが侵略のさいに多用している現在の「信頼性・正確性の低いクラスター爆弾」についても、生産、開発、移転は禁止するといいながら、使用は「改良型」ができるまでは認めるといっています。日本政府の修正提案は、クラスター爆弾の全面禁止要求とそのための条約づくりに背を向けるものであるのはあきらかです。
政府はこの修正提案に沿って、「次回の会議で条約の内容についてきちんと議論する」といっています(中根猛軍縮不拡散・科学部長)。条約案を確定する大事な五月のダブリン会議で、クラスター爆弾を容認する条約づくりをめざす姿勢をあきらかにしたものです。
この一年の間に、四回の国際会議と三回の地域会議を開き「オスロ・プロセス」は大きく進展しました。ダブリン会議は全面禁止条約づくりを結実させるための大事な詰めの会議です。その会議で全面禁止の努力をだいなしにする日本政府の態度は、国際社会の批判にさらされ、孤立することは避けられません。
有害な「バランス論」
日本政府は、安全保障上の必要性とともに人道上の懸念への配慮を強調します。しかしこの二つは両立しません。はじめから人を殺し傷つけるように設計されているのがクラスター爆弾です。人道的配慮ができるようにいうこと自体間違いです。
クラスター爆弾の実際の使われ方は、アメリカがイラクなどで多用していることで明白なように侵略のためです。世界で十万人以上を犠牲にしている国際人道法違反の残虐兵器をなくすのは当然です。日本政府は、クラスター爆弾全面禁止の国際的願いにそうべきです。
(出所:日本共産党HP 2008年2月28日(木)「しんぶん赤旗」)
>そして、日本国が憲法完全実施を実現したが、周辺国政府は軍事力を保持しているという場合、日本国への軍事侵略は国際法違反が明確であるから、他国、地域、国連へ軍事救援し、日本国の集団安全保障を図るように外交していくということです。
問題が何も解決していないではありませんか…。私が問いたいのは国連軍の編成が完了し、その後日本への侵攻を撃退し始めるまでやられっ放しでよいのか、という点です。私は日本が自前で軍備を整えるのが最上策ではないかと考えます。
他国政府に無条件で助けを求めるなど問題外です。東西南北さんは他国にとって日本の救援が著しく非合理的な選択肢であっても必ず救援に来てくれるとお考えなのですか?
そもそも、他人に防衛を委託すると自由に国の防衛指針を策定できませんがこれに関してはいかがでしょうか。
>集団安全保障は国際法違反で軍事侵略する政府の軍事力を武力を持つ国が集団で排除する制度です。
東西南北さんは他国が軍事侵攻してきたものを排除するに足る軍事力を持っていることを前提に「日本は守ってもらえる」という主張を行っていますよね?
私は他国が軍事力を持っている限り、つまり日本が軍事侵攻を受ける可能性がある限り軍備は手放すべきでないと考えています。まず無条件に救援がやってくるのかどうかというのが問題です。“国際法”上の義務だから、というのでは答えになりませんよ。そして次に、救援がやってくるとしても救援がくるまでどうやって持ちこたえるのか、という問題があります。
最後に。“国際法”と盛んに書いておられますが、具体的にはどの国際法なのでしょうか。
質問への回答
1.容認できないレベルではないがベストとはいえない。
2.0か1かで考えることは無意味。自衛隊と米軍は今のところ十分に戦争を抑止してくれている。改良の余地はあるのかもしれないが。
3.容認。憲法に定められた改憲の手続きを踏んでいれば何の問題もないだろう。
4.よい改正案があれば勿論賛成する。現行のものが最善であるという確信は抱けない。
質問にも回答してくれています。ありがとう。興味があるので、もう少しだけ答えてもらえますか?
1:自民党改憲案は容認できるみたいですが、ベストではない、とのこと。どんな改憲案ならベストですか?自民党改憲案のどこが不満ですか?
2:今現在の自衛隊と米軍のどこをどのように改良する余地がありますか?
3:憲法9条改定の国民投票は容認、追認なんですね>わかりました。
4:現行9条よりもよい改憲案とはどんな改憲案ですか?
2:今現在の自民党、公明党政府と日米安全保障体制の下での米軍、自衛隊は国民の生命、財産を防衛するものですか?そうではないですか?そうでないなら、どのようにして国民の生命、財産を擁護する米軍、自衛隊に変えていく必要がありますか?
3:憲法9条改定の国民投票を実施すべきという態度ですか?容認ですか?反対ですか?
4:憲法9条改定の国民投票が実施になった場合、改定案によっては賛成するという態度ですか?それともどんな改定案よりも現行憲法の9条に賛成しますか?
質問への回答
1.容認できないレベルではないがベストとはいえない。
2.0か1かで考えることは無意味。自衛隊と米軍は今のところ十分に戦争を抑止してくれている。改良の余地はあるのかもしれないが。
3.容認。憲法に定められた改憲の手続きを踏んでいれば何の問題もないだろう。
4.よい改正案があれば勿論賛成する。現行のものが最善であるという確信は抱けない。
1:自衛隊の海外派遣、海外派兵についてはどのような見解ですか?特に、海外での自衛隊の武力行使についてはどうですか?
2:海外における自衛隊の駆けつけ警護による武力行使についてはどのような見解を持っていますか?
自民党案3項は削ってよいと考える。
>2:今現在の自衛隊と米軍のどこをどのように改良する余地がありますか?
自衛隊装備の適切な更新と配置の転換。もう実際に始まっているが。
>4:現行9条よりもよい改憲案とはどんな改憲案ですか?
軍備の保有をはっきり明記すべき。
>1:自衛隊の海外派遣、海外派兵についてはどのような見解ですか?特に、海外での自衛隊の武力行使についてはどうですか?
一律に禁止すべきではない。場合により適切に判断すべき。武力行使なり海外派遣が認められていれば「やるかやらざるか」という選択ができる。選択肢が増えて損はないと思う。
>2:海外における自衛隊の駆けつけ警護による武力行使についてはどのような見解を持っていますか?
「駆けつけ警護」など考えずに済むように法整備を行うべき。特に交戦規則は早急に定める必要がある。
もうそろそろ私の問いにも答えてくださいorz
1:タイムラグについて。
これは準軍事力である海上保安庁などで国民の生命、財産を守るべく対処します。周辺国なり他国が軍事力の保持を放棄しなければ、日本国も軍事力を放棄しないという態度こそ、他人任せであり、自主性がありません。
2:常備軍を廃棄した日本国への軍事救援について。
日本国が常備軍を廃棄することは周辺国、他国からすれば軍事侵略を受ける可能性がなくなるのであり、国際的な信頼になります。常備軍を廃止した日本国へ軍事侵略があった場合、他国、地域、国連へ軍事救援を要請することは集団安全保障となるので当然の措置です。踏まえておいていただきたいのは、第二次世界大戦後、今日までの国際情勢の発展です。すなわち、軍事力による他国の植民地支配はますます不可能になってきており、冷戦も崩壊したという事実です。ゆえに、今後、日本国は憲法9条完全実施を目指して、日米安保を廃棄し、友好条約に切り替えていくことで再び日本国が軍事侵略を受けて植民地になる可能性はますます減っていく国際情勢だということです。ですから、憲法9条を改定するのではなく、むしろ、憲法9条を完全に実施していくことが歴史的な国際情勢を反映した進路となるわけです。
3:国際法について。
常備軍を廃止した日本国に対する軍事侵略は民族大虐殺になるますので、国際人道法に違反します。
準軍事力と軍事力は何を以って区分されるのでしょうか。他国からの侵攻に対応するだけの装備をもてば、いくら「これは“準軍事力”である」と宣言しても普通の“軍”と大差なくなるのでは?
>周辺国なり他国が軍事力の保持を放棄しなければ、日本国も軍事力を放棄しないという態度こそ、他人任せであり、自主性がありません。
安全保障というものは“他の主体”からの脅威に対抗し自らの安全を守るものです。相手となるべき他の主体を想定しない安全保障など単なる自己満足であって十分役に立ちません。
繰り返しますが、他の主体が武力を保有する以上、自衛の為の軍事力は最低限必要であると考えます。しかし、軍事力をどう整備しどう使用するかは傀儡にでもなっていない限り自ら決定することができます。私には東西南北さんの防衛を外部からの援助に頼る方策のほうが軍事力の整備方針、使用方法を自ら決定できないという点で「他人任せ」で「自主性を欠いている」ように思えます。
だから軍事侵攻を受ける可能性が低くなると?急激な軍事バランスの変化は情勢の不安定化をもたらします。むしろリスクは高まるでしょう。
>常備軍を廃止した日本国へ軍事侵略があった場合、他国、地域、国連へ軍事救援を要請することは集団安全保障となるので当然の措置です。
今日本が参画している集団安全保障の枠組みはおそらく国連のみです。今のところ集団安全保障の枠組みを利用するなら支援は国連からしか期待できないでしょう。繰り返しますが、他の国や地域は自らの利害に基づいて動くので問題外です。
それに、支援を要請したところでタイムラグ問題からは逃れられません。支援が届くまではやはり軍事力が必須です。
>ですから、憲法9条を改定するのではなく、むしろ、憲法9条を完全に実施していくことが歴史的な国際情勢を反映した進路となるわけです。
この辺りをもっと詳しくお願いします。私は危うげな進歩主義路線を取るよりも過去に学ぶべきだと思うのですが…。
>常備軍を廃止した日本国に対する軍事侵略は民族大虐殺になるますので、国際人道法に違反します。
具体的にはどの条約ですか?それとも慣習法ですか?反している国への制裁を加える義務はどこから発生するのですか?
回答1:軍事制度で区別します。自衛隊は軍事制度で規定している武力です。他方、警察は警察制度で規定している武力です。海上保安庁については軍事制度と警察制度の中間です。平時には警察制度下に置かれていますが、戦時では軍事制度下に置かれることがあるのがその理由です。
ゆえに、自衛隊を準軍事力である海上保安庁へ移行させていくということです。こうして日本国には軍事制度がなくなりますから、戦時において海上保安庁が軍事制度下にはいることもなくなりますので軍事力を持たない日本国になります。憲法9条にいう戦力とは日本でいえば自衛隊及び米軍であることは明らかです。
質問2:急激な軍事バランスの変化は情勢の不安定化をもたらします。むしろリスクは高まるでしょう。
回答2:急激というのがよくわかりませんが、自民党、公明政府の現状では、無論、民主党政権でも憲法9条完全実施にはならないのは確実です。社民党、共産党政権になれば憲法9条完全実施の措置がとられていくでしょう。このような政権交代が起こるには草の根における対話活動が必要であり、憲法9条完全実施を実現していくというのは急激なこととは思えません(笑)
質問3:今のところ集団安全保障の枠組みを利用するなら支援は国連からしか期待できないでしょう。繰り返しますが、他の国や地域は自らの利害に基づいて動くので問題外です。
回答3:今は自民党と公明党の政権であり、憲法9条完全実施を前提した政権ではないのでそうなります。ですから、憲法9条完全実施の政権を日本人民が実現すればいいわけです。今の政権を前提にした話ではないのです。他国政府、地域、国連は自らの利害に基づくからこそ、常備軍を廃止した日本国に軍事救援するんですよ?日本人民が日本国に常備軍を廃止する政権を実現した時に、諸外国政府が「あんたらの国が常備軍廃止して、どこかのならず者国家に軍事侵略を受けても俺らは救援しないよ。あるいは、救援するかどうかわからんよ」などという態度をとれば、日本国はどうするか?当然にして、常備軍を保持することになります。他国からすれば、日本国が常備軍を廃止すれば自国が日本国政府から軍事侵略を受ける可能性がなくなりますので、完全に国益に沿うわけです。もう少し、踏み込めば、仮に常備軍を廃止した日本国へ軍事侵略をする国家が出たとしましょう。これは国際的に判断して、明白に国際法違反の侵略戦争となります。この状況で他国、地域、国連が集団安全保障を発動し、無法な侵略国家を排除すれば侵略国家は孤立し、多額の賠償金を支払うはめになり、しかも、国際的な信用は失墜します。国際刑事裁判所も常設で設置される時代になりました。個人の戦争犯罪も裁かれる国際情勢となっていきおります。今後、ますますこの情勢は進んでいくでしょう。さらに、侵略国家を排除した救援軍の背景にある軍事産業は売上を伸ばすことができるわけです。
質問4:「この辺りをもっと詳しくお願いします。私は危うげな進歩主義路線を取るよりも過去に学ぶべきだと思うのですが…。」
回答4:過去から学ぶというのは今を過去に引き戻すことではありません。それは歴史を繰り返す歴史観です。過去から学ぶということは正確に言えば、過去から現在にかけて歴史がどのように進歩してきたか?ということです。ですから、第二次世界大戦の前と後の歴史的な特徴を述べたのです。軍事力のよる植民地支配が違法ではあっても実行力を持っていたのが第二次世界大戦前の国際情勢の特徴です。その時代には、中立国といえども武装は必要不可欠だったんでしょう。しかし、今現在はどうでしょうか?第二次世界大戦後の国際情勢の特徴は、軍事力による弱小国に対する植民地支配が実行力を失ったという点にあります。こうした国際情勢の変化、特質を踏まえてこれからの時代における安全保障を展望することが過去から学んだこになるのではないですか?ゆえに、憲法9条完全実施を成し遂げる民主主義と平和の政府、社民党、共産党が中心となる政府を実現していく草の根の運動こそが人類の歴史を進歩させる意義を持つことになるのです。
今現在の民主共和国の数及び国連加盟国を調べてみてください。圧倒的に民主共和国が多くなってきており、国連加盟国も増えてきております。20世紀のはじめには、国民主権に基づく民主共和国はスイス、アメリカ、フランスの3カ国だけだったんです。今現在はどうでしょうか?国連に加盟する独立国ついても同様です。20世紀のはじめには20カ国程度だけでした。今現在はどうでしょうか?
これが歴史の進歩であり、過去から学ぶということは20世紀は国民主権、民主主義と民族自決の時代であり、軍事力による植民地支配は実効力を失ってきている、ということです。ですから、日本国民はこれから草の根の民主主義運動を手段として常備軍を廃止する憲法9条完全実施の政府の実現を目指して運動していくというのが過去から学んだということになります。
質問5:「具体的にはどの条約ですか?それとも慣習法ですか?反している国への制裁を加える義務はどこから発生するのですか?」
回答5:常備軍を廃棄した日本国へ軍事侵略をかけるわけですので、まず、国連憲章に明白に反しております。次に、ジュネーブ条約にも違反しております。国際人権規約にも違反しております。ですから、国連加盟国、地域、国連に対し、軍事救援を要請することは当然の措置です。
>軍事制度で区別します。自衛隊は軍事制度で規定している武力です。他方、警察は警察制度で規定している武力です。
制度上“警察”と規定してあれば戦闘機を持とうが核戦力を持とうが“軍事力”ではないということでしょうか。
少し無理があると思います。例えば自衛隊を解散した後、警察がF-2支援戦闘機を保有し、運用していたとしましょう。この場合、警察だろうが自衛隊だろうが他国から見ればF-2が立派な対艦攻撃機であることには変わりありません。結局、他国から軍事力を放棄していると見なされることはないでしょう。
「軍事力を放棄している」と他国から認めてもらうには、その他国が脅威と見なしていないことが必要なのです。他国が脅威、軍事力と見なす限り、あらゆる武装組織は軍事力と見なされるでしょう。軍と名乗っていない自衛隊が軍事力と見なされているように。
援助が来ることを前提とし、援助がくるまで持ちこたえることを目的とした“準軍事力”を整備すれば、結局は現在の自衛隊と変わりない装備を整える必要がある(例えば敵の航空機を迎撃するための戦闘機)でしょう。結局それは警察だと強弁しようが他国からは現在と変わらず“軍事力”と見なされるに違いない。
>急激というのがよくわかりませんが、自民党、公明政府の現状では、無論、民主党政権でも憲法9条完全実施にはならないのは確実です。社民党、共産党政権になれば憲法9条完全実施の措置がとられていくでしょう。このような政権交代が起こるには草の根における対話活動が必要であり、憲法9条完全実施を実現していくというのは急激なこととは思えません(笑)
二国以上の間の軍事バランスについて述べたのですがうまく伝わらなかったようです。申し訳ない。
日本の軍事力消滅によって減少する安全保障上の脅威分の利得と日本に対する軍事救援にかかるコストを比較してください。特に先進国では“命の値段”が高くなっていることをお忘れなく。
>ですから、第二次世界大戦の前と後の歴史的な特徴を述べたのです。
第二次大戦前はリベラルな空気でした。国際機関(国際連盟)による平和の構築が語られていました。しかし、結局それがパワーポリティクスの前に無力なものでしかないことが明らかにになってゆき(日本の満州国建国、イタリアのエチオピア侵攻)、しまいには第二次世界大戦勃発となりました。そして二次大戦の終結後、米ソの熾烈な安全保障競争、冷戦へと突入します。この流れを受けて、E.H.カー、H.モーゲンソー、K.ウォルツという順でリアリストの大家が登場してきます。冷戦はまさにパワーポリティクスの時代、リアリストの時代でありました。冷戦構造の消滅(とはいっても日本のある東アジアにはまだ冷戦構造が色濃く残っていますが)によって世界はどうなってゆくのだろうか、というのが現代ですね。大国の保有する軍事力ばかりでなくテロの脅威が指摘されていることはご存知のことと思います。
過去から学ぶというのは理想主義的で楽観的な進歩主義路線をとることではありません。第一次世界大戦後の失敗を考えると、リベラル的楽観論から軍備放棄に走るのは危険極まりないと判断します。
>常備軍を廃棄した日本国へ軍事侵略をかけるわけですので、まず、国連憲章に明白に反しております。次に、ジュネーブ条約にも違反しております。国際人権規約にも違反しております。
常備軍の有無で国を峻別する条文を具体的に提示してください。軍事侵攻がどの条文に違反するのか具体的に示してください。侵攻国に対し制裁を科する義務の根拠となる条文を提示してください。別に嫌味でいっているわけではないのです。どの条文を根拠にしているのかがわからなければこちらも反応しようがありません。
>ですから、国連加盟国、地域、国連に対し、軍事救援を要請することは当然の措置です。
?結局ジュネーブ条約は意味なしですか?確かに戦時国際法であるジュネーブ条約に軍事侵攻を受けた際に軍事救援を要請する根拠となる条文がないのは当然なのですが…。