チェ・ヨンス、5日引退試合「オシム監督みたいなリーダーになりたい」
韓国サッカーストライカーの系譜を引き継く「ワシ」こと崔竜洙(チェ・ヨンス、33、FCソウル)が5日、ソウルワールドカップ競技場で引退試合を行う。 リーダーとして新しい人生を歩み始める彼に、京畿道久里(キョンギド・クリ)の練習場で会った。彼は「選手時代は特にリーダーに恵まれた」とし「そんなリーダーになりたい」と話した。 彼には近づきたい師が5人がいる。パク・サンイン(高校)-キム・ホゴン(大学)-チョ・ヨンジュン(LG)-車範根(チャ・ボムグン、代表)-オシム(日本)監督だ。 東莱(トンレ)高校時代、崔は涙と汗をよく流した。早朝の6時から始めたトレーニングは夜まで続いた。東莱高校のパク・サンイン監督は怖かった。しかし3年間の過酷さが崔の強靭な体を作った。延世(ヨンセ)大学に進学したが、3年生までほとんど試合に出ることはできなかった。 4年生のとき、キム・ホゴン監督に会った。キム監督はチェ・ヨンスの才能を悟り、そのときから崔はレギュラーとなった。94年、プロとしてデビューしたばかりの崔にチョ・ヨンジュン(当時)LG監督は「お前はこれからパワーストライカーだ」と言った。チョ監督は苛酷にウエートトレーニングをさせた。その年、崔は新人王に輝いた。そして崔は96年12月に入隊した。 代表チームには「高い山」黄善洪(ファン・ソンホン)がいたので、現役軍人である彼には大きな期待はかからなかった。しかし車監督が彼を呼んだ。崔はひざをけがした黄の代わりに最前方についた。そして「ワシ」の生涯最大ともいえる飛行が始まった。初試合であるカザフスタン戦でハットトリックをするなど地域予選で7ゴール・2アシストを記録。韓国のワールドカップ本選行きを導いた。 オシム現日本代表監督は崔が目指すリーダーとしてすべてのものを兼ね備えている。当時Jリーグ・ジェフユナイテッド市原時代に会ったオシム監督は選手らにとって最高の戦術家と同時に父であり、友であった。崔は「どんなことがあっても信じることができるリーダー、オシム監督みたいな師になりたい」と言った。 ◆崔竜洙が日本へ行った理由 「99年イングランドプレミアリーグ進出が霧散し、崔は大きく傷ついた。しかし身体と心を引き締めて2000年14ゴール(10アシスト)でKリーグ最優秀選手となった。そして日本に進出した」--周囲は崔のJリーグ進出に対してこう認識している。崔本人もそう思っていた。 しかし日本でジェフ球団幹部に聞くと違っていた。 球団は崔には関心がなかった。ほかの選手を見るために2000年秋Kリーグを視察した。ある日、安養(アニャン)での試合で崔は後半25分で交代させられた。崔は上着を脱ぎ捨て、壁を蹴飛ばし、髪の毛をかきむしった。 その姿を見て球団関係者はひざを打った。そして「我々にもあんなファイターが必要だ。今すぐ調査せよ」と指示した。 崔はこう言った。「悔しさを堪えきれない気質が気に入ったようだ。日本にはそんな選手がいなかったらしい」。彼は日本で5年間75ゴールを記録した。 カン・インシク記者 <kangis@joongang.co.kr> 2006.08.04 17:38:47 |
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