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和歌山カレー事件「死刑判決&マスコミ報道」をブッタ斬る
 02・12・27


 いま、この原稿を書いている時点では、もう、旧聞になってしまいましたが、この

12月11日に、和歌山地裁で毒入りカレー事件の判決がありました。判決は求刑通り

「死刑」でした。

 実はこの事件に関して、私は発生直後に何度か現場を訪れ、そこで取材し、感じ取っ

た内容については『創』の98年12月号に「和歌山カレー事件にみる犯罪報道の『宿

痾』」という文章を書き(実は、この文章は最初、『噂の真相』に持ち込んだのですが、

岡留さんの判断でボツにされました。まあ、あんまり誌面のトーンと少し違っていた

せいもあるかもしれませんが……。しかし、これが『創』でなく、部数も多くて、社会

的影響力のあるウワシンに掲載されていたら、もう少しその後の展開に変化があったか

もしれないと、そんな苦い気持ちが私の中には今でもあります)、さらに翌99年6月

に刊行した拙著『新聞記者卒業』の中でも触れています。

 そこでは、いかに過熱したマスコミ報道が、警察・検察を焦らせて逮捕へと追い込み、

さらにもっといえば、逮捕前からマスコミが林真須美を犯人視することで、彼らの住

んでいた地域社会はもとより、この日本の社会全体から、人間としての存在をも完膚な

きまでに抹殺してしまったか、ということに論及しています。

 これぞまさに「犯罪報道の犯罪」を地で行ったケースでした。

 

 結論から言うと、この判決は極めて不当なものです。なぜなら、林真須美被告の有罪

を立証するにはまったくもって不十分な状況証拠しかなかったからです。

 デモクラシーが確立している国・地域における司法では、「疑わしきは罰せず、被告

人の利益に」という「人権」が保障されていますが、日本のような「全体主義国家」で

は、こんなものは単なるお題目に過ぎません。

 要は、統治権力の側にいる人間は、その圧倒的な政治力やカネの力で、ナンボでも

「あったことをなかったこと」にできるわけですが、林真須美のように、地域社会から浮

き上がった状態にあり、いわば「弱者」の立場に置かれて人間に対しては、逆に「なか

ったことでも、あったように仕立てる」ことがいくらでもできる、ということです。

それが、残念ながら、現実社会における「不条理」というものです。

 

 そもそも今回の事件では、かつて白蟻駆除業を営んでいた林健治・真須美夫婦が、か

つては白蟻駆除に亜砒酸を使っていたため、彼らを最初からターゲットに絞り込んで、

「犯人はアイツ以外にいない」という思い込みから捜査はスタートしています。

 私も1998年7月の事件発生直後、まだ、保険金詐欺疑惑が表面化する前でしたが、

実際に林夫婦に会って話を聞いたことがあります。

 ほとんど対応したのはダンナの方で、半袖にステテコ、金ぴかの腕時計にサングラス

姿は、見るからに「ヤーサン」そのものでした。

 そして、現在は職もなく、それまでの1年間は入退院を繰り返していたにもかかわら

ず、その2年4カ月前に、「関西では有名なヤクザの親分の未亡人」(林健治)から自

宅を7000万円で購入した話を聞いて、正直、「これはちょっとフツーではない、何

らかのアングラマネーに手を出してるんじゃないか」と思ったものです。

 

 当時の取材ノートに書かれているメモの分量からして、取材時間は数時間に及んだと

記憶していますが、しかし、取材者の心証として、少なくとも夫の健治に関しては、カ

レーに毒を盛るだけの「動機」がまったく見えてきませんでした。

 また、妻の真須美に関しても、事件の現場となった園部という新興住宅地が、和歌山

市の中心部からだいぶ離れていることを考えると、見も知らぬ外部の人間が突然、夏祭

りにふらりとやってきて、カレーに毒を盛るということは到底、考えにくく、犯人が同

じ地区に住む顔見知りという「身内」に違いない、ということを考えれば、カレー作り

に参加した自治会婦人部のメンバーでもある真須美も、とりあえず警察が疑いをかける

であろう一人以上の感触は得られませんでした。

 

 警察はもとより、地元記者にも取材を試みましたが、事件発生当初は、逮捕をあせる

和歌山県警に対し、検察サイドは保険金詐欺の別件も含めて、立件には相当、慎重な姿

勢を崩しませんでした。というのは、この事件では決定的な物証が何ひとつなかったか

らです(さらには、犯行に至る動機についても、本件での林真須美の黙秘があったにせ

よ、何一つ、明らかにされていません)。

 まず、カレー作りが始まったのが午前中で、実際に祭りが始まって住民がカレーを食

べはじめるまでに数時間のタイムラグがあります。このうち、林真須美が見張りにいた

のが、正午から午後1時の間で、この間に真須美が一人になった時間帯があって、自宅

に戻って亜砒酸の入った紙コップを持ってきて、カレーに混入させた、という筋書きで

捜査当局は立件し、また裁判所もそれを追認しています。

 

 しかし、林真須美がその紙コップで亜砒酸を入れた瞬間の目撃証言はないのです。

 当初、検察側は地元記者の夜回り取材に対して、「真須美が紙コップで粉末を入れる

瞬間を誰かが目撃したり、また、『砒素』と書かれたラベルの貼ってある紙コップで粉

末を入れる瞬間を、写真やビデオで撮影しているものがあったとしても、それだけでは

決定的な証拠にはならない。なぜなら、その粉末が『亜砒酸』であることを証明しなけ

ればならないからだ。亜砒酸を自宅に所持していることと、亜砒酸をカレーに混入させ

る行為とは、まったく別だからだ」とまで言い切っていたのです。

 そして、私の取材では、この紙コップからは、なぜか林真須美の指紋は検出されてい

ない、ということでした(笑)。

 

 さらに、林邸で見つかったとされる亜砒酸と、カレーから検出された亜砒酸の「同一

性」ですが、純砒素は自然界ではほとんど存在せず、一般には亜砒酸化合物という形で

存在しています(これを「亜砒酸」と通常、よんでいます)。

 んで、亜砒酸は通常、銅などの鉱山から採掘される過程で出てきますが、精製はして

も、0・5%は不純物が混じるとされます。このごく微量の不純物(スズなどですが)

を調べることで、亜砒酸の“個性”は調べることができます。

 しかし、林健治が持っていたとされる中国産の亜砒酸は愛知県の業者を通じて購入し

ていることをケーサツは突き止めているようですが、となれば、これと“同一”の亜砒

酸など、全国にゴマンと存在するわけです。

 つまり、こうした鑑定も、DNAのように「個体を識別しうる同一性」というのでは

なく、あくまで「同種」という、かなり幅の広い、カッコ付きのカテゴリーに過ぎない

わけです。

 

 しかし、検察側の捜査に対する慎重姿勢が崩れたのは、98年8月25日付け朝刊で

朝日新聞が地元の大阪本社発行版では1面トップで、林夫婦と別件の砒素中毒の関連を

警察が捜査していることをスッパ抜いたことがきっかけで、一挙に報道がヒートアップ

します。

 そして、その後は週刊誌にワイドショーが加わって、「平成の毒婦」とまでコキ下ろ

し、オール・マスコミが一体となって、「早く林真須美を逮捕しろ!」という、ヒステ

リックそのものな世論を作っていったのは承知の通りです。

 で、こうした“煽動”に、それまで慎重だった検察側も抵抗することができなくなり、

「ルビコン川」を渡ってしまった、というのが実情なのです。そして、それまでの

「こんなどうしようもない証拠では公判維持などムリ」という姿勢を放棄して、「この

ままいっちゃえ!」と、イケイケドンドンで突っ走ってしまったのです。

 

 これだけ、犯人につながる状況証拠が乏しければ(そもそも帝銀事件に象徴されるよ

うに、毒物混入事件の捜査というのは、一般的に立証が実に難しいのです)、まっとう

なジャーナリズム感覚を持った記者であれば、もう少しクールに、そしてクリティカル

に事件を捉え、そのようなトーンの報道に持っていくのが、人間の「良識」というもの

です。

 しかし、「思考停止」しているこの国の阿呆記者連中に、それを求めることは、ドダ

イ、無理な話です(だから、私は2度も新聞社を辞めたのです)。

 つまり、今度のカレー事件における最大の「犯罪者」は、朝、毎、読、産経、共同、

NHKはもとより、週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日、さらにザ・ワイド

やナイスディーなどのワイドショーなど、ありとあらゆるマスコミなのです。

 

 松本サリン事件で犯人視された河野義行さんのケースは、「オウム」という真犯人が

現れてくれたおかげで、奇蹟的にも「犯罪報道の犯罪」から逃れることができました。

 確かに、今度の和歌山カレー事件で、林真須美が真犯人である可能性はあると思いま

す。しかし、状況証拠だけで犯人を特定するためには、「林真須美以外に犯人は存在し

えない」という合理的な立証が必要です。

 ましてや、あの自他ともに認める国士・亀井静香チェンチェイですら「反対」してい

る(笑)、「死刑制度」というチョー野蛮な“国家権力による殺人システム”が、この

ご時世において存在している日本のような国(EUに加盟するには、死刑制度を廃止す

るのが条件ですが、トルコのEU加盟がモメている一因に、この死刑制度の存続があり

ます)であれば、捜査はもちろんですが、これだけの超重大事件であれば、司法の判断

も「疑わしきは被告人の利益に」と、より慎重な判断が求められるのは当たり前でしょ

う。

 しかし、残念ながら、この国ではこういう「正論」を吐いても、どのマスコミも相手

にはしてくれません。せいぜいが、宮崎学氏が「アサヒ芸能」の「キツネ目事件調書」

に「林真須美の死刑判決に異議あり」を書くのが関の山で、スタンダードのレベルでは、

あの“詐欺”(=佐木)隆三が12月12日の毎日新聞朝刊社会面に出している、何を

言ってるのかさっぱりと分からない、意味不明の傍聴記ぐらいに、文章はもとより、

コンテンツの質もかなり低くないと、マスコミからは原稿料を貰えないというのが現実

なのです。

 今回の死刑判決で、いちばんホッと胸をなで下ろしたのは、一連の取材、執筆にあた

ってきたマスコミの連中でしょう。まかり間違って、「無罪」が出た日には、連中の

「責任」とやらが、今度は問われるわけですから。「自・自・公―自・公・保」の何でも

やり放題のいまの政治状況と相まって、本当に暗澹たる気分になります。

 

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