FILE029:「人生を振りかえる 夜」
2008年2月26日放送
3月4日(火)午前8:30〜 BS2にて再放送予定
※ニュース等の影響により、放送変更の場合もございます。ご了承ください。
カール・ベッカー(宗教学)
人はなぜ、何かを信じずにはいられないのだろうか?
宗教学とは、その時代、その社会、その民族にとって、宗教はどのような意味を持つのか、そもそも、人はなぜ何かを信じるのか、を追求する学問だ。
「人が運命や人生の意味を問うとき、それが宗教の根本だ。」
そう語るのは、京都大学こころの未来研究センターのカール・ベッカー教授。
ベッカーは、日本人の宗教観・死生観に惹かれて34年前に来日。以来、病院やホスピス等で末期患者と対話を行い、医療現場でのこころのケアに活かす研究を進めている。
多くの日本人の死に対する姿を見てきたベッカーにとって、宗教とは、教団や宗派を超えて、こころを支える信念だ。
人間にとって、宗教とはいったい何なのか?新しい時代の宗教のあり方と「信じる」ことの本質へ迫る。
カール・ベッカー
1951年アメリカ・シカゴに生まれる。34年前に来日。
現在、京都大学こころの未来研究センター教授。日本宗教学会理事。専門は、宗教学・倫理学。日本人の宗教観・死生観に注目。病院やホスピスなどで末期患者との対話を行い、日本的宗教観を研究し、医療現場でのこころのケアにつなげる提言を行っている。86年に国際教育研究会(SIETAR)から異文化理解賞、92年にボンベイ国際大学から名誉博士号を授与。文部科学省や科学技術庁等のプロジェクトに参加し、国際日本文化研究センターの共同研究員や評議員を務めた国際的な宗教学者。
爆笑問題の対戦感想
田中:宗教学って聞いていたので、まあいわゆる宗教についてすごく詳しい、そういう学問というか、研究をしているのかなと思って、そうなっちゃうと、専門的になって、僕なんかついていけない話かなと思ったんですけど、人間死んだらどうなるとか、どうやって死にたいみたいな話は、誰でもしたことがあったり、考えたこともある話なので、身近な感じがしましたね。もうちょっと時間があったら、もう少しいろいろ臨死体験の話とかも聞きたかったなっていう感じはあるんですけど。
太田:冒頭の、いろいろな宗教の話も、もっとしたかったね。おれは、宗教の柔軟性もあるんじゃないかと思うし。ただ、最後に、先生が時間を気にしだしたでしょ。それは分かりやすかったね、確かに。おれと先生の対比という意味では。自分が、終わりをあまり考えていないんだっていうのは、初めて自覚したしね。他の番組でもそうなんだけど、終わり時間ってあまり気にしないから、おれ。逆に始まったら終わらないつもりでやっているようなものだから。終わりを考えるっていうことは、そういうことなんだねって。
ディレクター観戦後記
「人間は、意味を求める動物です」
番組でご紹介したベッカー先生の言葉です。
考えてみれば、私たちは、様々な事柄に、意味を見出そうとしているのではないでしょうか。
なぜ、あの人はあんなことを言ったのだろう。
なぜ、わたしにこんな出来事が起こるのだろう。
毎日毎日、自分のなかで繰り返される、なぜ、なぜ、なぜ・・・
いっそ、意味を求めなければ心安らかに過ごせるのに・・・と、思ってしまうこともありますが、意味を求める心が、宗教の根本となり、芸術は生まれ、文学は紡ぎ出され、音楽は奏でられているのかもしれません。
どうしようもなく、意味を求めてしまう心。それは、人間の、哀しくも美しい性分なのかもしれない・・・と、またまた、意味を見出そうとする自分を発見してしまった収録でした。
プロデューサーの編集後記
今回の収録後に、ベッカー先生と親しくお話する機会がありました。普段は全く異なる仕事をしている先生と私が、ひとときの時間を共有したわけです。ちょっと大げさに言えば、一期一会、一生のうちで一度しかない出会いかもしれません。
ベッカー先生も番組で、そうしたことを意識すれば、その出会いや時間がとても貴重なものに思えてくるとおっしゃっていました。
多くの人と出会い、離れ、様々な縁を結んでいく人生。
そしてその人生が一度きりであるということは、あまりに当然すぎて、つい忘れているような自分に気づくことがあります。
「一期一会」や「メメント・モリ(死を想え)」といった言葉は、そうした刻々の大切さを、日常生活のなかでおざなりにしている私のような者にとっての警句の意味を果たしてくれました。
自戒の念を抱きつつ、人生を振り返った夜になりました。