◎ネジール君の義眼 再手術を手助けできたら
随分大きくなり、男らしくなっていた。本紙に載ったネジール・シニック君(12)の
写真を見ての感想である。九年前、コソボ紛争を逃れて来日し、金沢で悪性腫瘍の治療を受けていたときのことを、多くの県民は覚えているだろう。ネジール君を通じてアルバニアという国名を知った人も多かったのではないか。
ネジール君を介しての民間外交はその後大きく花開き、先月初めにはアルバニアのベリ
シャ首相が来日し、名誉領事の飛田秀一北國新聞社社長と会談した。このとき、ベリシャ首相が開口一番話題にしたのは、ネジール君を金大附属病院が受け入れ、治療したときへの感謝だった。
金沢とアルバニアの縁を結んだネジール君が元気で暮らしているのはうれしい知らせだ
が、気になったのは、当時入れた義眼が小さくなって、遊んでいたら落ちてしまう、という一言だった。それが原因でいじめられている、という話もあった。三歳のころに入れた義眼だから、小さくなったのは当然だ。どんなに小さな胸を痛めていることだろう。新しい義眼を入れる手術が必要なら、九年前と同じように、それを応援することができないだろうか。
石川県とアルバニアの縁は、一九九四年夏、アルバニア人留学生がジャパンテントに参
加したことに始まる。金沢を拠点に日本・アルバニア協会が設立され、ネジール君の受け入れにつながり、文字通りの民間外交で石川県とアルバニアのきずなが深まった。金大附属病院での治療に際し、「ネジール君を支える会」に多くの県民の善意が寄せられ、ネジール君の容態に一喜一憂したのを思い出す。
義眼が合わなくなった今、ネジール君一家がどう対処しようとしているのか、本紙に寄
せられた短いメッセージだけでは分からない。できることなら日本・アルバニア協会あたりが中心になって詳しく事情を聴き、手を差し伸べることができないか、検討してほしい。
明治二十二年、トルコの軍艦が和歌山県沖で遭難したとき、地元の決死の救助活動とそ
の後の手厚い支援がトルコを大の親日国にした。アルバニア政府が言う「石川はアルバニアと日本の友好のシンボル」という言葉を大切にしていきたい。
◎海に県境はない 両県で高波対策進めねば
富山県の下新川海岸に面した地域の被害が大きかった高波被害からまる一週間になった
。戦後では一九七〇(昭和四十五)年二月一日から二日にかけた高波に次ぐものであり、富山湾に接した奥能登の内浦側にも被害が出た。富山地方気象台の速報によると、沿岸部を中心に二十メートル以上の強風と八―六メートルの波浪が観測されたという。沿岸の人たちには予想を超えた高波だった。
下新川海岸では国土交通省北陸整備局の直轄で護岸工事が進められているが、海岸の利
用ニーズの多様化、自然保護への関心の高まりを受けて行われた一九九九年の海岸法改正で、国の直轄以外のところは各県がそれぞれに海岸保全基本計画を策定して必要な対策を講じている。
目下、応急処置とともに、どのような高波だったのかを把握する作業がなされており、
その結果を待つまでもなく護岸工事の基準の見直しが必要であり、防波堤の高さはもとより消波ブロックの設置についても修正が必要といえるのでないか。
富山湾につながる奥能登でも被害が生じたのだから、海には県境などないと考え、石川
、富山両県が連携して安全性の確保を見直すことも要求されているのだ。改正法も各県の連携による計画推進をうたっている。マスタープラン検討委員会の意見を取り入れて進められている国直轄の下新川海岸の護岸工事にしても、富山県海岸保全基本計画との整合性を重視することになっている。
海岸を高波などから守るための工事は、下新川沖の二カ所で観測した「有義波」を基準
に行われている。一口でいうと、波高の高い方から波の全体の三分の一を取り出し、その平均値が有義波である。したがって、ときには堤防を越える高さに達することもあるのだ。
護岸工事も経済性を度外視できず、そのために有義波を基準に取るのである。今度の高
波も冬場の富山湾に特有な「寄り回り波」だったが、予想外の大きさだった。北海道西方海上などで猛烈に発達した低気圧による「うねり」が日本海を南下し、富山湾に進入して高波となる現象だが、奥能登沿岸部もかつてない高波に襲われたのである。連携した対策が求められるゆえんだ。