◇家族の思い、大切に
◇身体状態、やりとり頻繁に
愛媛県四国中央市の特別養護老人ホーム「樋谷(ひのたに)荘」。06年9月、井川ハツノさん(当時99歳)は最期のときを迎えていた。老衰が進み、延命を目的としないターミナルケア(終末期医療)に移ったのが5日前。6畳ほどの個室は息子2人と娘2人、孫3人に、施設の介護職員、医師、看護師など20人ほどでいっぱいだった。
家族が手足をさすり名前を呼ぶと、ハツノさんは口を動かしかけた。「おばあ、もうちょっと頑張れ」。励ます声が上がった。でもすぐに、「もう頑張らんでええよ。よう頑張った」と家族みんなで打ち消しあった。
ハツノさんが樋谷荘に入ったのは00年。足を骨折して入院したところ、認知症の症状が出始めたためだ。長男の無職、井川勉さん(77)と市内で同居していたが、勉さん自身も高齢で、自宅での介護に不安があった。訪問介護を受ける経済的余裕もなかった。
「もう家には帰れないから、今晩はここで一緒に寝てほしい」。病院から施設に移る前日、ハツノさんは病室で、和歌山県に嫁いだ次女の近藤保恵さん(65)に頼んだ。「本当は自分たちで面倒をみないといけない」。そんな負い目が保恵さんにはあった。
ハツノさんが亡くなるまでの5日間、保恵さんはベッドを横に置いて添い寝した。静かな最期だった。保恵さんは「遠くに嫁ぎ親不孝ばかりしたけど、最後は母と過ごせて幸せでした」と泣いた。看護師の井川由美子さん(48)は「お母さんも喜んどるよ」と思わず肩を抱いた。
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樋谷荘はベッド数70床で、入所者の平均年齢は86歳。20年前の開設当初は「最期は病院で」という家族が大半だった。事務長で介護職の責任者でもある大西将彦さん(46)は、入所者が病院で人工呼吸器につながれたり、職員との交流も少なく寂しそうにしているのを見てジレンマを感じていた。
家族の意識が変わってきたのが10年ほど前。「樋谷荘で職員さんと一緒にいると、本人の表情が全然違う。最期くらいは本人が喜ぶ環境で」と望む家族が少しずつ増えた。施設での看取(みと)りに積極的に取り組み始めた。母体となっている病院の医師によるサポート体制を整え、今年度はこれまでに亡くなった4人のうち3人を施設内で看取った。
樋谷荘では「家族の考え」を大切にする。まず入居時に、家族や本人にターミナルケアについての意思を確認する。食事摂取が難しくなるなど全身のレベルが低下した段階で、家族を呼び、ターミナルケアへの移行について相談する。
さらに状態が悪くなり主治医が終末期と判断すると、家族に説明し、施設での看取りを希望する場合はその段階で同意書を作成する。ケア計画書は介護士、看護師、管理栄養士らが家族の意向を取り入れ作成。原則として週1回以上、家族などに身体状態の説明を行い、ケアを進める。
死後も、家族への配慮を怠らない。
亡くなったハツノさんは職員と家族に死に化粧をほどこされた。玄関でのひつぎの見送りには、非番を含む職員約30人が立ち、涙を流して別れを惜しんだ。クラクションが2回鳴るのを合図に全員が頭を下げ、車が見えなくなるまで、玄関から離れなかった。
ハツノさんの長女、合田節子さん(79)は「身内でもできんくらいによくしてもらった」と感謝する。
大西さんは「グリーフ(悲嘆)ケアとして、家族と職員が死を共有することは看取りに欠かせない」と語る。【大場伸也】=次回は8日掲載
◇特養の平均在所日数--4年--終の住みか、色濃く
要介護者向けの主な高齢者施設は、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設(老健)、介護療養型医療施設(療養病床)の三つ。平均在所日数は、老健が約8カ月、療養病床が約1年なのに比べ、特養は約4年と長く「終(つい)の住みか」としての性格が強い。それだけに看取りの体制整備が急務になっている。
特養の施設数は06年10月現在で5759。毎年200ペースで増えており、利用者も40万人に迫る勢い。新たな入所者は重度者を優先していることから平均要介護度も年々上がり、06年度で3・75になっている。
厚労省は療養病床削減に伴い、原則として社会福祉法人や自治体にしか認めていない特養の設置を新たに医療法人にも認める方針を示しているほか、老健での看取りについても推進する方向だ。【有田浩子】
毎日新聞 2008年3月1日 東京朝刊