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サビチェビッチ「私は若く、オシムは頑固だった」(1/2)
モンテネグロサッカー協会会長インタビュー

2007年05月30日
(文= イビツァ・ユリン )  




UEFAから、過去の功績が認められ表彰されたデヤン・サビチェビッチ氏(中央)。現在はモンテネグロサッカー協会会長として、同国のサッカーをリードする UEFAから、過去の功績が認められ表彰されたデヤン・サビチェビッチ氏(中央)。現在はモンテネグロサッカー協会会長として、同国のサッカーをリードする【 (C)Getty Images/AFLO 】
 2007年3月24日、モンテネグロの首都ポドゴリッツァは喜びに包まれた。ハンガリー代表を迎えた記念すべき初の国際試合で、ソコロビ(モンテネグロ代表の愛称。現地語で鷹を意味する)は、ローマで活躍するミルコ・ブチニッチのPKなどで2−1と歴史に残る初勝利を飾った。

 モンテネグロは、2006年6月3日にセルビアからの独立を宣言。ワールドカップ(W杯)ドイツ大会後に、サッカー協会も分離し、独自の代表チームを持つことになった。すでにユーロ2008(欧州選手権)の予選は組み合わせ抽選が終わっていたため、モンテネグロは参加できないが、2007年1月にはUEFA(欧州サッカー連盟)に加盟を済ませ、チームは親善試合による強化を行い、2010年W杯、そして2012年のユーロに照準を合わせている。

 モンテネグロの国際試合第2戦目の相手はくしくも、ユーゴスラビア代表の元監督、イビチャ・オシムが率いる日本。静岡・エコパスタジアムで行われるキリンカップの初戦である。そして、モンテネグロのサッカー協会会長を務めるのは、かつてレッドスター・ベオグラード、ACミランで活躍し、ユーゴスラビア代表でオシムの下でプレーしたデヤン・サビチェビッチ。キリンカップを直前に控え、ユニホームからスーツに装いを変えた“ジェニオ”(サビチェビッチの愛称)に、モンテネグロサッカー、そして代表で共に戦ったこともあるオシム監督について語ってもらった。


■モンテネグロ人はタレントを多く輩出してきた民族


――あなたはユーゴスラビアで生まれ育ちました。ユーゴスラビア代表と、レッドスター・ベオグラードでのプレーは、あなたのキャリアの重要な部分を占めています。だがユーゴスラビアという国はもう存在せず、その後継国だったセルビア・モンテネグロも昨年になくなり、モンテネングロは独立国になりました。あなたはモンテネグロ人ですが、モンテネグロの独立についてはどういう感想を持っていますか

 その通り。私はユーゴスラビアで楽しい少年時代、青年時代を過ごす幸運に恵まれた。ベオグラードでは忘れられない3年間を過ごしたし、セルビアには多くの友人がいる。しかしながら、ユーゴスラビアが分裂に至ったのは歴史的に避けられないものだった。そして悲劇的な戦争が起こった。とても残念なことだ。分裂は、武力闘争なしで行うべきだったし、それができたと思う。モンテネグロの独立要求に関して、私がそれを支持していたことは有名だが、モンテネグロが国民投票による平和的な方法で独立し、両国は今も友好な関係でいる。これは、非常に喜ばしいことだ。

――しかし、独立はモンテネグロサッカーにとって良いことなのでしょうか? セルビアと分かれた今、モンテネグロはW杯やユーロの予選を突破するチャンスが少なくなったのではないですか?

 その質問には簡単には答えられない。物事は白と黒の2つだけではないからだ。もちろん、モンテネグロが人口65万人しかいない小国だという事実は認識している。少なくとも今はまだ始まったばかりで、多くを求めることはできない。
 モンテネグロはUEFAとFIFA(国際サッカー連盟)の新しいメンバーであり、ゼロからのスタートだ。2010年のW杯、そして2012年のユーロの予選では、とても厳しいグループに入るだろうことも分かっている。
 だが、時間が経てばそういう状況も変化する。モンテネグロ人は、サッカーにおいてタレントを多く輩出してきた民族であることは周知の事実。だから、良い組織と少しの運があれば、いつの日か予選の抽選で最も低い扱いのグループではなく、シードされるような国になれると思う。
 また、モンテネグロのクラブがヨーロッパのカップ戦に出場できるようにもなる。非常にポジティブなことだ。

――だが、2006年W杯・ドイツ大会でのセルビア・モンテネグロ代表には、モンテネグロ人はGKのドラゴスラブ・イェブリッチしかいなかった

 確かにそうだ。でも、過去の状況を忘れてはいけない。例えば、1998年のW杯・フランス大会では、チームの半分くらいがモンテネグロ人だった(イビツァ・クラリ、ジェリコ・ペトロビッチ、ブランコ・ブルノビッチ、プレドラグ・ミヤトビッチ、デヤン・サビチェビッチ、控えではニシャ・サベリッチ、ドラゴイェ・レコビッチ)。

――あなたはセルビアの“ピクシー”ことドラガン・ストイコビッチと親友ですが、セルビアとモンテネグロが分離して、あなたたちの関係に変化はあったのでしょうか

 何も変わらない。ピクシーと私は今も友達だ。よく話しもするし、頻繁に会っている。ピクシーはモンテネグロ代表の最初の試合だったハンガリー戦にもスペシャルゲストとしてポドゴリッツァに来ていたしね。

<続く>

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