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タイの農村から見える
資本のグローバリゼーションに対抗する
農家のグローバリゼーション大野和興
自由貿易が何をもたらすか、それはすでに東南アジアの農村で明らかになっている。農産物貿易の自由競争が行き着く先は、互いの地域(国)の農業をつぶし合う未来だ。アジア各地の農村では、そんな不毛な競争に巻き込まれまいと、地域に根ざした技術や経験の交流が始まっている。
東北タイで韓国自然農業の養豚に出会う
イサーンと呼ばれる東北タイは農業と出稼ぎの地である。この地で、もう2年前になるが感動的な出会いをした。プラカーオ市という人口2万人ほどの小さな市を訪ねたときのことだ。この市は、「レインボープラン」と呼ばれる農業を基礎とした循環型地域社会づくりを進める山形県長井市と交流しながら、その東北タイ版ともいえる取り組みをしているところである。農民・町の住民・行政が連携し、生ゴミを堆肥にして地元の農家が使い、そこでとれた生産物を町の食堂が食材にするという循環をはじめたところだった。
長井市との違いは、長井市の生ゴミ堆肥化施設がセンター方式で、かなりの予算をつぎ込んだ大型施設なのに対し、ここは生ゴミ集めは市が行ない、それを農家に持ち込んでそこで堆肥化するという方式をとっていることだ。
そうした農家のひとつを見せてもらった。10頭ばかりの豚を飼う農家で、市のゴミ収集車で持ってこられた生ゴミはその豚舎にそのまま入れられる。入れながら熊手でビニールなどをより分けるのだが、相当に混じっていて、もし取り残しがあってそれを豚が食べてしまったらたいへんだなと思うくらい大量に出てきていた。
豚舎の発酵床に生ごみが運び込まれた(タイ・プラカーオ市) それはそうと、この豚舎の床の構造が変わっていた。1mほどの高さまでオガクズと土を混ぜたものを積み、その上で豚を飼っている。もしやと思って、同行してくれていたヨーさんにきくと、「コリアン方式だ」という答えが返ってきた。ミスター・チョー方式かときくと「そうだ」という。ここで韓国自然農業にめぐり合うとは思わなかった。ヨーさんは日本を農民交流で訪れたとき、この方式を見る機会があったという。
韓国自然農業の創設者・趙漢珪さんが仲間と工夫したこの養豚方式は、床全体が発酵槽のようになっていて、豚の糞尿をたちまち分解して良質の堆肥に変えてしまう。投入された生ゴミはすぐに豚の腹に収まるが、食べ残しも出る。そこに、生ゴミと製糖工場から出る副産物の糖蜜、それに地元で採れる薬草なども混ぜて発酵させた液肥をふりかける。すると豚舎の床の発酵が促進され、においもほとんどない。
長井市のレインボープランは、地域の農民と町の住民が共同の運動として積み上げ、今日に至ったものだ。人びとの知恵と工夫と努力がいっぱい詰まっている。その知恵と工夫が東北タイに運ばれ、やはり農民の伝統的な知恵のかたまりのような韓国自然農業の成果が加わって、イサーン・レインボープランを支える技術として独自の発展をしている。日韓タイの農民の知恵を目の当たりにして、感動しないではおられなかった。農民の内発的な自前の技術には国境はないことが実感できた。
農産物の輸出が伸びるほど借金が増える
農民運動家バムルン・カヨタさん 今年3月、またイサーンの村にでかけた。この旅であらためて感じたのは、農業をも巻き込んで地球規模で進む市場競争、いわゆるグローバリゼーションの影響が、タイの村々に深く広がっていることであった。
ヨーさんにも会った。「ヨー」とは、有名な農民運動家であるバムルン・カヨタさんのニックネームである。農民NGOであるアジア農民交流センターのタイ側発起人であり、日本の農民とは20年近い交流がある。長井市とプラカーオ市のあいだにレインボープランの橋をかけたのも彼だ。
日本の団塊の世代にあたるたくましい農民で、1990年代にはタイ全国を駆け巡って活動していたが、現在は村に腰をすえて、しっかりした農業と地域づくりをめざしてがんばっている。
彼に、「いま村でもっとも頭がいたい問題は何か」ときいた。「借金だ」という答えが返ってきた。借金の原因は農産物の価格低迷にあるということだった。
タイは80年代から輸出用農業育成に力を入れてきた。製品が飼料原料やデンプンとして輸出されるキャッサバやサトウキビ、製紙原料のユーカリ、日本の焼き鳥市場を席巻しているブロイラー、世界一の輸出量を誇る米などが代表的なところだ。これらの農産物を武器に、タイは世界有数の農産物輸出国になった。だが国際商品であるこれらの産物は、値動きが激しいうえに、輸出量が増えれば増えるほど価格が下がり、農民の借金が増えていった(前ページの表)
農産物輸出額は増えたのに農家経営は苦しくなった (タイ農業経済局統計) 1995年 2000年 農産物輸出額 4130億 6263億 農業所得(農家1戸当たり) 29,811 26,882 負債額(同) 24,672 37,231 単位バーツ・1バーツは約3.5円 自由貿易は農業のつぶし合いをもたらした
2000年以降、これに自由貿易の伸展が加わった。北タイの農村で活動しているNGO活動家のキンコン・ナリンタラックさんは次のように証言する。
「タイ政府は中国とのあいだでFTA(自由貿易協定)を発効させ、果物と野菜について2003年10月1日以降、関税をゼロとした。その9カ月後には、中国からタイへの野菜流入量は180%増加。果物も同様にタイが大幅な入超になった。中国からの輸入野菜や果物はタイ産のほぼ3分の1と安く、農家は大きな打撃を受けている。たとえばニンニクはタイでは米に次ぐ重要作物だが、中国からの輸入によって価格が35%下落、7万戸の農家が打撃を受けた。タマネギ価格は80%下落した」
05年にはタイ豪FTAが加わった。熱帯の国タイで、国民の需要にこたえながら営々と酪農を育ててきた15万人の酪農家がいま危機に瀕している。オーストラリアから入る乳製品はタイ産のほぼ半値。国内産を守るはずの関税は10年でゼロになる。90年代から急速に増えてきた肉牛経営にも打撃が出はじめている。
東南アジア最強の農業輸出国タイでさえこのありさまなのである。ASEAN(東南アジア諸国連合)で進んでいる自由貿易地域形成のなかで、こうした混乱はいまアジア全域に及んでいる。
タイはブラジルに次ぐ世界第2位の砂糖輸出国である。そのタイの砂糖がフィリピンに輸出されて、フィリピンの砂糖産業を構造不況業種に追い込み、フィリピンからは安いココナツがタイに入り、タイ産ココナツを半値に暴落させた。タイの砂糖はカンボジアにも入り、カンボジア農民の伝統的な現金収入の道であるサトウヤシから作る砂糖を衰退に導いている。
しかし先ほど見たように、その砂糖の原料を作る東北タイのサトウキビ農民は、国際競争に巻き込まれて製糖資本から原料買い上げ価格の引き下げを強いられ、年収の何倍もの借金を抱えて苦しんでいる。こうして、家族で耕す小さい農民はアジアのどの地域でも追い込まれ、しだいに土地から引きはがされ、土地なし農民が増えている。
農民技術がアジアを結ぶ
ここ20年、アジアの村々を機会をつくって歩いてきた。そこで気づくのは、いま日本の村で起こっていることと同じことが、タイで、インドネシアで、ラオスで、ベトナムで、カンボジアで、フィリピンで、韓国で、中国で起こっているということである。その地に代々生き、その地の風土に合わせて人々が共同して農業を営み、種を育て、技を工夫し、そこからとれる作物で食の文化をつくり、農と食を基礎に歌や踊りや音楽や詩を楽しむ、そんな百姓の存在が根っこから揺らいでいる様を、いたるところで見てきた。
だが、もうひとつ気付くことがある。それは地球規模の市場競争にさらされるなかで、人々は世界市場ではなく足元を見はじめていることだ。農民加工や農産物直売、循環型の地域づくり、生きものと共生する農法・技術の工夫といった日常の営みが、日本を含むアジアの各地で実践されている。
山形県長井市とプラカーオ市で進む、市民の手による循環型地域社会づくりとそれを支える韓国自然農業の技術はその一例にすぎない。日本の農民が作り上げたアイガモ農法はベトナム、韓国、中国で静かに広がっている。逆に韓国からは、韓国自然農業の農法体系が導入され、日韓農民が提携しての技術運動が進み、それがタイに運ばれて循環の地域づくりを支えている。農民直売・加工のアジア経験交流も動いている。
資本のグローバリゼーションに対抗する百姓のグローバリゼーションといってもいいかもしれない。田んぼや畑、暮らしの場での人々の実践が、いまアジアレベルで結び合い、巨大な力に対抗し始めている。おもしろい時代になったと思う。 (農業ジャーナリスト)
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