中国製のギョーザ中毒事件が明らかになって1カ月が経過した。日本と中国の警察当局が原因を追及しているが、依然としてやぶの中だ。消費者の不安は募る一方で、中国製品全般が売れ行き不振に陥っている。わが国は食の多くを海外に依存しているが、今回の事件であらためて食料自給率の低さが浮き彫りになったといえる。地球環境や途上国の実態を見れば、経済力に物を言わせて食料を買いあさることを続けるべきではない。ギョーザ中毒事件を、食のあり方を問い直すきっかけにしたい。
まず、原因究明について一つ注文したい。28日の中国公安省の会見は、日中両国が緊密な連携の下で原因を追及していることを否定しかねない内容だ。双方の思惑やメンツが複雑に絡んでいると言えなくもないが、国民の健康被害にかかわる重大な事件であることを再確認し、真摯(しんし)に早急に原因を究明する姿勢を日中両国に示してもらいたい。
今回の事件が起きてから、日本の消費者は中国製品全般を敬遠している。不安があるのだから当然なのだが、「いやだ」というだけでは問題の根本的な解決にはならないのではないか。日本の食料自給率は39%で、多くの国に食料を依存している。中でも中国は、安価な生産費によって低価格な商品を実現できる国として、企業の開発輸入が一段と進んでいる。
しかし、未来永劫(えいごう)、食料を頼れる国はあるのか。中国では水資源の危機、食料自給、3農問題などが横たわっている。また、大豆や小麦など原材料をみれば世界的規模での不足が長期化しそうだ。食料輸出の停滞がいつ、どこの国で起きてもおかしくない状態にある。自給できる食料は自給する、それは国民の生命と財産を守るため当然のことといえよう。「安さ」と引き換えに農業を売り渡すわけにはいかないのだ。
ただ、景気が回復したとはいいながら、所得が向上せず消費の低迷が続いているのは事実。安定した価格で安定的に食品を供給するのは、生産する側の責任である。コストを抑えて、互いが理解できる価格を探ることは不可能ではない。生産、流通、消費の3者で利益を3配分する考え方があれば、新たな食品流通の創造にもつながる。
今回の中毒事件は極めて残念な結果だが、食の今後のあり方を考える上では貴重な教訓。中国製のギョーザを発売した日本生協連も、スーパーと対峙(たいじ)して組合員の暮らしと安全を守ろうとしたことは間違いない。ただ、価格競争の渦に巻き込まれて商品開発を進めてしまったことが、今回の事件の背景にある。小売りの寡占化に対峙するためにも、商品開発の抜本的な見直しに積極的に乗り出し、組合員に食のあり方をあたらめて提案する運動を引き起こしてはどうだろう。