「過去からの手紙」
初夏の清々しさと言いたいが、早くも真夏の光が容赦なく射し、トタン屋根の小屋の中は
既に蒸し風呂状態だったが、動けば腹が減るだけなので、早起きはしないことにしていた。
新聞配達のバイクの音が聞こえる頃には、目は覚めているのだが、うつらうつら、してる
気持ちよさには勝てない。
けいママの店が開くまで、寝てるのが、日課なので、その日もボ〜っとした頭で転んでいた。
自分では、須野婆さんの小屋よりは、ましだと思ってるようだが、婆さんの小屋には、財産
と呼べる物も、多少はあるので、婆さんは、あぼ貧乏探偵よりは、良い暮らししてると自負
していた。
婆さんの小屋もボロボロだが、小屋の敷地は自分の物で、小金も貯めてるので、ポンポコ
よりは、遙かに資産家と言える。
ポンポコの小屋は、不法占拠ではないが、幼馴染みの寺の住職ユージの所有地を勝手に
使ってるので、半分不法占拠だが、ユージも諦めていた。
新聞を採ってる訳では無いので、新聞配達のバイクは小屋の前を素通りするだけだが、時計代わりに
なるので、重宝しており、その日もバイクの音を聞き、目を開けると、通り過ぎるはずの音が
小屋の前で止まった。
不思議に思ったが、直ぐにまた音がしたので、新聞屋の奴、間違えたか等と思いつつ寝てると
暫くして又、バイクの音が近づいてくる。
その音はいつものように、小屋の前を通り過ぎ、いつものように遠ざかっていった。
直ぐにはわからなかったが、暫くして、小屋の前で止まった音は、何だったのか??
気にはなったが、眠い目をこすりながら、起きる気もせず、けいママの店に行くまで
いつものように寝ていた。
幹線道路に近いこともあり、通勤時間帯になると騒がしく、丁度その頃が、開店時間でも
あるので、いつものように起きだし、顔を洗おうと、外に出ようとする入り口の潰れかけた
扉の隙間に、白い物が見える。
その時、今朝のバイクの音を思いだし、その白い物を手に取った、封書であった。
郵便配達だったか!等と一人納得していたが、幾ら起き抜けのボケた頭でも、新聞配達
が来るような時間に、郵便が来るわけもないことに、気づき不思議に思いつつ開けて見ると
上質の和紙で、しかも巻紙に毛筆という、代物だった。
ただ、余りに達筆すぎて読めない部分が多くあったが、仕事の依頼で有ることは、間違い
無いようだったが、腹が減っては戦は出来ぬで、取りあえず、けいママの店へと向かい
トーストとゆで卵にコーヒーの朝飯を食べながら、改めて読んで見るが、いかんせん難しい
表現を使ってる上に、草書体で書かれた文字には、手こずった。
いったい何者だと思い、その時なって初めて、差出人をみると、「ゆきこ」とあるだけで
住所はむろん、宛名であるポンポコの名も記されて無かったが、文面から明らかにワシに宛てられた
物だが、しかし誰だ??
「ゆきこ」と名乗る女性には記憶が無く、おまけに古風な表現に文体を使いこなすような
才媛の知り合いもいなかった。
唯一可能性があるとすれば、夢幻館の静さんくらいだが、「ゆきこ」とは名乗っていないからな。
他は、アホばかりで、ろくなのがいない。
そんな事を考えてると、歩子が入ってきた。
「オッハー」
アホの代表が来たと、思ってると、目ざとく手紙を見つけ、訝しげに見るではないか。
厚かましくワシの前に座り、手紙を見て、「ヘ〜〜ポンポコちゃん、こんな難しい字よめるの?」
当たり前じゃ、お前と一緒にするな!!
そうは言ったが、読めない部分が相当あり、苦労していた。
ママがモーニングを運んできて、「私もさっきから気になっていたのよ、何なの??」
仕事の依頼じゃ!!
そう言って、しまった!と思った、下手に仕事が入った等と言おう物なら、溜まってるツケ
を払えとか、悪くすると全部取り上げられる。
「アラァ〜〜仕事!?よかったわね、ツケが払えるわよ!!」
うぅぅぅ・・・
不味い事になった、いつものパターンにはまりそうじゃ!
だいたい、歩子が現れると、ろくな事がない、疫病神じゃ!!
口には出さぬが、心の中で呪っていた。
テーブルの上の手紙を二人で読み出し、難しいわね〜〜読めない!等と言い出し、ワシに
なんと書いてるのか聞いてきた。
ワシが返答に詰まってると、「な〜んだ!ポンポコちゃんも読めないんだ!」
アホ〜〜ワシは、半分は読める、お前らとは違う!!
「半分くらいなら、私も読めるわよ!」
二人して、そんな事を言い出し、最後には静さん所に持ち込もうと言い出したので、
それだけは、阻止しないと、とんでも無い事になる、静さんなら読めるだろうが、係わって
欲しくないのが、大勢でてきて、結局ボロボロされる。
その時、ふと思いついたのが、ユージだった、一応坊主なので、毛筆それも古い字体や
表現にも慣れており、彼奴なら読めるとふみ、ユージの所へもっていく事で、その場を
誤魔化した。
ママは店があるので、来なかったが、お目付役として、歩子が付いてきた。
坊主丸儲けと言われる通り、悪どく稼いでるらしく、子供の頃の遊んでた寺も、いつの間にか
建てかえられ、ワシの小屋とは大違い、うぅぅぅ・・・
中にはいると、若い修行僧らしいのが数人いて、迎えてくれた。
いったい、何時の間に、修行増を置くほどの寺になったんだ?
昔はボロボロの荒れ寺だったが・・・
彼奴の土地を勝手に使ってる事もあり、あまり言えないが、そうとう悪どい事してるな??
通された部屋も落ち着いたいい部屋で、寺と言うより料理屋みたいな造りで、でてきたお茶も
高級な物だった。
暫くして、ユージが現れ、顔を見るなり、「お前なぁ〜〜何時まで俺の土地を不法占拠する気だ!?」
そんな事を言いつつも、顔は笑っており、ワシの来訪を喜んでる様子だった。
友達とは良い物だ、横にいる歩子をはじめ、いつもの、ろくでもない連中とは大違いじゃ!
「今日は、何の用だ?金でも借りに来たのか??」
違うわい!
実は、お前に読んで貰いたい物があって、持ってきた。
そう言い、手紙を見せると、「ホォ〜〜ヘェ〜〜今時こんな文章書く人がまだいるんだ」
等と言いながら読み出すと、徐々に顔が真剣になっていき、最後には、何処で手に入れたんだ?
それは、ワシに来た仕事の依頼だ!
そう言うと、仕事な、確かにそうかも知れんが、名前が書いてるだけで、連絡先も何もない
のが、依頼か??
確かに言われてみれば、そうだが、兎に角、内容を教えて貰って、ユージじゃないが、ほんとに
依頼かどうか怪しくなってきた・・・
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「ゆきこ」と名乗る女性が、ワシに送ってきた手紙には、およそ考えられないような事が
つづられており、にわかには信じられなかった。
側にいた歩子など、手紙かも知れないけど、ポンポコちゃんじゃなく、他の人に送った物
じゃないのと、疑うほどだった。
ユージも、いま俺たちが生きてる時代の話しとは到底思えないし、もし依頼だとすれば
何が目的かわからない。
「ゆきこ」に思い当たる事でもあるのか?
そう聞かれても、思い当たることなど何もなく、ましてや西郷隆盛の遺産と言われても
見当も付かなかった。
「ゆきこ」と名乗る女性は、西郷隆盛が残したと言われる、自分の出自に係わる証拠を見つけて
欲しいとあるが、これはかなり疑問である。
西郷隆盛の娘と称しているが、西郷隆盛の没年から考えて、その子供が現在も生きてるとは
到底思えず、更に自分に残された遺産も探し当てて欲しいという。
ワシの知ってる限り、西郷隆盛に「ゆきこ」と言う子供はいないが、可能性は無くはない。
そう言うと、歩子が西郷隆盛って浮気してたの?等と言い出したが、彼は島流しにあってた
期間があり更に、それ以外の期間でも、各地を転々としてるので、隠し子が多数いると噂は
あり、実際かなり信憑性の高い話しも多い。
「へ〜〜そうんなんだ、彼女が西郷隆盛の子供という、可能性もあるんだ」
可能性はあるが、西郷が死んだのは、明治10年(1877年)じゃ、その年に生まれたと
しても、生きてれば130歳近いことになる、生存してると思うか?
う〜〜ん、ちょっと無理よね・・・
その時、ユージが西郷は、城山から脱出したと言う、話しを聞いた事があるそ!
噂が有ることは知ってるが、義経伝説と同じで、判官贔屓のたわいない話だな。
西郷脱出説の有力な証拠とされる、西郷の死体が発見されて無い事だが、数人だけで戦って
いたのなら、見つけるのも簡単だろうが、多数の人間が城山に籠もり、しかも砲撃を受けてる
西郷自刃のあと、遺体を埋めたらしいが、砲撃で遺体が吹っ飛ばされた可能性も高く、おまけに
政府軍には、弟の西郷従道もいたんだ、たとえ遺体が発見されていたとしても、晒し者に
すると思うか?
政府軍にも政府の重鎮にも西郷と親しかった連中は大勢いる、あえて彼の遺体を探し出し
どうにかしようという、空気は無かったと思うな。
「じゃ、彼女は何者??」
わからん!!
ただ、西郷の子孫というなら、可能性は高いが、自称西郷の血筋というのは、大勢いて
今でも、それを売り物にしてる連中も多いと聞いてる。
「なるほどね、じゃ、遺産ってなによ?」
それも、わからん!
ユージが文面からすると、軍資金??らしきこと書いてるぞと言い出したが、それも可能性と
しては、低いと言わざるえないな。
当時、西郷軍は資金不足で悩んでいた、その結果、西郷札と呼ばれる軍票を発行してた
くらいだ、軍資金があるなら、そんな物、発行せんだろ!
「えぇぇ〜〜じゃ、この手紙は、大嘘って事!?」
まぁ、大嘘とまでは、いえんがな!
西郷の子供と言うのは、嘘くさいが、軍資金ならあり得る。
「いま、無いって言ったじゃない!!」
無いと言っても、無一文という、意味じゃない、軍を動かすほどの金は無かったかも知れないが
個人資産レベルで考えれば、そうとう持っていても不思議はない。
下野するまでは、明治政府の重席にいたんだ、庶民とは違う。
するとユージも、確かにな・・・
兎も角、この手紙の事は、暫く考えてみる、調査始めるかどうかは、それからだ。
「上手いこといって、抜け駆けしようと思ってるんでしょ?」
アホ〜〜抜け駆けしようにも、こんな雲を掴むような話しで、どう抜け駆けするんだ!
「今までの事があるからねぇ〜〜」
まったく・・・・
その日は、ユージの奢りで一杯のみ、翌朝、封書をもう一度見直してみると妙な物が出てきた。
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封筒の奥から、小さく畳まれた、二つの紙切れがあり、その一枚は西郷札だった。
古びてるので、真っ白ではないが、もう一枚は同じくらいの大きさで、白紙だった。
もしかして、あぶり出しか??
そんな事も考えたが、それはないと思い、みてみるが、わからなかった。
腹が減ってきたので、いつものように、けいママの店に行くと、予想はしていたが、歩子・音子姉妹
が揃っていた。
また、今回もこの連中に付き合わされるのかと思うと、憂鬱だったが、謎解きするには
便利な所もあるので、仕方ないか・・・
早速ママがやってきて、軍資金が有るらしいわね!と満面の笑みを浮かべてるではないか。
あるか無いかは、調べてみないとわからん、相当、胡散臭い手紙じゃからな!
ただ、封筒の中から、こんな物が出てきたと、二枚の紙片を見せると、興味津々で三人が
覗き込んでたが、何かわからず、最後は地図か何かじゃ?
等と言い出したが、少なくとも地図じゃ、無いことは確かだった。
この文字を書いてる方は、西郷札じゃ、もう一枚はワシにもわからん。
ママが、此が西郷札??話しには聞いたこと有るけど、意外とショボイ物ね!
札と言っても、軍票だからな、紙幣のように精密には出来てない。
すると、歩子が、こういう物なら、そよ代ちゃんが、詳しいかも?
彼女、絵描きだし古文書にも詳しいから、そう言われてみればそうだった、猫神社の古文書
も彼女に解読して貰ったことがある。
歩子は早速、連絡して、お昼過ぎに店で待ち合わせる事になったので、一度小屋に戻り昼寝
してると、扉を叩く音が聞こえてきた。
扉を開けると、どう見ても20代前半としか見えない、女性が立っていた。
「私がお手紙さし上げた、ゆきこです」
えっ!!一瞬絶句してしまった。
あんたが、ゆきこさんか?
軽くうなずき、そのばに立ってるので、招き入れ、話しをすることにした。
ハッキリ言うが、あんたの名前が「ゆきこ」というのはいいが、西郷隆盛の娘というのは
信じられん、時代が合わない。
「そう言われると思っていました、でも事実です!」ときっぱり言い切る。
じゃ、聞くが、歳は??
「21歳です!」
西郷隆盛は明治10年に城山で自刃しておる、あんたが130歳近いというなら信じるが
21歳の娘がいるわけ無いだろう。
「でも、ほんとうなんです」
じゃ、西郷隆盛は少なくとも21〜2年前まで、生存していたと言うのか?
そっちの方が、よけいに信じられんが。
「父は、私が生まれる直前まで生きていました」
えっ!!何と!!
信じられん、ワシの記憶に間違い無ければ、城山で自刃したとき既に49歳、その後
あんたが生まれる直前までとすれば、160歳近い歳になってたはず、到底考えられん
事じゃが??
100歳くらいまで生きる人はいるし、それ以上の方も、希にいるが、160歳は聞いたことが無い。
「でも事実なんです」
じゃ、事実としよう、それで西郷隆盛は何処にいたんだ?
城山での自刃は、なんと説明する?
彼女の語る所によると、西郷は政府軍内の支援者の手引きで、城山を脱出、流罪となったとき
いた奄美大島から沖縄さらには、与那国島へと逃れ住んでいたらしい。
彼女も与那国島生まれ育ったと言うが、にわかには信じることは出来なかった。
今でもそうだが与那国島と言えば、当時も離島で、現在以上に隠れ住むには、これ以上の
所はないだろうか、160歳近くまで生きていたとも思えんし、西郷が部下を死なせて自分だけ
生き残る道を選ぶだろうか??
城山から脱出したのは、再起を図るためとの事だが、余りに西郷らしくない・・・
側近の物が一人も着いていかなかったのは、西郷脱出を偽装するためと言うが、今頃に
なって、何故軍資金を探すのか?
与那国島に脱出したのが、西郷本人なら探さずとも、軍資金の在処など知ってるはずで
ワシが、調べる事など無いはず?
矢継ぎ早に出す、ワシの質問に、彼女も戸惑っていたが、概ねすんなり答えた。
父も城山での自刃を望んでいたのです、政府軍の銃撃で負傷していた父は、伝えられるように
別府晋介に介錯を頼み、自刃できる状態では無かったのです、既に意識はなく、背負われて
山中を移動しており、そんな時、大久保利通からの密使がやってきて、父の脱出が決まったのです。
ただ側近が一緒に消えれば疑われるので、側近の方は全員、討ち死にか自刃したのです。
大久保利通は西郷の幼馴染みで、盟友だったが、意見が合わず結局、袂を分かつ事になり
政府軍を派遣したのも、大久保のはずだが、何故、脱出を??
弟の西郷従道が手引きしたと言うなら、まだわかるが?
叔父も父の脱出を画策したようですが、回りの目もあり、果たせなかったそうです。
大久保様は意見こそ違え、父の才能を散らすのが惜しく、脱出させ時期を見て、父の
政界復帰を考えていたようですが、暗殺されてその夢は果たせなかったのです。
極秘の計画でしたから、叔父でさえ父が生きてることを知ったのは、晩年だったそうで
時すでに遅しで、父が世に出る機会は無くなったのです。
父も、生き恥を晒すのが嫌で、自ら出て行こうともしなかったそうです。
なるほどな!
口では、納得したような事を言ったが、西郷脱出は当時から噂があり、本当かも知れんが
彼女が西郷の娘と言うのは、信じられん。
孫かひ孫とでも言うなら、まだ信じられるが。
彼女を、ママ達に引き合わすと、また暴走しそうなので、今日の所は、引き上げて貰い
こっちで、調査する事にした。
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昼飯も食べるつもりで、早めに店に行くと、みんな来ていて、ユージまできてた・・・
お前何しに来たんだ?
西郷札がでてきたと聞いて、興味が有ってなと言いつつ、ワシの持ってる封筒をしきりと
見ていた。
すると、そよ代ちゃんが、例の物見せてくれると言うので、見せると、専門家だけあって
直ぐに、答えを出してくれた。
一枚は、西郷札に間違いないわよ、もう一枚は原紙よ!
原紙??
西郷札じゃなく、本物の紙幣のね!
な・なんじゃと!!
これに印刷すれば本物の札ができると言うことか?
う〜〜ん・・・い・・一万円札にできんか??
何考えてるよ、現在の紙幣とは紙質が違いすぎるし、一枚だけじゃ、印刷しても採算取れない。
だ・・だめか・・・
回りの連中も呆れていた・・・うぅぅぅ・・・
しかし、本物の紙があると言うことは、偽造する計画でもあったのか??
ユージは、あり得ない事じゃ無いな、資金にはそうとう苦労してたらしいからな。
西郷は政府の要人だったのだから、紙幣用の紙を手に入れる事も、可能かもしれん?
午前中に手紙の送り主が、訪ねて来たことを、話すと、みんな大騒ぎで、歩子・音子姉妹など
なんで連れてこなかったと怒鳴り出す始末・・・此だから連れて来なかったんだ。
連れて来ると、暴走しだすのがいるから、連れて来なかったんだ、それに相当、胡散臭い
話しだからな。
一応話すと、みんな納得という顔してたが、早速、財産探ししようと言い出すし、予想通りの
結果だ・・・
だいたい、西郷隆盛に今年21歳の娘がいると思うか??
ユージは、城山から脱出したところまでは、信じてもいいが、その後の事はな・・・
しかし、事実ならたいした物だ、160歳近くになって、子供を作るなど、男の鏡と感心してる
し、例の姉妹は、相当な財産持ってそうだと喜んでるし、この連中はいったい・・・
ママは、彼女が西郷隆盛の娘だとして、いったい何が目的なの?
さっき、話したろ、手紙に書いてた、出自に関する事より、財産が欲しいのだろうな。
でも、財産って??
西郷隆盛が勝海舟と江戸開城の話しをしたときに、勝が徳川家に伝わる財宝の一部を手土産
代わりに、西郷に贈ったらしいんじゃ。
西郷は固辞したらしいが、勝は、勝手に置いていったらしい。
西郷は金にはわりと無頓着だったので、将来国のために使うことも有るだろうと思い、管理は
部下に任せていたんだ、それが西郷札を出すときの担保となってた可能性もある。
だが、西南の役の前にも先にも、それが処分された形跡が無いので、彼女はまだあると
思ってるようだ。
鹿児島の西郷家か弟の西郷従道が保管してる可能性もあるらしいが、それらしき物があると
言う話しも無いらしい。
その財宝ってどんなの?
それも、よくわからん、これから調べるが、徳川家から西郷に何か贈られたというような
記録はおそらく、無いと思うがな。
可能性があるとすれば、島津家だろう?
島津家から徳川家に嫁に行った篤姫(天璋院)との繋がりがあるから、可能性はある。
それと彼女は、行方不明の姉を捜して欲しいとも言ってたが、見つけるのは此が、一番
簡単かも知れん・・・
ユージが、西郷が脱出したとして、その後どうやって生きてたんだ?
ワシもそれが不思議だった、金額はわからないが、大久保利通がかなりの額の金を持たせた
ようだが、それだけでは、これまで生活できんから百姓してたそうだ。
西郷性は名乗れないので、別人に化けていたらしいが、大久保利通を始め少数の元老からの
指示で、住民の調査もいい加減だったみたいだ、旧琉球王国の領地でもあり、戸籍などどうとでも
なる時代だからな。
なるほど、当時なら戸籍の改ざんなどわけないだろうな。
で、調査だが取りあえず、彼女の出自から調べる、誰か与那国島へいってくれんか?
ワシは、西郷に徳川家から贈られた物があるかどうかを調べる。
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音子が観光で一度訪れた事があると言うので与那国島へ行くこととなり、歩子とそよ代ちゃん
は、行方不明の姉の調査、今回はユージも参加してくれ、ワシと共に、西郷家と徳川から
贈られた物を調べる事になった。
しかし、調べると言った物の、何から手を付けて良い物かわからず、依頼人である「ゆきこ」
に会うことにした。
それと問題は、依頼料だった。
数日後、彼女は小屋にやってきた、手には大きめの紙袋を持ち、以前あった時と違い、いかにも
現代風と言う、いでたちであった。
彼女に此までに経緯を話し、依頼料の事を話すと、財産と呼べる程の物はほとんど無く
いま、用意出来る物は、此だけですと紙袋をさしだした。
中をみると、大量の西郷札と例の紙幣の原紙が入っていた。
此だけあれば、相当な金になると、彼女に話すと、彼女も驚いていた、西郷札は現存する物が
少なく、マニアの間ではかなりの値段で、取引されてる事を話し、預かったが、此処に
あるだけでも、数千万分はあるだろう?
此だけの量の西郷札を持ってると言うことは、西郷隆盛の娘と言うのは怪しいが、何らかの
繋がりがあることだけは、間違い無さそうだった。
与那国島へ行ってた、音子も帰ってきたので、調査報告を兼ねて食事しようと言うことで
昼食は、けいママの店へ向かうと、途中で歩子にであった。
「お姉ちゃんから話し聞いた?」
何も聞いてない、いまから聞くために行くところだ。
「色々面白いことがわかったよ、後で話す」
二人で店に入ると、みんな揃っており、早速、これまでの事を、話し出した。
音子の話しによると、彼女が与那国島で生まれ育った事だけは、確かだった、それと姉が
いると言うのも、事実であった。
ただ、彼女の両親については、不明な点が多い。
彼女は母親と住んでいたのだが、父親はかなりの高齢で死亡したと言うだけで、西郷隆盛
かどうかはわからず、年齢に付いても、100歳以上という可能性は低いとらしい。
戸籍を調べたらしいが、彼女は母親の籍に入ってる、つまり父親は不明で父親と思われる
人物の戸籍が存在しないらしい。
音子ちゃんも、その辺りが不思議で沖縄でも調べたらしいが、わからずおわった。
意図的に、戸籍を消す場合もあるが、昭和の始めくらいまでは、結婚しても籍を入れず
子供が生まれても、届けない等と言うことは、珍しい話しではなく、往々にしてあった
事なので、彼女の父親もそうした一人かも知れない?
おまけに、西郷隆盛と何らかの関わりがあれば、場合によっては、存在しない人となり
生きることも考えられる。
ユージが調べていた、徳川家からの贈り物だが、此についても、記録はなく、甚だ怪しい
状態だが、もしかすると、彼女が持っていた、西郷札が鍵かも知れない?
ワシが、大量の西郷札を見せると、大騒ぎになり、早速換金しようなどと、言い出したが
これは、預かってるだけで依頼料じゃ無いといい、何とか納めたが、けいママと変人姉妹は
あきらめが使い無いようだった・・・
そよ代ちゃんが紙幣の原紙を見て、面白いことを言い出した。
明治初期は、印刷技術が未熟だった事もあり、紙幣の多くはドイツで印刷されており
国内で本格的に印刷されだした明治中期以降の原紙の可能性が有るという。
それが事実なら、西郷が城山から脱出した時期と合わないので、原紙が使われていた時期を
調べる事にした。
かなり読めて来たぞ!
ワシの想像通りなら、面白いことになる。
歩子ちゃんもママも、何が面白いの?
不思議そうな顔してたが、調査が進めば解る事じゃ!
行方不明の姉を捜してる内に、面白い話しを音子ちゃんが聞いてきてる、「ゆきこ」の姉は
「めぐ」と言うらしく、沖縄の高校を卒業したあと、女子プロレスラーになりたいと言って
東京へ行き、その後行方不明らしい。
歩子ちゃんが、何処かで聞いたような話だと思わない?
そう言われれば、例のMと似てる気はする。
彼女の素性については、謎の部分が多いから、あり得ない事じゃない?
そして、調査は続き、数日後・・・
………………………………………………………………………………………………………………
ユージから会えないかと連絡が入り、寺へ行くと、意外な人物がワシを待っていた。
メグだった・・・
ワシの顔見るや開口一番、妹から、金を騙し取ったでしょ?
詐欺師〜〜!!
え!おかしな事を言うな!
ワシは、調査のため預かっただけだ!!
ユージまで、お前なら、やりかねんからな等と言い出すし・・・
何とか落ち着かせ、話しを聞くと・・・
父親の事は、メグも知らないようだった、ただ子供の頃に母親から、お爺ちゃんと教えられた
人はいるという。
西郷札が家にあることは、子供の頃から知っていたが、田舎と言うこともあり、値打ちのある
物とは、彼女も母親も知らなかったらしい。
母親の話では、明治の中期に島にきた鹿児島の男が、島の女性と結婚し住みついたそうで
その男が母親の父親つまりメグの祖父にあたるらしい?
西郷札はその男が持ってきた物らしい。
男の名は、「大島某」
西郷隆盛は一時期、「大島吉之助」と名乗っており、その頃、奄美大島に住んでいたが
沖永良部島に遠島処分となってる、もしかするとその頃知り合った後の部下が「大島」
を名乗り、何らかの理由で与那国島に住みついた可能性が高い。
メグは金を返せと迫ったが、妹から預かった物だから、後日、妹同席の上話しをすることで
その場は、収まったが・・・ワシにも相当恨みがあるらしく、殴られるかと思った・・・
しかし、ユージも厄介な相手と引き合わせてくれた物だが、お陰でかなり読めてきたが、
ユージも誰が来てるか先に言って貰わないと、一人で来たからいいものの、歩子ちゃんを
伴っていたら、血の雨が降るところだった・・・
ユージの調べでも、徳川家からの財宝は確認出来なかったが、面白い話しを聞き込んでいた。
西郷札を出した頃、大坂や京都の両替商に大量の西郷札が持ち込まれたそうで、換金に
応じた所も、多いらしく、それが軍資金となったようである。
両替商も西郷軍が勝利したときの保険として、応じたようであるが、無論そのことは政府には
伏せられ、西郷軍の敗北で、紙くずとなった後も、長く保管してたらしいので、西郷隆盛の
城山脱出を画策してた形跡もあるらしい。
その両替商の子孫から話しを聞けたらしく、かなり確証は高いと思われ、それによると
桐野利秋、篠原国幹、村田新八ら薩軍幹部は、当初から政府軍に勝てるとは思っておらず
ただ大久保利通を初めとする、薩摩出身者に一矢報いる為に始めた可能性が高く、一戦交えた
後は、速やかに琉球に退き、独立国を造る計画があった。
その為に、西郷札を持たせた複数の部下を、琉球を始め周辺の島々へ派遣したというのである。
所が、挙兵に応じた者が予想以上に多く、西郷に心酔してる主戦派ばかりとなり、引くに
引けなくなった結果が、城山での西郷の自刃らしい。
城山に籠もるまでの間にも、西郷を脱出させる計画は多くあったのだが、政府軍に多くいた
会津を始め旧幕軍出身者の薩摩憎しで固まってる連中に尽く潰され、城山で最後を迎える
事になったそうである。
その辺りの事情を考えると、西郷が城山を脱出した可能性は低いが、政府軍が城山に総攻撃
を加えるまで、そうとうな時間があったので、桐野利秋ら幹部が囮となり、脱出した可能性も
捨てきれないが、部下を見捨てるような性格じゃ無いので、城山に入るまでに、負傷していた
なら、可能性は高い。
西郷は元々、今で言う、高血圧の持病があり、歩行困難な状態になることも事もあった
ようなので、病気治療の名目で、戦線離脱した可能性はある。
ユージの調べでは、それ以上の事は解らなかったが、ワシの推理が当たってれば、
「ゆきこ」「めぐ」姉妹は、西郷隆盛の子孫で有る可能性が高い。
西郷隆盛には、菊草・菊次郎と二人の子供がいるが、他にも多数の子供がいると言われている
菊次郎は父に従い西南の役に参加し負傷離脱して後年、初代京都市長となったが、
同じように、参戦した息子がいたが、城山で負傷し意識を取り戻した時には、政府軍に
捕らわれたが、西郷姓を持っていなかったため、後に放免された子供がいたと、噂がある。
彼は元々、琉球へ行くべき人物では、無かったろうか?
西郷が江戸詰の頃に出来た子供らしく、その後、京の商家で育てられた経緯から、両替商
とも繋がりがあってもおかしくない、さらに彼を育てた商家とは伏見の寺田屋との説もある。
寺田屋は伏見薩摩藩邸にも近く、薩摩藩との関係から見ても、あり得ない事ではない。
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その後も、調べを進めたが、結局それ以上の事はわからず、調査を終わることになったのだが
大きな問題があった・・・
調査費である・・悪くすると今回も無いかも知れない?
うぅぅぅ・・・・
ゆきこから、西郷札は預かってるが、出来ればそのまま返してやりたい。
メグは毎日のように小屋にやってきて、ドロボーだの詐欺師だの言うし・・・
メグと歩子が顔を会わせないようしてるが、この調子だとワシの小屋の前に、血の雨が
降る日も近いだろうな・・・・
取りあえず、ゆきこに会い、此までの経緯を話すと、「私の父は西郷隆盛じゃ、無かった」
そういい、寂しそうにしてたが、西郷隆盛の子孫で有ることは間違いない旨伝えると
少し、元気になり、姉のメグが作ったプロレス団体で働きたいという。
西郷札はその為の資金に使うらしい。
ただワシへの謝礼として、西郷札の一部が貰える事となり、ついでと言うか、無価値な
原紙も貰うこととなった・・・うっひっひ・・これが欲しかった・・・
むろん、原紙の事は、他の連中には内緒である。
翌日、皆をママの店に集め、事の経緯を説明し、西郷札はママに預け換金して貰うことにした。
いつもの事であるが、ワシは交通費くらいしか貰えず、ガックリを装い店を出た。
笑いがこみ上げてくるのを我慢するのが難しかったが、そこは、長年の探偵としての
力量で、名演技したのである。
数日後、ワシは、そよ代ちゃんの家にいた。
な・頼む・・・た・の・む・・・
こないだも言ったでしょ、紙質が現代の物と違うから、出来ないって!!
そこは名人が何とかして・・・
私を偽札作りの名人と思ってるの??
磁気インクも手に入りそうなんだ、それだけの枚数があれば大儲けできる!!
アホ〜〜〜
私は趣味で描いてるだけで、偽札作ってるわけじゃない!!
そんな事、言わす、仲良くやろう。
そんな会話が夜遅くまで続き、結局断られ、紙くずを持ち、小屋へ引き上げると
けいママが待っていた。
どうもおかしいと思ってたのよ!
そう言うなり、手に持ってたフライパンで・・・・
うぅぅぅ・・・・
紙くず同然とはいえ、ワシが持ってると、ろくな事が無いといい、原紙を取り上げ
小屋の中を、きったないわね〜〜等と言いながら、探し始めた。
何を探してるんじゃ??
原紙なら、他にはないぞ!!
明治政府発行の金貨よ!!
き・き・ん・か??
そんな物、あるわけ無いじゃろ!!
ユージさんから聞いたの、西郷軍は金貨を相当持っていたと?
あのなぁ〜〜
西郷軍は金貨持ってたかも知れんが、それが何で、此処にあるんじゃ?
だって、調査と言って、姿くらましてたでしょ、数日間。
あれは、調査じゃ、金貨があれば、原紙など必要無いだろうが!!
しかし、女の感とは恐ろしい物がある、ワシが想像もしなかった事考えておる。
確かにワシは、数日間、正確には、三日じゃが、姿を消していた。
数人の人に会うため、出かけていたのだが、そこでも金貨の話しはでていた。
そのことを、ママに話す訳にはいかないが、西郷軍が相当量の金貨を持っていたのは
事実で、しかもその金貨の出処は、徳川の軍資金なのである。
薩摩・長州共に維新を成し遂げ、明治政府を立ち上げた頃には、資金は殆ど底をついて
おり、政権維持所か、日々の暮らしにさえ困る程だった。
そこで目を付けたのが、伝説として当時から有名だった、家康が埋めたと伝えられる
埋蔵金だが、薩摩も長州もそんな物は、とうの昔に幕府が使ってる事は知っていたが
最後の最後に使うべく、残して置いた、資金が有ることは知っていた。
勝海舟との密約で、徳川本家の復権と引き替えで、それが明治政府に引き渡されたので
ある。
事実、徳川本家は十六代当主、徳川家達が明治17年華族令の発布と共に華族制度の最高位である
公爵に任ぜられ、その後30年の長きに渡り貴族院議長を勤めた事からも、徳川家の
復権はなされたと言うことである。
実は、その資金で作られた金貨の多くが、伏見の薩摩藩邸に持ち込まれ、薩摩軍の資金と
なる訳だが、大方は行方不明となっている。
西南の役の前、大坂から薩摩藩の船が急遽出航してるのだが、荷の一部は薩摩に降ろしたが
残りは、行方不明となっている、此は、西郷の息子が住んだ与那国島に隠された可能性が
高い、いつの日にか、政府に反撃するときの資金として、西郷札と共に持ち込まれたのだが
その日は来ないままに、地に埋もれてると思われる。
そんな事、ママに話した日には、即、与那国島に送られ、見つけ出すまで、穴掘りの
日々を送り、西郷ではないが、ワシが遠島処分となる・・うぅぅぅ・・
しかし、機会が有れば、行ってみたい、むろん行くときには、穴掘りのプロ、須野婆さん
を連れて行こうと思うが、あの強欲婆さんの事だから、独り占めにするかも知れん?
やはり、一人がいいか?
何れにしても、ママには話せん!!
西郷隆盛は城山で自刃したのか?
脱出したのか?
永遠の謎となるかも知れんが、その子孫達は逞しく生きておる。
特にメグなどその最たる物か・・・
「Miss・M」と言う、新しいリングネームで活動始めたが、MissがMrs.となる可能性は
限りなくゼロに近い・・・
【完】