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【おすすめ】<中スポ コンフィデンシャル> 日本人の誇り持て オシム研究所・最終回2007年12月28日 紙面から 来年2月から始まるW杯アジア予選を前に、病に倒れたイビチャ・オシム監督(66)に代わって岡田武史氏(51)が日本代表監督に就任した。残念なことに、昨年10月から不定期に始まったこの企画も、オシムジャパンの完成を見る前に、この号で最終回を迎えることになった。オシム氏が1年余りで築いたサッカーは日本サッカー界に大きな“可能性”をもたらした。その功績を振り返る。 【敬意】オシム氏がW杯ドイツ大会をプライベートで観戦していた06年7月上旬、代表監督就任を前提に、旧ユーゴスラビア時代の知人に日本サッカーの進路を示していた。「日本という国の偉大さを強調したい」。オシム氏と20年来の交流がある人物の1人、クロアチア紙のアントン記者から当時伝え聞いた言葉だ。 「イビチャは日本代表をつくるにあたり、日本の偉大さを強調したいと言っていた。なぜか。ピッチに立った時、日本の選手は自信を持っていないからだ。スポーツでは偉大な国民であることを意識できる方が勝つ。自分の国の偉大さを意識すること。それが技術を開花させる。ピッチに出た時のプライドだ」 それから2週間余りたった7月21日。オシム氏は代表監督就任所信表明で「つじつまが合わないように聞こえるだろうが、日本代表を日本化させる」と宣言した。求めたのは、日本人としての「誇り」だ。 フィジカルを生かした欧州流でもなく、個人技で勝負する南米流でもない。世界基準に比べ、決して大きくない身体で勝負するには−。例えば大柄な相手との対戦イメージについて広島FW佐藤寿は「動き出しとか一歩前に出る動きは(長身選手より)ボクとか達っちゃん(浦和FW田中達也)の方があると思う。(自分の身長は)変えようがないですからね。切れ味があればいい」と言い切る。オシム氏の要求は「素晴らしい敏しょう性、いい意味での攻撃性とアグレッシブさ、そして個人の高い技術」。選手はすぐに「日本化」を理解した。 選手に厳しく接する一方、日本人には常に敬意も払ってきた。アシスタント役を担うコーチ陣に日本人を置いたのも「自国の選手を最も理解できるのは自国の指導者」という考えから。ある時、「君たちは気づいていないだけだ。日本人は本当に素晴らしいサッカーができるはず」と諭したことがあった。 脳梗塞(こうそく)で倒れ、後任は岡田武史氏に決まった。だが小野剛技術委員長は「オシムさんは日本人の良さを引き出してくれた。サッカーのハウツー(方法論)は二の次。海外からみればリスペクト、われわれにとっては誇り。それが土台にあった」と称賛を惜しまない。 【変化】オシム時代に定着したものの1つが「ポリバレント」。「いろいろな要素を持っていることで変化できること」という化学用語だが、サッカー的に表現すると『要素を持っていることで、いろいろなポジションがこなせる』。日本を率いて初めてこの言葉を用いたのがガーナ戦(06年10月4日、日産ス)の前日会見だった。「例えば相手の1トップにも2トップにも対応できるような変化。だが特別なことではない。私が発明したわけでもない」と表現した。 90年W杯イタリア大会で8強入りした当時のユーゴスラビアも「ポリバレント」だった。ピクシーこと元ユーゴスラビア代表の司令塔、ドラガン・ストイコビッチ氏(名古屋新監督)は「ポリバレント? よく使っていたね。選手が自分の役割をチームの中で判断して、それに応じてやっていく能力」と解説。当時から高い適応力が求められていた。 ただし守備陣が攻撃も、攻撃陣が守備もという“変化”だけでない。ピクシーいわく「攻撃している選手がDFの位置まで下がるということではない。例えばスペースをつぶすこと。3メートル下がるだけで相手のスペースを消すことができる。相手にプレッシャーを与え、良いポジショニングをすることでスペースをつぶす。例を挙げるならマンチェスター・ユナイテッドのスコールズだ」 オシム氏の代名詞「考えながら走るサッカー」は、棋士と同じように「数手先」を読むもの。例えば本格練習前のアップ時。単なるボール回しでもパスの受け手の先の先の味方の名前を呼びながらボールを出させた。先を読みながら、有効な動き方を考えさせる。 また「GKはスキルが重要」と主張したオシム氏はGKを“11人目のフィールドプレーヤー”として扱った。GKの“進化”。岡田監督が初めて率いた1998年W杯フランス大会の1次リーグで3戦全敗した日本代表の反省を踏まえ、日本協会が独自に「もっとも世界レベルとの差が大きい」と強化を続けてきたGKの未来像の具現化だった。 【責任】「勝つか、死ぬか」。代表監督就任直後、スタッフ会議で何度も発していた言葉だ。激しい言葉に当初はコーチ陣もあぜんとしたというが、サッカーに臨む姿勢は「プロフェッショナル」でなければならない。 「責任」に対しても人一倍厳しい。06年9月2日。アジア杯予選のサウジアラビア戦を前に乗り込んだ敵地ジッダでの初練習中。DF伊野波が亜脱臼で一時離脱の危機を迎える。 この時、あいまいな医療表現をしたスタッフに「プレーできるのかできないのかはっきりしろ」と怒声を響かせた。グレーゾーンが許されるのは日本人だけ。ボスニア人には「白」か「黒」しかない。 オシム氏が倒れた時、FIFAのブラッター会長、欧州連盟(UEFA)のプラティニ会長ら世界の要人がオシム氏の容体を心配した。幸い、回復にある。そのオシム氏が目覚めた時の第一声は「試合は?」「浦和は大丈夫か?」。病床に伏しながら、なお戦う姿勢を持ち続けている。 (上條憲也)
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