2008年02月29日
「緑色の坂の道」vol.3977
 
     なにを言問う。
 
 
 
■ 言問通り。
 東京には「言問橋」という名の橋がある。
 まだ歩いて渡ったことがない。
 今頃渡れば、多分風邪がぶり返していくのは確実だが、要は土地勘、馴染みがないからなのだろう。
 
 
 
■ 上村一夫さんという漫画家がおられた。
 同棲時代とか、修羅雪姫などで名がしられている。
 小品に見るべきものがあって、神楽坂あたりに棲息する「帯師」の話であるとか、巣鴨ガスタンク裏のゲイ・バーのマスターが主人公の探偵物なども繰り返し読んだ。
 
 
 
■ 読んだからどうだという訳でもないのだが。
 では言問の辺りから上りに至って、路線に並ぶ赤提灯で飲もうかとか、近場のドヤに暫く泊まってみようかと考えたことはない。
 それをしてはいかんのではないかという気がする。
 自分は通り過ぎる立場なのだから、生活はここにないのだから、舞台裏を覗いてそれがどうなるのかと思うのである。
 
 
「緑色の坂の道」vol.3976
 
     わかい木 1932-3.
 
 
 
■ 私は若造だった。
 分ったような顔をして、何も分っちゃいなかった。
「あら、今は違うの」
 という声があちこちから聞こえるが、何もリエゾンでなくてもいいとはおもう。
 
 
 
■ おいら八ツ山から先なんて年に数回しか行かない。
 八ツ山とは、旧江戸と東海道を分ける品川にかかる陸橋である。
 かつてはその下を水が流れていた。
 少し高台になっていて、ゆっくりと曲がってゆく海老茶色の電車の踏切がある。
 教会がありホテルがあり、それから御殿山のお屋敷町とその坂下がある。
 
 
 
■ 東京でいうところの下町。
 例えば滝田ゆうさんの描く界隈と、少し先の銀座界隈とでは、ひとの流れも物の流通も、もしかしたら違っていたのかも知れない。
「幕末太陽伝」という日活の名作があるが、いい気なお坊ちゃまとそうではない階層とのドタバタを、裕次郎とフランキー堺さんが演じていた。舞台は品川宿である。
 フランキーさんはモダンボーイそのもので、ジャンルは違うにせよ三木トリローさんの流れを確かに汲むスタンスと演技である。
 これは何処で撮ったんだろうな、と捜しにゆくのだが、今はクリークの脇に薄いマンションが建っていた。
 
 
「緑色の坂の道」vol.3974
 
     わかい木 1932.
 
 
 
■ 仕事場のデスクの上はガラスがひいてある。
 一度、エスプレッソを入れる器具、その湧いたばかりのものを直接置いて、見事に割れた。
 あのときは金がなく、相当泣いた覚えがある。
 確か大井町辺りのガラス屋の親父さんが訪ねてきて、その場で面取りをしていった。
 それでなんですかい、先生は何をされているセンセイなんですかい。
 
 
 
■ おいらには難しくてさっぱりわかんねえや。
 とか言いながら、一服を何度かくりかえし、茶をおかわりして軽トラックで戻っていった。
 勉強してくれたかと言えば、全くそういうことはなかった。
 
 
「緑色の坂の道」vol.3970
 
     二月尽。
 
 
 
■ 忙しく、車に乗っていない。
 プロラボに出したポジの現像も、気にはなっているのだが取りにいけずにいた。
 スタッフに頼もうかという気もするのだが、急ぎのものではないので、まあいいだろうという按配である。
 最近ポジというのはそういう位置づけになっている。
 暫く寝かせるかのような。
 
 
 
■ そうこうしていると薄い風邪が身体に入って、次第にそれが厚みを増す。
 これはいかんな、とかかりつけの医者に薬を貰いにゆく。
 矩形のスペースから一歩も動けないことが何日か前にあった。
 
 
 
■ 遠くで子供の泣き声がする。
 父や母の顔が浮かび、何かをくりかえしては遠くへと去る。
 定番なのだな、と思いながら私は夢をみていたのである。
 
 
「緑色の坂の道」vol.3962
 
     中がひろい。
 
 
 
■ 確か宍戸丈さんは、50歳になるまで身体を鍛えていたという。
 本当か嘘か。
 たまにそのお姿を映画やその世代向けのカタログなどで拝見すると、憮然とした顔をされ、新素材の暖かい下着などを身につけておられた。
 この辺り、同じ男として思うところはあるのだが、ゆっくりと口にしない。
 
 
 
■ 例えば渡哲也さんが、随分と前に大病をしている。
 復帰できるかを危ぶまれたこともあったが、あの声と独特の風情は健在だった。
 私が日活映画が好きなのは、こうした歴史があるからだと思う。
 鈴木監督の作品に出ている渡さんなどは、今見てもシュールである。
「流れ者には女はいらねんだ」
 やや訛が残るが、昨今これをある界隈で言えば、「女はいらねえニダ」「アルヨ」などとなり、ムヨーな誤解を招く。
 
 
「緑色の坂の道」vol.3956
 
     欠ける月 2.
 
 
 
■ この冷気というのは、自分の中にあるサモシサに似ている。
 欲というのは誰にでもあるものだが、そして今どの辺りいるのかを時々は自らで確認しなければこの社会、色々と厄介でもあるのだが、匙加減も難しい。
 
 
 
■ 随分昔のことである。
 引っ越して近隣に挨拶にいった。
 私は銀座界隈で買った緑色のブルゾンを着ていた。とりあえずはブランド物である。
 
 
 
■ あら、ごくろうさま。
 と、昼間でも化粧を見事にされた若奥様に言われ、はあ、そうではないのですがと答えた。
 んん、この色は宅急便であるのだなと、世間を知ったつもりになる。
 
 
2008年02月14日
「緑色の坂の道」vol.3953
「緑色の坂の道」vol.3950
 
     隠れた馬 4.
 
 
 
■ 暫くすると一車線になって、ワンボックスに視界を塞がれる。
 右へ左へという坂を加速すると、一気に海が見える。
 私はこのカーブが好きだった。
 昔、退屈しのぎに書いた小説の中で使った覚えがある。
 
 
 
■ トンとギアを落とし、濡れた路面で半分だけ踏んだ。
 まっすぐいけば一号横羽。左に逸れればベイブリッジである。
 グリップを確かめながら、リアに荷重をかけAMGのワゴンをパスする。
 この辺り、メルセデスの10台にひとつはそのバッジをつけている。
 そんなもんだけどな。
 ルノーとプラットを共有した1.5リッターが追いすがってきて、それはそれなので左によけた。
 
 
 
■ 細かな雨が流れてゆく。
 これが雪になるのだと、薄く窓を開けながら匂いをきいていた。
 
 
2008年02月03日
「緑色の坂の道」vol.3946
「緑色の坂の道」vol.3945
 
     見知った女。
 
 
 
■ 先日縁ある方が亡くなって、その葬儀に参列した。
 義理事というのは出すぎてはいけないというのが私の持論で、できれば裏方を務めていた方がよさそうな気もする。
 実際はそうもいかないのであるが、年齢と立場に応じての振る舞いを求められたりして、浮世というのはそれなりである。
 
 
 
■ 北鎌倉の駅の辺りでひとを降ろす。
 送らなくてもいいというのであるが、そうもゆかず、何時の間にかここまできてしまった。
 北澤君、飲めずに残念だな。
 はぁ、医者にとめられていまして。
 それは藪だよ。
 は。
 
 
 
■ その方を降ろした後、私は海の方角へと向う。
 昔ある作家が、葬式の後は女のところへ寄るものだという一面の真理を書いていたが、その気分は分らないでもない。
 確かこの界隈に、この角から30分で。
 海沿いの自販機でお茶を買う。