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ヤメ検弁護人が引責辞任

2006/11/25 18:57

 

今回は久々に傍聴日記中心で。


 「にしてんま傍聴日記」なんてブログのくせに、肝心の傍聴日記なしのエントリが2回続いてましたからね。別に法廷に入ってないわけじゃないんですが、ネタになりそうな公判じゃなかっただけです。


では、さっそく今回の傍聴日記。

11月24日(金)13:30~、業務上横領、詐欺罪、第4回公判

 

 今回の主人公は、10月8日のエントリ「フィクサー現る」で取り上げた小西邦彦被告(73)。そう、財団法人「飛鳥会」の元理事長で、大阪市から業務委託された駐車場運営の収入1億3120万円を着服した、という事件です。

 10月6日に初公判が開かれた後、10月20日の第2回公判で書証の取り調べ、11月8日の第3回公判では弁護側申請の情状関係の証人5人の尋問をやって、今回は弁護側による被告人質問だった。


 で、法廷に入った瞬間から、ヘンな感じがしていたのだ。弁護人の椅子が、2つしか用意されていない。

 小西被告の弁護人は、検察官あがりの、いわゆるヤメ検弁護士が3人。大阪で刑事裁判の取材をしていれば、だれもが知ってる顔ぶれだ。ところが、時間になってもやっぱり法廷には2人しか現れない。いないのは、主任弁護人だ。


 謎は、開廷してすぐに解けた。主任弁護人は、辞任していたのだ。

 「きょうは被告人質問の予定ですが、その前に被告人にひと言、注意しておくことがあります」と、冒頭、裁判長が小西被告に証言台に立つよう促す。で、厳しい声で続けた。
 「被告人は保釈許可条件を守っていない。それで、検察官から保釈許可取消請求が出ている。今回は請求を退けたけれども、以後は条件をちゃんと守るように」

 小西被告は7月31日、保釈保証金3億円で保釈されていた。で、保釈の条件として、飛鳥会の関係者との接触禁止がつけられていたようなのだ。

 この条件そのものは、特に珍しいことではない。被告人が事件の関係者に会って、口裏あわせなり、自分に有利な証言をするように依頼するなりすることは、十分にありえることだからだ。

 ところが、会っちゃってたんだな。しかも、少なくとも2人と。

 念の入ったことに、2人は小西被告と会う前に飛鳥会の理事を辞任していた。辞任の日付は、保釈を認める決定が出たのと同じ7月31日。これじゃあ、形だけ飛鳥会の関係者ではないように装うための辞任と疑われても仕方がない。

 疑われても仕方ないどころか、2人は証人として出廷した前回公判で、「保釈された後の小西さんと会った」「理事をやってたら、小西さんと会えないと言われたので辞めた」とあっさり認めちゃっている。


 そりゃ、検察側としては怒って保釈の取消を求めますよね。で、主任弁護人は辞任せざるを得なくなった、と。なにしろ、主任弁護人は小西被告とは今回の事件以前からの付き合いで、小西被告が設立した社会福祉法人では、小西被告が辞任した後の理事長にも就任している。

 まあ、弁護側としては、被告に有利な事情を述べさせるための情状証人が、明らかに裁判所の心証を悪くしてしまうわ、主任弁護人まで辞める破目になるわで踏んだり蹴ったりである。


 そのせいかどうかは分からないが、この日の被告人質問は、とにかく反省の姿勢と、起訴事実以外も含めた被害金を弁済する意志を明確にすることに終始していた。もう、ひたすら低姿勢である。

 こちらとしては、小西被告が大阪市やメーンバンクであった旧三和銀行との間で、どうやって意のままに操れるような関係を築き上げたのかが知りたかった。

 その背景にはきっと、部落解放同盟支部長という肩書きと暴力団との親交、という小西被告のもつ“脅威”だけではなく、互いが互いを利用しあうような側面もあったはずだ。
 そう、大阪市や旧三和銀行にしてみれば、小西被告は恐ろしいし面倒な相手ではあるけれども、同時に暴力団なりエセ同和なりから持ち込まれるやっかいなトラブルを解決もしてくれる与党総会屋のような存在だったと思うのだ。農水省が「食肉のドン」浅田満被告を、食肉業者からの圧力を避けるための盾としていたようにね。
 しかも、小西被告の弁護人の1人は、浅田被告の1審で主任弁護人を務めていた。ちょっと期待しちゃうじゃないですか。

 でも、あんまり強烈な話は出てこなかった。もうちょっと突っ込んだ話になると聞いてたんですけどねえ。

 たとえば、こんな話。

飛鳥地区のすぐ近くに府立高校新設の話が持ち上がったときに、旧三和銀行がその建設費や開校後の教職員の給与などの公金を扱わせてほしいと小西被告に頼んだのだという。当時は府の公金の取り扱いは旧大和銀行に限られていたからだ。で、小西被告は府の出納長(公判では「収入役」と言っていたが)に直接会って、三和が扱えるように条例改正を実現させたのだそうだ。
 旧三和銀行が行員を解放同盟飛鳥支部に常駐させ、小西被告の秘書業務のようなことをやらせていたのには、このことの負い目があるのだという。


 あとは、小西被告が巨額の資産を形成していった過程も興味深かった。

 

 最初は銀行とは金を預けるところだと思っていたのだが、色々な案件を持ち込まれて解決すると、そのうち便宜を図ってもらえるようになった。それで、不動産や金融をやっていても自分では銀行から融資を受けられない知人を銀行に取り次いで、いくばくかの資産を形成しました」


 この場合の「銀行から融資を受けられない知人」というのは、要するに暴力団組員かその周辺者、ということです。
 つまり、暴力団なり企業舎弟なりが不動産取引やら金融業やらで稼ぐ原資に、小西被告の口利きによる直接の融資あるいは小西被告を経由した融資で、銀行のカネが使われていた、というわけですね。で、小西被告はその仲介で稼いでいたと。
 まあ、弁護側としてみれば、小西被告の資産は着服だけで得たものではない、と主張する意図があるんでしょうが。


 でも、この日の公判は結局、記事にしなかった。迷うところではあるんだけど、この日は弁護側の質問だけでしたからね。
 前回公判の証人の皆さんも、被告に有利なことを証言はするんだけど、直後の検察側の尋問でみんな引っ繰り返されてる。この日の小西被告の供述も、次回公判の検察側の反対尋問を聞いてからでないと、ちょっと評価しかねると思ったのだ。


 結局、この日の公判で、弁護側の最後の質問は「本当に差別に苦しんでいる人に、この事件が与えた影響をどう考えているのか」だった。

 「裏切った、という思いがある。後悔もし、反省もしている。万死に値することをやった。取り返しのつかないことをしでかした」


 老フィクサーの声はちょっと震えていた。



 で、話は事件の本筋とは関係なくなっちゃうんだけど。

 実は小西被告の親族には1人、重度の障害を患っている人がいる。この日の被告人質問でもその話が出た。つまり、小西被告は今後介護もしてやらなければいけないし、着服もその将来を心配して少しでも資産を遺してやろうと思ったためでもある、と弁護側は情状面での主張をしてるわけです。

 それはそれとして。診断書を作成した医師の名前が読み上げられたとき、フクトミ、なんとも言えず懐かしい気持ちになった。某大学病院の教授(現在は退職)なんですけどね。なんで懐かしいかというと、毒物カレー事件の取材対象だったのだ。

 

カレー事件にからんで、林眞須美被告が夫が寝たきりになったように装って、高度障害保険金1億3800万円を詐取した事件があるんだけど(もちろん立件もされてる)、この事件で眞須美被告の夫の診断書を書いたのが、この教授の研究室の助教授だったんですね。
 で、誤診だったんでなくて、詐病であることは分かった上で診断書を書いてるわけです。後に商品券だかの謝礼も贈られてます。助教授はその後、詐欺幇助容疑で書類送検されて、起訴猶予になってましたが。

 で、当時は助教授はもちろん、上司である教授もわれわれマスコミに追っかけまわされてたわけです。林ファミリーはこの大学のトップの紹介による
VIP患者だったので、助教授への監督責任だけでなく、教授の関与も疑われたんですね。結局それは濡れ衣でしたが。

 いやいや、こんなところでまたお名前を耳にするとは思いもしませんでした。センセイ、お懐かしゅうございます。



 

 

 

 

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