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第2次大戦中の強制徴用犠牲者、60年ぶり韓国へ(下)

遺骨4柱が日本から送還、奉恩寺で慰霊祭

 慶尚南道河東郡出身の鄭英得さんは兄に徴用状が来たが、母親が「長男を日本に行かせることはできない」として、代わりに行かせたという。弟のサンドゥクさん(61)は「母は亡くなるまで、毎日泣きながら“英得、英得”と名前を呼んでいた」と話す。また、李廷基さんの母親は、15年前に亡くなるまで息子が生きていると信じ、法事を執り行わなかったという。

 具然錫さんのいとこのヨンヒョクさん(82)は、「然錫は日本へ連れて行かれる前の日、祖父を訪ねて“北海道へ行きます”とあいさつした。祖父はポケットをさぐり、10ウォンを渡したが、それが最後になった」と話した。3人は室蘭市の日本製鉄で働いていたが、45年7月に米軍の爆撃で命を落とした。以後、3人の遺骨は同市の光昭寺に安置されていた。一方、赤平市の赤間炭鉱で働かされ、46年に病死した趙竜文さんの遺骨は、同市の宝性寺の住職が「いつか遺族が引き取りに来るときまで供養する」として、納骨堂に安置していたという。

 4人の遺骨の韓国への送還には、日本の市民団体による強い働きかけがあった。光昭寺に韓国人の徴用者3人の遺骨が安置されていることを知った殿平善彦住職が中心となって結成された「遺骨返還を実現する室蘭市民の会」と、宝性寺に趙竜文さんの遺骨があることを確認した赤平高校の生徒や市民たちが協力し、遺骨の送還を推進してきた。

 殿平住職は「わたしたちが4柱の遺骨を故国へ送還したからといって、日本の責任が軽くなるわけではない。日本政府はこの問題について謝罪し、補償を行わなければならない」と話している。

ウォン・ジョンファン記者

チョン・セヨン記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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