企画特集:「竹島」
【波頭を越えて 竹島リポート 第2部】(3)誰でも知ってるヒット曲
幼少期に「韓国領」意識形成
「♪トクトヌン ウリタン」
ディスコ調のリズム、どことなく演歌風のメロディーに乗って繰り返される歌詞は、タイトルと同じ「独島はわが地」。1982年に韓国で大ヒットした歌だ。鬱陵島の「独島博物館」から展望台へ上がるケーブルカーで繰り返し流れていた。
5番まである歌詞には、「♪世宗実録地理誌50ページ3行目」など、領有権の論拠とされる文献のページ数から竹島(韓国名・独島)の位置、自然環境まで詳しく織り込まれている。「♪日露戦争直後に所有者のない島だと言い張られても本当に困る」と日本批判もあり、一時は「日本を刺激しすぎる」と放送禁止にもなった。だが、地元の人は「韓国人なら子供でも知っている歌」という。
東京大学東洋文化研究所の玄大松・准教授が2001年5〜6月にソウル市で行った調査では、「独島は韓国の領土」という認識を持つ子供は、小学校入学前でも48%、入学後では93%に上る。これは教育よりも歌や報道などの社会的な雰囲気による影響が大きく、玄・准教授は「日本の侵略イメージとあわせて『独島意識』が形成されていく」と分析している。
鬱陵島の港から「独島博物館」へ至る道は、レンガの再敷設工事が進められていた。「今年で開館10周年なので、周辺一帯を郡で再整備しています」と鬱陵郡の任荘赫・広報係長(40)が教えてくれた。周辺一帯は、公園も整備された広大な施設だった。
韓国最大の財閥「サムスン」グループが約11億円かけて建設後、国へ寄付した博物館は、韓国内でも唯一の領土問題に関する博物館だ。建物へ向かう途中、「対馬はわが国の領土」と大書した信じられないような石碑が目にとまった。
館内は3人の職員が案内してくれた。地下1階、地上2階建て延べ1600平方メートルの建物内には、約1300件の資料が展示されている。1905年の竹島の島根県への編入を告示した公文書の複写らしきものなど、日本の公文書や古地図が実に多い。古書や古地図の収集家だった初代館長の故李鍾学氏が寄贈したもので、「ほとんど日本からもらった資料」という。
日本国内で竹島の領有権主張を示す看板も、地図と住所、写真付きで紹介されていたが、すべてに批判の解説が添えられている。
日本の資料をこれだけ集めた韓国が、日本と正反対の解釈に至るのはなぜか。竹島問題に詳しい下條正男・拓殖大教授は「韓国では国家が編纂(へんさん)した文献以外は『野史』として歴史的・文献的価値がないから」と解説する。
日本人研究者の間で「悪質な歪曲(わいきょく)展示」と悪名高いレリーフは入り口に掲げられていた。古地図「八道総図」をもとに製作されたが、韓国が「独島を指す」としている于山島は、元の地図と違って竹島の位置へ変更されている。博物館は「(『于山島=独島』を)分かりやすくするため」と堂々と説明する。
韓国側が「独島を守るために奮闘した」と後年になって将軍の称号を贈った安龍福の様子がジオラマで再現されていた。白衣の正装に身を包み、“将軍然”とした安龍福の指揮下、手に棍棒(こんぼう)を持った朝鮮の人々が、日本の武士と漁民を鬱陵島から追い払っている。
だが史実は逆で、安龍福は国禁を破って密航した貧しい兵士。日本漁民に鉄砲と刀で脅され、越境の証人として日本へ連行されたのだった。下條教授は「韓国の歴史では、王朝が代わると、正当性を主張するために必ず前政権を全否定する。そうした公文書が無批判に歴史として認識され、安龍福も将軍にまつりあげられた」と分析する。
だが、こうした展示物をよそに、団体ツアー客たちは「独島土産」の物色にいそしんでいた。一般の人には歌や写真、単純な標語の方が親しみやすいのかもしれない。(竹島問題取材班)