企画特集:「竹島」
【波頭を越えて 竹島リポート 第2部】(1)観光の最前線 鬱陵島
島あげて「韓国領」アピール
「独島ツアー・ドットコム」
韓国東南部の慶尚北道東端の港、浦項(ポハン)港の待合室には、竹島(韓国名・独島)の写真をあしらった巨大な看板が掲げられていた。竹島への渡航船を運航している会社の宣伝だ。定期便の待合室は、団体ツアーの中高年客でごった返していた。
韓国政府は同道の要請を受け、竹島の実効支配強化の一環として、今年から竹島への訪問客数の制限を緩和し、1日最大400人から1888人へ大幅に増やした。
ソウルから浦項までは、鉄道や車を乗り継いで約4時間。竹島へ行くにはここから鬱陵島へ3時間かけて渡った後、さらに2時間近くの船旅になる。竹島周辺の波は荒いため、接岸できるのは年間100日程度だが、それでも鬱陵島を訪れる年間22万人の観光客のほとんどが、竹島上陸を目指すという。
午前10時、浦項港から鬱陵島に向けて出航した船は、全シートに竹島の写真をあしらったカバーがかけられ、「独島はわが国の領土」と書かれていた。前方のスクリーンでは、韓国の大手携帯電話会社のCMが、「国を考えよう」とのテロップの下、竹島の空撮映像を流している。どこもかしこも「独島」だらけの看板を見ているうち、気づいたことがある。
目的地は鬱陵島ではなく、その先の「独島」なのだ、と。
海底火山の爆発で生まれた鬱陵島には、ほとんど平地がない。港からいきなり急坂が広がり、島内を走る車はタクシーもすべて四駆だ。
本格的な観光シーズンは6〜9月だが、竹島に向かう「独島観光船」は、訪れた4月中旬も満員だった。ただ、波が高かったため、朝の便は途中で引き返した。「ものすごく揺れたよ。明日も船は無理らしいし、残念だ」と中年男性が疲れきった表情で話してくれた。
「独島観光船」には竹島に上陸するコース、周辺を周遊するコースなど、いくつかの種類がある。島根県が「竹島の日」を制定した2年前は、運航会社が「日本人お断り」だったらしいが、現在は沈静化し、希望すれば自由に乗船できる。ネット上には、実際竹島へ渡ったという日本人のルポもたくさん載っている。
だが、わが国固有の領土に、韓国の船で行くわけにはいかない。鬱陵島の展望台へ上がってみたが、ガスが出始めた暗い空の向こうには、島影のかけらも望めなかった。
「独島観光」最前線の鬱陵島では、竹島に関する直接的な取材は控えざるを得なかった。案内してくれた鬱陵郡庁の任荘赫・広報係長(40)は「独島」に関する質問が2、3続くと、「何のためにそんな質問をするのか」と警戒した。
取材に応じた鄭胤烈・鬱陵郡守はさらに極端だった。鬱陵島観光についてはとうとうと語ったが、「竹島」の単語には敏感に反応。突然、「昔、日本のマスコミに裏切られたことがある。それでも取材に応じたのに、また嫌なことを書くつもりか」と大声を上げて一方的に文句をいい始め、会話すら成り立たない状態にもなった。
「独島はわが国の領土」と声高に主張し、日本に過去の謝罪を執拗(しつよう)に要求する−。取材前、韓国の竹島問題への反応は、そんなステレオタイプに見えていた。しかしそれは、役所などの政府関係者や一部の運動家のもので、出会った島の人々は、こちらが拍子抜けするほど屈託がなかった。
島中に掲げられた竹島の写真や「わが国の領土」の文言は、もっと重い現実を物語っていた。「独島は韓国領」は、声高に叫ぶ必要のない、幼稚園児ですら知っている「一般常識」なのだ。
わが国固有の領土でありながら、韓国が半世紀にわたって実効支配する竹島。韓国にとっての竹島問題をルポしながら、日本との温度差を浮き彫りにしたい。(竹島問題取材班)
【用語解説】鬱陵島(うつりょうとう)
韓国読みはウルルンド。朝鮮半島から約130キロ沖合の日本海に浮かぶ韓国領の火山島で、面積約72平方キロ。住民は約1万500人で、4割が漁業、2割が農業に従事している。かつては「于山国」と称し、512年に新羅に帰属。高麗、朝鮮へと引き継がれたが、朝鮮半島を襲う倭寇を恐れた朝鮮王朝は1417年以後約400年の間、入島・居住を全面禁止する「空島政策」をとった。竹島までの距離は約92キロ。>