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企画特集:「竹島」

【波頭を越えて 竹島リポート 第1部】(1)水産家の挑戦

2007.3.7 08:00

小屋建設、領土編入の根拠

 「日本の陸地は狭いが、海は広い。事業を成すなら海だ」。明治37(1904)年、竹島の領土編入と貸し下げを政府に願い出た島根県・隠岐の水産家、中井養三郎(1864〜1934年)の口癖だった。

 隠岐の漁師が以前から度々訪れていた竹島に、中井は36年には滞在用の小屋を建てるなど、本格的な事業開始の準備を進めていた。だが、何度も上京して領土編入を熱心に願い出たのは、事業のためだけではなかったという。「領土、そして領海の意義を、常に力説していた」と遠縁にあたる橋本いせ子(78)は語る。

 38年2月に竹島が領土編入された後、竹島での漁業権を認められたのは、中井を含む4人で興した「竹島漁猟合資会社」。共同経営の難しさから権利は転々としたが、戦前まで漁そのものは連綿と続けられていた。共同経営者の一人、橋岡忠重は戦後、当時の島根県隠岐支庁に再出漁許可を求めた「嘆願書」のなかで、こう記している。

 「無国籍の孤島だった竹島の編入には、我々の先祖が生命をかけて漁労し、護り、愛してきた事実によるところ大いなるものがあります」

 隠岐の人々をひきつけてやまなかった竹島。それは、アワビなどの海産物と、アシカが豊富に捕れた「豊穣(ほうじょう)の海」だったからにほかならない。昭和29年5月に竹島での“最後の漁”に出た八幡尚義(かつよし)(80)は「すごい漁場やった。あれから50年も行けんままになるとは思いもせんかった」と振り返る。

 中井の生家は鳥取県倉吉。松江市の漢学塾「相長学舎」に学び、塾長を務めたあと上京、東京・麹町の斯文学でさらに漢学を修めた学者だった。

 だが「多年心血を注ぎし漢学は、今後の活社会に立ちて大飛躍を試むにはあまりに迂遠(うえん)」と明治19年、23歳の時に実業を志し、当時はまだ珍しかった潜水器を使っての漁業の研究を始める。「50年先を見ていた」(橋本)というアイデアマンだった。

 事業は何度も頓挫したが中井はその度、旧家として知られた生家から資金をどんどん持ち出した。二女の飼牛(かいご)ミツは「父の実家に帰ると、親族から石を投げられたこともあった。貧乏もたくさんした」と振り返っている。

 中井が竹島を知ったのは、借金返済のため親族から借りた大金も盗まれ、失意のうちに帰郷した30歳のころ。アシカが集まることを知るようになり、36年5月、初めて船を出す。手応えを感じると8月中旬には食料や飲料水のほか、作業小屋の資材を積み込んだ帆船を出した。荒波に一昼夜もまれてたどり着くと、平地を探して小屋を建て、飲料水を確保し、作業場所を設置した。日本の「足場」が刻まれた瞬間だった。

 現在、竹島の実効支配を続けている韓国では、中井を「極悪人」の一人としている。それは、中井がこうして建てた作業小屋などのささやかな施設こそ、日本政府が「国際法上の『先占』の要件を満たす」と領土編入を決定する根拠になったからだ。当時無謀となじられた中井の足跡の意義は、実は計り知れないほど大きかった。

 乱獲もあって捕獲頭数がばらつき、収支バランスは常に左右に振れた竹島経営。私財を使い果たして金策に奔走し、それでも竹島をあきらめない中井に、血気盛んな若い漁師さえ「中井のだんなさん、なしてこげなことせんといかん」と嘆いた。そのたび、中井は力強くこう説いたという。

 「領海を大事にせんと、日本は立ち行かなくなる」

 その予言が真実になっていることを、泉下の中井はどんな思いで見ているだろうか。(文中敬称略)

 わが国固有の領土、竹島が韓国に実効支配されてから半世紀。竹島での漁業経験者らはみな高齢となった。彼らが見た竹島を改めて書き取るところから、竹島問題の根本を考えたい。

【用語解説】竹島

 島根県隠岐島の北西約160キロの日本海に位置する日本固有の領土。江戸時代初期の元和4(1618)年に伯耆(ほうき)藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免状を受けた。竹島は鬱陵島渡航の寄港地や漁労地として利用されていたことから、日本の領有権は遅くとも17世紀半ばに確立していた。日本は日露戦争中の明治38(1905)年に竹島を島根県に編入する閣議決定をしたが、韓国は戦後の昭和27年に「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島の領有権を主張。同29年から竹島に警備隊を常駐させ、不法占拠を続けている。政府は「韓国の竹島占拠は国際法上何ら根拠がない」とし同年、国際司法裁判所への提訴を提案したが、韓国側は応じなかった。

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