話題通信No.115
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◆◆◆ 「話題通信」(現代、人生、科学、聖書)No.115
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主日礼拝:毎週日曜日11:00a.m.〜1:00p.m.
聖書学習会:(原則)第2,4日曜日1:30pm頃〜
牧師:久保有政(レムナント誌主筆、レムナント・ミニストリー代表)
場所:東京都豊島区西池袋3-31-5パークハイム ギャラリー&スタジオ1F
(池袋西口より徒歩5〜7分、地下鉄C2出口より徒歩2分(丸井の裏手近く、
西池袋公園に面した所) http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/
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久遠実成の救い主キリスト (2)
イエス・キリストとの出会い ヨハネ福音書1:1〜18
キリストは永遠の昔に
救い主として
立てられた
第二に、イエス・キリストは永遠の昔からおられたというだけでなく、永遠の昔か
ら神によって立てられた「救い主」です。
イエス様は、今から二千年前に初めて救い主となられたのではありません。彼は、
永遠の昔から「救い主」であられるのです。イエス・キリストは久遠実成の救い主
──久遠の大昔に救い主と成られた方です。
仏教の経典の中に、法華経という経典があります。法華経は、じつはヨハネの福音
書にたいへんよく似た経典です。
法華経は、昔から日本人の心に大きな影響を与えてきました。聖徳太子でも、法然
上人でも、これを読むようになって深い宗教心に目覚めました。
空海も、法華経で真言の尊さを学びました。日蓮も、この経典をたずさえて宗教改
革に立ちました。
じつは法華経は、釈迦が説いた原始仏教ではありません。それはペルシャの宗教
や、キリスト教の影響さえも受けて、二世紀頃に出来あがったものです。
イエス・キリストの使徒トマスは、インド方面に伝道に行って、インドでたくさん
の信者を得ました。それでトマスのキリスト教は、当時の仏教界にも大きな影響を及
ぼしたのです。
法華経は、イザヤ書やヨハネ福音書など、キリスト教の影響をも受けて成立したも
のだと言われています。また、当時広まりつつあったキリスト教の「永遠のキリス
ト」の信仰に対抗するために、法華経が書かれたとも言われているのです。
ですから、私たちはヨハネ福音書を読むうえで、下手な西洋の神学書を読むより
も、法華経のほうがよほど参考になる場合があります。
釈迦は紀元前六世紀に生まれて、二九歳で出家、様々な修行の末に三五歳で悟りに
達したと人々に思われています。しかし法華経は、じつはそうしたことはあくまで"
仮の姿"に過ぎないというのです。
法華経は、釈迦にこう語らせています。
「私は、悟りを開いてから今日に至るまで、はかり知れないほどの歳月を生きてい
る。人の思いをはるかに越えた無量無辺の"久遠の昔"に仏となった者である。私は過
去、現在、未来にわたって永遠に人々を教え導き続けている」
と。つまり、この地上を歩んだ釈迦という人間は釈迦の"仮の姿"または、人々にわ
かりやすくするための"方便"(手だて)にすぎない。本当は、釈迦は永遠の昔に悟り
を開いて仏になった者であって、永遠の昔からの救い主なのだ、というのです。
法華経はこのように、「久遠実成の仏」ということを説きました。永遠の昔から釈
迦は仏なのだ、というのです。
じつは法華経以前は、釈迦は単に数百年前に現われた一人の尊師にすぎませんでし
た。紀元前後の大乗仏教の成立期にあってさえ、そう考えられていました。
ところが法華経は、突如、釈迦を永遠の昔からの救い主──久遠実成の救い主の座
にすえたのです。
このへんにもキリスト教の影響が見られるのですが、当時インドでは永遠のキリス
トの教えに対抗して、釈迦を永遠の仏の座にすえる動きが仏教界に起こったのです。
こうして法華経が誕生しました。
しかし、法華経が久遠実成の仏を説く以前から、ヨハネ福音書は――また他の福音
書もそうですが、聖書は、イエス・キリストこそ久遠実成の救い主であると説いてい
たのです。
キリストは
久遠実成の救い主
法華経において、釈迦が「私は久遠実成の仏である」というと、弟子達が訝しげに
こう尋ねたという話がのっています。
「お釈迦様、たとえばここに二五歳の若者がいたとします。彼が、百歳の白髪の老
人を指さして『これは私の子ですよ』と言ったりしたら、一体誰が信じるでしょう
か。
または逆に、百歳の老人が若い青年を指さして『これは私の父です』などと言った
ら、一体誰が信じるでしょうか。
お釈迦様、あなたが皇太子をやめて宮殿を出、出家して悟りを得てから、まだ四〇
年にしかなりません。それなのに、あなたが永遠の昔に悟りを得た仏であると言われ
ても、私たちにはにわかには信じがたいですよ」
と。まあ、釈迦が急にこう言い出したのですから、こんな疑問も無理のないことで
しょう。イエス様も、あるときユダヤ人からこう質問されました。
「あなたはまだ五〇歳になっていないのに、アブラハムを見たのですか」。
すると、イエス様は彼らに言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わ
たしはいるのです」(ヨハ八・五七、五八)。
イエス様は、ご自身が久遠実成の救い主であると言われたのです。たしかに、ある
人たちには、このことはあまりに大きなことで、理解を越えたことかも知れません。
しかし、神を本当に心に求める人には、わかるのです。
はじめに、ことばがありました。神のことば──キリストが、父なる神と共におら
れたのです。
「ことばは神とともにあった。ことばは神であった」。
この「ことばは神と共にあった」というときの「神」には、ギリシャ原語では定冠
詞(英語のtheにあたるもの)がついています。しかし、次の「ことばは神であっ
た」の「神」には、定冠詞がありません。
最初の「神」は父なる神であり、次の「神」は子なる神キリストです。一八節に、
「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」
とあります。父なる神と、「ひとり子なる神」キリストとは、一体のお方です。こ
のことは、キリスト教では三位一体論という教えの中で、さらに詳しく学ぶことがで
きます。
キリストは、永遠の昔──久遠の大昔から救い主として神に立てられたお方なので
す。あなたが生まれるよりはるか以前から、あなたのための救い主として立てられた
お方です。
みなさん、聖徳太子や日蓮をはじめ、多くの日本人は、法華経のいう久遠実成の仏
なる釈迦について聞いて、永遠の世界に対する宗教心に目覚めました。
そうであれば、なおのこと、永遠の救い主──久遠実成の救い主なるキリストは、
日本人の心に大きな宗教心をひき起こすのです。ヨハネの福音書はその巻頭で、イエ
ス・キリストこそ"久遠実成の真の救い主"であると、私たちに語っているのです。
イエス・キリストに出会うとき、私たちは本当の永遠の救い主に出会います。
キリストは無量寿
不可思議光の救い主
第三に、キリストは永遠の命と光に満ちた救い主です。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」(四)。
キリストに永遠の命があり、その命は私たちの魂に光をもたらします。
みなさん、キリストについて知るために参考になるのは、なにも法華経だけではあ
りません。仏教の浄土宗には、浄土三部経というお経があります。
それには、阿弥陀仏という仏について書かれています。阿弥陀仏というものが登場
するのも、二世紀頃からです。
キリスト教の影響を受けたのは、法華経だけではなくて、じつは阿弥陀仏誕生の背
景にも、キリスト教の影響があります。仏教史学の権威であるアルティ氏は、
「阿弥陀仏の教義は・・・・インドでつくられたものではない。・・・・阿弥陀仏は、当時
この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスター教とキリスト教に起因する」
と言っています。
阿弥陀仏というのは、人々を死後に極楽浄土に連れていってくれるという仏です。
キリストも、私たちに永遠の命を与え、死後には天国に迎え入れて下さる救い主で
す。
念仏宗では、阿弥陀仏の名前を呼ぶその一念で私たちは救われる、と説いていま
す。聖書にも、
「主の御名を呼ぶ者は、だれでも救われる」(ロマ一〇・一三)
と説かれています。キリストのお名前を信仰の心をもって呼ぶその一念で、私たち
は救われるのです。
阿弥陀仏は、経典の中では「無量寿、不可思議光」の仏と説かれています。「無量
寿」とは永遠の命、「不可思議光」とは不可思議なる光の意味です。
昔、親鸞上人は、
「無量寿の仏を信ぜよ、その不可思議なる光に帰依せよ」(帰命無量寿如来、南無
不可思議光)
と言いました。このように、阿弥陀仏を永遠の「命と光」の仏とするのは、じつは
キリスト教の影響です。ヨハネ一・四に、
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった」
とあります。この思想が仏教の中に取り入れられて、阿弥陀仏が誕生し、阿弥陀仏
は「無量寿、不可思議光」の仏と言われるようになったのです。
みなさん、阿弥陀仏はどんなに多くの日本人の心に、慰めと安らぎを与えてきたこ
とでしょうか。今でも、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える声が朝な夕なに聞こえる
家々が、日本のあちこちにあります。
そうであれば、ましてや真の永遠の命と光であるキリストは、多くの日本人の心に
喜びと平安を与えずにはおきません。キリストこそ、真の「無量寿、不可思議光」の
救い主です。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(五)。
まことに、キリストは「すべての人を照らすまことの光」(九)なのです。
みなさん、仏教というものは、決してキリスト教に敵対するものではありません。
お互いにライバルなのでもありません。仏教を信じている人々は、むしろ仏教を入門
として、オリジナルな真の救い主であるイエス・キリストのもとに来る必要がありま
す。
そのときにこそ、あなたは、求めていた真の救い主に出会うことが出来るのです。
あなたは、これまで信じていた仏教を捨てる必要はありません。あなたがキリスト
のもとに来ることは、これまであなたが追求してきた仏教をむしろ完成するのです。
キリストのもとに来るときに、あなたは仏教という名のもとに求めてきた真の救い
主に出会います。私たちは入門的な教えをあとにして、正式な神の教えを受けようで
はありませんか。
序論をあとにして、本論に入ろうではありませんか。真の神様の本来の教えを受け
ようではありませんか。
亀谷凌雲という人は、浄土真宗のお寺の子として生まれました。仏教系の大学を出
て、自分もお寺のお坊さんになろうと修行を積んでいました。
しかし、真剣に仏教を通して救い主を求めるのだけれども、奥に行けば行くほどど
うも真理がぼやけてくる。入り口はとっつきやすいように見えるけれども、仏教は奥
へ行けば行くほど、何が真理なのかはっきりしなくなる。
それで思い悩んで、やがてキリスト教会にも来るようになったのです。そこで彼
は、はじめて明確な真理に出会った。そしてイエス・キリストを、自分の救い主とし
て信じたのです。
彼は結局、お坊さんになるのをやめて、キリスト教の牧師になりました。親や親戚
からは、つまはじきにされたけれども、彼の決心は揺るぎませんでした。そして自分
の体験をまとめて、『仏教からキリストへ』という本を著しました。
仏教を信じていた人は、仏教を捨てるのではなく、むしろ仏教を入門として、イエ
ス・キリストのもとに来ればよいのです。あとはイエス様ご自身が、私たちを指導し
て、神様の正式な教えに導いて下さいます。
(レムナントの記事より)
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