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子供の頃、メリーゴーラウンドが嫌いだった。
特に刺激も目新しい景観もなく、ひたすら同じ場所を回り続ける。一体何がおもしろいんだ?二周もすれば飽きる。
円の外にいる家族を見るときの情けなさといったら。どんな表情をすればいいんだろう。
擦れ違い様、半ば社交的に交わされる微笑みにはどんな意味が?煌びやかな光の内側にあるものは。
ただ、その一方でオブジェクトとしては惹きつけられるものがある。あれは外側から楽しむものだ。
メリーゴーラウンドは観客がいることで意味を持つ。自分自身の回転を楽しめる人間は少ない。
このまま永遠に同じ回転が続くと思うとぞっとする。同じ音楽、同じ景色、同じ視線。
果てしない回転から逃げ出す夢を見ながら、振り落とされないようにしがみつく。
それが全て気が狂うほどまともな日常。
もしもの話だけど、
突然ドラえもんが未来からやってきて「ひとつだけ道具をプレゼント」って言われたら。
少し考えてから、もしもボックスってやつを選ぶんじゃないか と思う。
それでいて念願のもしもボックスに入ったとしても、あーだこーだと色んな考えがあふれでてきて優柔不断さを発揮するんじゃないか と思う。
選択の値札を見比べながら、今更ながら、将来設計でもするんじゃないか と思う。
悩みきった挙句の果てに、「もう少し時間をくれ」とかくだらない願い事をするんじゃないか と思う。
それで、いったん現実に戻って「不透明な時代だから」と言い訳するんじゃないか と思う。
「空を飛びたいからタケコプターが欲しい」って言える人間はどれくらいいるんだろう?
もしも明日死ぬって分かったら何をしようかな。
ああ、そうだ、やっぱりどこでもドアが欲しい。