事件特報(1)
H19.2.17
監禁虐待事件

元警官、現職中に妻の両親を
         遺産目当ての監禁虐待!!


事件の概要

   平成18年3月まで山形警察署の警備係長として勤務し現在は退職金を手にして退職した警察官の事件である。
その監禁事件の出来事は現役時代の平成10年ころから平成14年の天童警察署勤務時代のお話です。
 この警察官は、山形県の南陽のサクランポ農家で昭和20年に生まれた。
昭和40年山形県の警察学校を卒業し警察官を拝命した者で、各交番回りから昭和48年に見合い結婚で、稲荷神社の娘と結婚した。
 その結婚した娘の母親は、元々帯広近郊で酪農家を営み暮して居たところへ○○稲荷神社の次男が居座り結婚に至った。
その後、酪農家の土地が値上がりしてきたのを機会に二人の子供を連れて山形へ移住し、長男後継ぎしているのに入り込んで共に○○稲荷神社の神主を始めた。
その二人の子供の長男は、山形の県立工業高校を卒業しから北海道警察本部の機動隊に勤め札幌で暮していた。
稲荷神社の母親は、売却した帯広の農地の金を当てにしている夫と山形移住の際に離婚を考えて財産分与をしていた。
思った通り夫が生活費を全く入れない事から、母親は将来を考えて山形から札幌へ移住し一足早く長男と一緒に同居していた。
 その長男が私である。
母親は、私が昭和50年機動隊で放射線被爆した事から「札幌にアパートを建てるから退職して身体の治療をするように。」と勧められた。    母は、私が退職したら直ぐ山形の代替えしていた土地を売却に札幌から山形へ戻った。
その母親の預金や土地の財産を狙ったのが娘と夫の警察官である。
この娘夫婦は、札幌への移住を阻止する為に毎晩稲荷神社へ戻った母親に押掛けた。
稲荷神社の父親も、土地を売却させないようにする為にと母親の土地へ勝手に建築業者へアパートの図面依頼を既にしていた。
 その為に母親は、土地の売却できなくなり建物を建てた後で直ぐ纏めて高く売却しようと考えた。    昭和55年までの間に山形市松山の土地へ自宅用の建物と隣にアパートを並べて建てた。
その後直ぐ建築業者を通して母親が売却しようと動き出したところ、今度は稲荷神社で生活していた父親や娘の妹夫婦が自宅用の松山の建物に居座り始めた。
 そして、毎晩母親に対して札幌への移住を断念するようにと娘夫婦と父親3人で責め立てた。
昭和62年、妹夫婦は居座っていた実家の二階から出て山形市内の中桜田に広い土地を買い家を建て実家から出た。
それからも娘夫婦は、毎晩松山へ通って北海道への売却移住に反対して母親を責め立てた。
その原因で母親は糖尿病を悪化させ平成2年2月17日失明し倒れて遂に寝込んだ。
それをチャンスと倒れた当日の深夜、娘が松山の実家へ押掛けて寝ていた母親の枕元の全財産の入った「手提げ」を盗もうとした。
気が付いた母親が、何すると言って手提げのベルトを引っ張って阻止したところ、その手を叩いて手避けの全財産を強奪して逃げた。
その時、別の部屋で寝ていた父親は、その騒ぎに対して一切知らぬ振りしていた。
母親は、サイフの現金から預金通帳、アパートの家賃振込み預金通帳、土地の権利書、実印など全て奪われ一円も所持金が無くなり札幌への逃避も出来なくなった。
 それから以降は、娘夫婦によって拘束され札幌の私との電話連絡されないように電話を隠したり監視されていた。
母が倒れた年の平成2年の秋には、母親から奪い盗った預金通帳からお金を引き出して、自分たちの中桜田の家の横に六畳二間の監禁用の家を建てた。    母親を松山から、その「離れ。」と称する監禁用建物へ無理やり新築と同時に拉致した。
それに対して父親も娘夫婦に協力する立場を取っていたと母親が告白している。
そして母親に対し娘の妹夫婦が「私達の言う事を聞かないと承知しないぞ!!」と言い、更に「札幌の息子が来ても余計な事を言うな、札幌へは帰らないと言え。」と脅迫していた。
私や親戚の者が実家へ立寄りそうになった時には、中桜田から母親を松山の実家へ戻して付き添い介護を妹夫婦が装っていた。
 私が平成7年に札幌で自営していた「北海道警護サービス」や「日本特捜探偵社」の会社の本社事務所を山形の松山実家へ移転しようと電話を移設して来た。
その時には一切母親とは、私に中桜田の「離れ。」に隠して逢わせなかった。    実家の一階に居た父親にも「亨を札幌へ帰らせれ言え。」と強与し反対させていた。
その頃の父親は、昼間真っ暗にして茶の間の食卓のテーブル下で寝ていたり異常な行動していた。
   毎晩の妹夫婦も抗議に来て商売の可能でないことを私は、察し札幌へ引き揚げた。
 既に平成5年から父親は、神主を辞めて他人へ引き渡していた。    当時は、眼の治療し徐々に歩き回れるようになったが全ての行動は、妹夫婦の監視されて一切の自由を拘束されていたと母が話した。
平成10年ころには、父親もボケが酷くなり「離れ。」へ連れられて母親と一緒に監禁監視される状態になっていたと母が言う。
 その間に、父親の預金通帳から株券、恩給年金などが盗まれてた。
当然、平成2年から母親のアパート収入や預金通帳から勝手にお金を卸して使い込んでいた。
 平成12年の西暦2000年、コンピューター誤動作問題に措いても、母親がそれぞれの子供名義で預金していた富士銀行山形支店の預金が不平等と父親から別に400万円を盗った。
更に平成13年夏には母親を妹夫婦が山形の公証人役場へ連れ回して「全財産を娘に渡すと言え。」と脅したが、母親が「札幌の亨に渡すから、お前等などに遣らない。」と公証人の先生に言った事から、公証人役場を出たら叩かれた。    その時に、大嶋夫婦の妻が白い歯を出して観て笑っていたと話す。
   その後、自宅の「離れ。」に、連れ込まれて一週間も罰として食事が貰えなかったと言う。
この断食監禁虐待事件は、山形警察署に私が届け出たのが遅く時効になっていた。
平成20年現在までに措いて、妹の警察官夫婦が父親から騙したり盗んだ金額は、スーパー定期預金していたのを総額2750万円以上になっている。
   母親からは、「離れ。」の自宅横の建物や子供二人の大学費用から新車の自家用乗用車まで全て盗んだ預金から引き出し使い込んでいることが判った。
 その他に、私を困窮さらる為の様々な工作などに水戸市の荻谷昭夫と言う名のヤクザ系の男を使ってしていたことが明らかになってた。
この夫婦の母親や父親を監禁し預金通帳を盗んで使い込んだまでの概要である。
この後の詳しい経過を順次読み下さい。

   

娘夫婦で遺言の
強与・暴行事件

公証人役場へ連れ回し全財産渡さない
と怒り罰に一週間 断食の虐待介護!!

 父親が平成10年頃に入ってから少しずつ認知症の度合いが酷くなり掛かっていた。
「離れ。」から逃走の心配は無かったが、確りしていた母親を札幌へ逃避させない為に、平成13年には両親二人を「離れ。」に完全に監禁した。
   その二人に対して一日の食事を母親の糖尿病を理由にして業者へ委託し、一日二食のスプーン3杯程度約50グラムのお粥に味噌汁を湯のみ茶碗に一杯に限定して頼み込んでいた。
なお、食事の時間やオムツの交換の時間を午前10時と午後5時にして全て業者を使って配達させたり最低の介護をさせていたことが母親の告白証言から明らかになった。

介護や配食の業者の方も「糖尿なので最低カロリーでないとダメなの。」と言い訳をしていた妹夫婦が警察官でもあった事から、「助けて欲しい。」と言っても信用されなかったと母親は言う。 最低の食事の待遇監禁から一週間もしない間に空腹から直ぐ眼が回って立てなくなりベットで二人共夫婦は、歩く事も出来なくなってベットへ横たわる日々を過ごすようになり、その後には排便排尿にも立てなくなって業者の介護を受けさせられた。
風呂に関しても妹が必ず監視し妹の自家用車やデーサービスの車両を呼んで一ヶ月に一回程度同じところへ連れて行かれて介護業者に洗ってもらった。
   妹の娘からは一度も風呂も食事も介護して受けたことが無いと母親は告白している。
 ただ、指爪や足の爪切りに対しては、「私の言うことを聞かないと承知しないぞ!!」と脅され業と深爪されて痛くて何度も泣いたと告白している。
そして耳糞に関しては、何年も一度も掃除していないので詰まって人の話が聞こえなくなって来てボケたようにさせられていた事が判った。
 



家の父母への虐待だけでなかった!!
私の借家保証人になって大家を利用

 実家の母親と札幌で一緒に暮して居たが、山形の土地を売却に帰ったまま帰らないので札幌でそのまま待っていた。
   その後間もなく私は、母親から300万円を借りて喫茶店を買い放射線被爆の後遺症で毎日熱のある身体で治療しながら自営して働いていた。
 昭和53年4月に3件に店を増やした全ての喫茶店を売却し、ボデーガードの警護会社と探偵調査事務所を始め転業した。
探偵社の業務の一環として「ペット探索」を北海道で始めて事業に組み込んだ。
その為に、犬猫の保護施設が必要になつて止む無く営利業務から、「北海道犬猫救護センター」の「ニャンコ先生の家」と名称を掲げた。
   ボランティアの民間犬猫保護施設に切り替えて多くのボランティアさんを集めて施設を運営した。
それが丁度、平成5年ころから本格化し平成7年頃には北海道のテレビや新聞などマスメデアで取り上げ始め益々保護施設の犬猫が増え出した頃である。
 当時、札幌市中央区の特定郵便局のビル3階で事務所と住居し私が住み本社とし、他に北海道内に3支所と東京池袋に支所1ヶ所設けていた。
そろそろ任せられる所員も多くなったので私は、実家の両親が年齢も80歳に来たので本社を山形へ移し実家二階を事務所を移動した。
当然、その前の平成6年から準備し電話も山形へ移設し電話広告を出しての計画的に引越した。
母親と逢いたくても私も妹夫婦の家が判らないので困っていた。
それに、一階に住んでる父親がボケて来たのか茶の間の食卓テーブルの下に布団を敷き日中ブラインドやカーテンし真っ暗にして何か叫んでいる毎日だった。
 そんな父親の状態に更に妹夫婦が毎晩「こんな静かな住宅地へ来て勝手に探偵社などの事務所にされたら母も父も困ると怒っている。」と言って抗議に来てた。
従って、私もまだ少し実家へ帰るのは早いと判断し、札幌の元の本社事務所を解約していないので一ヶ月経たないで戻った。
しかし、帰って間もなく本社事務所の入り口電話配電盤が何者かによってガソリンのような物を使い放火された。
この事件で、事務所を引っ越すことになり札幌の豊平区に事務所を移し犬猫の保護施設は、石狩の新篠津村へと何 箇所にも安いアパートに分散し保護していた施設を統括した。
その平成10年頃から、インターネットでの誹謗中傷から徐々にボランティアが集まらなくなって施設の維持管理も難しくなった。
札幌へ分散して、又保護施設を移動することになった。
移転に際しての時期に、丁度山形の私の実妹警察官夫婦が急に「両親の財産のことで話し合いたい。」等と何度か電話や手紙が来ていた。    そんなやり取りの中で、私は妹に借家の保証人を頼んだ。
簡単に引き受けて貰い豊平区霊園駅近くに床の抜けている古い家を不動産紹介で大家と逢うこと無く借りた。
 この場所は地下鉄に近いけれども既に床が抜けて雨漏りする欠点から何年も借り手が無く放置していた家であった。
当然、犬猫の飼養も治療などをすることの許可を得ての契約書であった。
 しかし、1ヶ月経過したころから直ぐ頻繁に110番通報や大家へからの近隣の苦情が来たとの電話が何度かあった。
そんな何者かの嫌がらせが始まった。
近隣の人からの話で、この借家の大家さんが問題でヤクサ系の人ですから、早く出る方が利巧だねって教えて貰った
一ヶ月後経過してからクザ風な男が来て「大家だが、床や雨漏り直す金を出して出れ。」と真っ赤なボルボに乗って来た。
ボに乗り赤い靴を履いて現れて来て、「お前とは話にならない保証人から金取る。」と言って妹夫婦に相手にしないように連絡して措いた。
その後、直ぐ勝手に妹夫婦が相談も無く大家に60万を支払処理したと言って連絡が来た。
そこから次の引っ越しする際も、妹が保証人になって遣ると言い保証人になった。
後の借家も家主が壊すほどの雨漏りする家だからと貸した家だったのに、急に保証人の妹夫婦と勝手に大家が話を進め引っ越すことになった。
   この借家を私が出張して留守の間に、犬猫を移動した後、勝手に建物全部損壊させられた。
   それが平成14年12月9日だった。
   私は、全ての家財道具と探偵機器や警護機材にパソコンとデーターを失った。
   それから仕事が出来なくなって収入が無くなり保護している犬猫のエサ代の寄付金集めに集中せざるおえなくなった。
     妹から「150万を支払うから壊して欲しい。」と大家に頼んだことが判った。
 この平成14年12月の借家損壊事件の頃から北方ジャーナルの嘱託記者の小笠原が付き纏い始めた。
その記者の記事の私の写真が、山形の実家に置いてあった中学時代の写真で誰にも渡していないものだった。
従って、それで妹が関係していることが判った。

母親セツが帯広の娘へ逃避

平成13年の10月ころ「離れ。」で監禁されていた母親は、「このままなら娘夫婦に殺される。」と思い何とか嘘を言って逃避を謀った。
母親が最初に結婚し死に別れた先夫の長女が北海道帯広市の酪農して居た側に嫁ぎ住んでいるので娘を口実に利用した。
妹に母が「婆ちゃんが死ぬ前に一度、逢って措きたいので帯広のの梅子に逢わせて欲しい。」と頼み込んだ。
渋々と妹は応じて帯広へ飛行機で同行し連れて行ったと母が言う。
この帯広の父親違いの私の姉は、仲が良くい。
   警察官時代から、頻繁に出入りし実家のように泊まりに行っていた。
しかし、暫くお互いの連絡が無かった。
   平成13年12月に始めに私から姉に電話したことから母が居る事が判った。
それを聴いて直ぐ、私は帯広の姉の家へ札幌から向かった。
そして久しぶりの母親との対話をすることが出来た。
帯広の姉の家は、帯広市内の競馬場近くに位地し、同じ酪農家の隣へ嫁いだが早くから住宅や商店街の開発が進み土地が高騰していた。    帯広市内でもニトリ家具など大手が店舗を出して、姉の家は土地成金になっていた。
母親は何とか帯広の娘の家へ逃避したが山形の娘と帯広の娘が共謀していることを察してた。
   私が母親に逢いに帯広の姉の家に着いて泊まっても姉も同じ部屋にベットを置いて監視していた。
   姉が必ず監視している状態の中なので、母親も山形の娘夫婦から財産を奪われた事情をなかなか話さなかった。
しかし、様子がおかしいので私が母親を問い詰めたところ母親が「土地の権利書や預金通帳、実印など盗られた。」と話した。
それを聴いてから直ぐ、姉と私は山形の土地が売却されていないかなどの調査に向かった。
それまでの間、母親や姉と帯広の温泉や母親が最初に結婚して苦労した帯広市音更などへ泊り掛けで楽しんだ。
その時の母親の画像で、この時はすっかり糖尿病も良くなって監禁断食からも回復し太って杖を突いて一人で食事も排便も自分でしていた。

 

山形の妹夫婦と帯広の姉が事前に共謀して
姉が私と山形調査へ同行!!

 私が母親から土地の権利書や預金通帳、実印など盗られていることを聴いて、母親の頼みから財産の入った手提げを取り戻す為や土地が売却されていないか等を調査に向おうとしたら、帯広の姉が「私も一緒に行く。」と言い出して同

行した。
山形へ着いても直ぐ、私達は妹夫婦の自宅へは行かないで山形駅前近くのホテルに宿泊して山形市役所で土地の

売却されていないかの調査から始めた。
ホテルでの姉からの話で初めて母親が妹夫婦の隣に「離れ。」を建て母親が生活していたことや、既に我が家の家の

お墓を山形の市内に建てていたことが判った。
お墓を姉から案内されたり又、母親の土地が売却されていないことや松山の実家の建物が父親との共同名義で登記

されていない事、母親の山林が父親の名義で登記されている事の事実を調査から私は知った。
調査も終わり最後の山形を離れる日に、妹夫婦の山形市中桜田の自宅へ姉から案内されて妹と逢って母親から盗ん

だ手提げのガバンの要求をしたが、姉が割り込んで来て「私が話しするから二人にさせて欲しい。」と言い出し私は、姉を信じて任せておいた。

 ところが、姉は妹と約30分程度話していたが結論がでないと「後で母親へ届ける約束をしたから帰ろう。」と私に言い出し私も、それに応じて帰った。

この時、姉の案内で廊下続きになっている「離れ。」の建物に初めて母親が暮して居たと言う部屋を見たが、バリヤフリーも施してなく台所も風呂も無い監禁用に窓も茶の間に一箇所しか無い部屋であった。

ボケた父親を同行して妹警察官夫婦が帯広へ
母親へ土地の権利書と実印を返還へ

  山形から帯広へ姉と戻っても妹夫婦から返還に来る連絡が無い事から、母親と相談して妹警察官夫婦に対して内容証明の手紙を郵送し返還を求めた。

一週間が経っても返事が無いので、妹の夫の警察官が勤務している天童警察署長へ山形県警本部の友人を通して相談して返還を求めて再び要求したところ、平成13年12月30日の午後6時30分ころ突然、父親と妹警察官夫婦の三

人が帯広の姉の家に来て、母親の土地の権利書と実印だけを投げ捨てるように置いて30分もしないで立ち去った。
父親が「25万円貸したの返せ。」とか「25万円を貸せ。」とか訳の判らないことを何度も叫んでいるだけで話にならな

かった。
妹の夫警察官は、母親に「婆ちゃんが預かって欲しいと頼んだから預かっていたの忘れた。」と言い寄って責めてい

たが、母親は盗んだと主張していた。

母親の札幌へ行きに脅し
母親へ山形へ帰ると 強与!!


 その後、私は母親の居る帯広へ札幌から平成14年1月の末までに三往復して母親と札幌で一緒に暮らす準備などの話などした。

私は、母親を札幌へ迎えるために正月休みのあけるのを待って札幌へ戻り、不動産屋を走り回りバリヤフリーのマンションを探して帯広へ

戻った。
 しかし、この時には既に私が母親から離れている機会を利用して、

妹夫婦と姉とが共謀して母親を脅し「亨が札幌から来ても札幌へは行かないと言え、札幌へ行ったら必ず 亨 の居ない留守に行って酷い

目にあわせるから覚悟していな。」と妹から何度も姉の携帯電話に掛かって来て脅されたことを、後で母親から告白された。

私は、マンションを契約して帯広へ母親を迎いに行ったら帯広の姉が「婆ちゃんは、お前と一緒に札幌へは行かないと言っているし、逢わないと言っている。」と嘘を言い私に逢わせようとしなかった。

母親は、姉の家の以前地下室だったところを桁上げして一階へして改装した部屋に姉と一緒に寝ていたが、母親を二階へ連れ去り鍵を掛けて逢わせようとしないので諦めて札幌へ帰る為に時間待ちをしていたところ、二階に居た

母親が姉へ頼んで「もう死ぬまで逢えないので最後に亨を見送りさせて欲しい。」と言って見送りの姉
の運転する自家用車に無理やり同乗して来て帯広駅へ三人で向かった。

見送りの帰りに母親が帯広の娘からも
拳骨や抓られる暴行をされた!!


 帯広駅構内を母親が歩くのが遅いので、姉の娘が母親の車椅子を借りて息子私の乗る列車を待った・・・しかし、その際に、母親が札幌へ戻る息子私に「山形へ帰ったら山形の娘に殺されるな。」と不意に話し出した。

 息子は不信に思ったが・・・・「婆ちゃん冗談でも良いけれど、もう生きて逢えないかもしれないね。」と涙くんで言い返した。

「母さんが札幌へ来て暮したくないと言うなら俺も仕方が無い帰るさ・・・・、元気に何時までも長生きしてね。」と手を振って時間前に車椅子に乗っている母親と車椅子を押す姉とホームに入らない前の通路で息子の私は、別れた。
 
 母親は、最後に助けに来て貰えると信じて私に言ったと後で告白している。 母親と息子が別れて手を振り見えなくなったところ、直ぐ人目に付かない場所に車椅子のまま母親が姉娘に連れられて娘から母親が「余計なことを喋って

。」といきなり拳骨で3回頭を叩かれた上に口元をおもい切り裂けるほど抓られたので「痛い。」と言って「親に向かって何する、この馬鹿者。」と叫んだと母親が娘の梅子を怒ったと言う。
 
 その後、直ぐ山形へ連れ戻されたが、一週間も口が腫れて痛かったと告白している。

帯広への逃避と息子へ話したことに対しての
母親へ厳しい妹警察官夫婦の制裁

 
 帯広へ逃避した母親を又脅して札幌の私と暮そうするのを娘の警察官夫婦が妨害した。
山形へ帯広の姉の家から食事もさせないで姉は飛行機に無一文で母親を乗せ送った。

 それを山形空港まで山形の娘の妹警察官夫婦が待ち受けた。
そして、母親が山形へ着くなり直ぐ妹夫婦は、自宅の「離れ。」へ入れ、母親が背負って持ち帰った土地の権利書と実印

の入ったナップサックを取り上げ再び又、妹警察官夫婦が手に入れた。
その後、母親に対して「私達に嘘を言って帯広へ逃げて、この恩知らずが許さない。」と言い、更に「亨へ余計なことをベラ

ベラ喋って罰として一週間何も一切食べさせないからね。」と言い再度監禁した。
当時、同じように父親も「離れ。」に入れられていたと母親が告白する。

息子が必ず助けに来ると信じて
待ちに待った・・・と涙流す母


 母親は、帯広から何も食べていなかった事もあって平成13年の夏に公証人役場で娘警察官夫婦から公証人へ言うとおりのことを言わなかった罰として一週間の断食をさせられた時より、最初からお腹が空いていたので三日目には全く立つ

事も喋ることも出来なくなったと告白した。
「きっと帯広駅で亨に山形へ帰ったら殺されると言って別れたので、必ず迎えに来て助けてくれる。」と信じて頑張っていた

と私に涙を流しながら告白した。

公証人役場の時の証人夫婦の妻が
断食6日目に母へお茶の差し入れ!!


 平成14年9月6日、父親が口答遺言の公正証書を妹との間で作成した時の証人 大嶋夫婦の妻でもあり、又母親が平成13年夏に山形公証人役場へ妹夫婦に連れ回されて「全財産を娘に渡すと言え。」と強与された時にも証人の大嶋夫

婦の妻が、監禁されている「離れ。」へ6日目の午後3時過ぎに突然現れて、湯のみ茶碗に一杯のお茶を持って来て一緒に断食させられて寝かせられていた父親と母親に飲ませて帰ったと母親が告白した。

 この時に一杯のお茶を飲んでからは記憶が無くなり気が付いたら「ピーポーピーポーと一日何回も救急車の来る病院のベットに寝かせられていた。」と告白し、そして母親は、数日経過して脳梗塞で倒れて大学の付属病院へ運ばれて入

院している事が判ったと話した。
母親は、平成16年に山形大学付属病院へ再入院したらしく平成14年度の入院資料は、5年以上経過している事から事

実関係の資料が私が調査しても判らなかったが、平成16年に入院した診断書は、入手できた。
この大嶋夫婦は、私が山形へ平成17年10月移住し、この事実を母親から聴いて母親の実印を改印したり、又母親の財

産を私に全部名義を書き換えると母親が言い出し公証人へ行った時に、公証人が証人二人として紹介した夫婦でもあった。

山形徳洲会病院へ転院させられ、更に、共に移動した
その看護師等や担当医へ賄賂を!!


 山形徳洲会病院が開業したのが平成17年10月である。
それに合わせて母親は、山形大学付属病院から母親の担当看護師や介護士と共に転院させられている。

 従って、妹警察官夫婦は山形大学付属病院の時から母親の担当看護師や介護士達へ多額のお金を渡して賄賂を使っていたものと思慮される。

 その賄賂を使っていた事は、妹自ら渡しに母親へ逢いに平成17年10月9日山形徳洲会病院へ向かう時に「この病院は、母親の病状から直ぐ退院させられるところ、特別に看護師や担当医に多額のお金を包んで渡しているから退院させ

られない。」、そして「だから亨君が勝手に退院させようとしたり、外出させる事は、私達の許可がなければ出来ないことを頭に入れて措いてね。」と妹から忠告されている。


父親が他界前に 「騙され全部盗られた。」と
私へ告白!!


 平成17年12月1日、他界する二日前である。
何時もの時間午後3時20分ころ私は、父親が入居している「さくらパレス」の二階個室へ入った。

 一週間前に転んで腰を骨折しベットに寝ていたが、風邪も良くなり父親が「婆ちゃんへ風邪も良くなったから元気だと伝えて欲しい。」と頼まれた。

そして、洗濯物を取りに行って又父親の部屋へ戻って私が「何か食べるか。」と聴いたら「いらない。」と言い、暫くして父親が「亨は、札幌へ帰らないのか。」と聴くので「何言っているの、もう山形の実家へ戻って住んでいるから帰らない。」と

答えたら、父親が「○○に騙されて全部盗られたわ。」と私に言った、私は「何盗られた。」と聴いたが父親は、何も言わなかった。

 父親もボケているから何か盗られたのを気にして言ったのだろうと私は、思って直ぐ母親へ伝えるからと父親の個室から立ち去った。

妹が帰った30分後に
父親が呼吸不全での不自然死!!


 平成17年12月3日、山形の桜田「某パレス」の老人施設の個室へ入れられていた認知症でボケた父親が息子が午後3時15分ころ行って「婆ちゃんに腰も風邪も治ったので何でも無いと言って欲しい。」と言う内容の話をして洗濯物を引

取り母親の入院している某病院へ向かった後、妹が父親の個室へ一人で来て約2時間も居て帰って約30分後に係員が介護へ回った時には既に心肺停止していたとのことであった。

 その日は、息子の当番の日で洗濯物などの届け回収や様子を交替で見るのが妹と私の約束であったのに、午前中と私が立ち寄った後で娘が二回も出入りしていた。
 妹は、自宅でも手作りの食事が少なく買い物の惣菜が多く洗濯物も病院から引き揚げたものは感染症に掛かると危ないと言って全て洗濯業者を利用している人間で、漬物なども漬けない家庭的な主婦でなく母親も私も妹夫婦の家庭料理

での食事を一度も食べた事も無いし、風呂も入った事も無い家庭で、一日に二度の出入りも絶対に過去にも無いことである。

「札幌の兄が事業失敗で借金し失踪した。」と
近隣住民や親戚に妹夫婦が嘘を触れ歩き発覚!!

 平成5年に山形へ本社を移転した時には、既に山形市の知人や親戚などに、この娘の警察官夫婦が「兄は事業に失敗して行方不明になって連絡が付かない。」などと嘘を言って親戚近隣へ言い回ったり、「兄が父親や母親を脅して毎月

札幌へ送金させ、そのお金で遊んで生活している。」など言い触らしていた事が判っていたが、口だけの嫌がらせのそれだけではなかった。

父親の葬儀に措いて、親戚関係者から親戚全員に「亨君は、父母から脅して無心したり、商売で失敗して多額の借金をして失踪し、何処へ行ったか連絡も付かないし、来ても絶対に信用しないで追い返して欲しい。」と頼んでいたことが判っ

た。それに依って、親戚関係者からの年賀状や冠婚葬祭が一切平成に入ってから私へ来なかった理由であった。


アパート家賃預金通帳の引渡しや契約書の返還を
妹警察官夫婦が拒否!!


 私が平成17年10月山形の実家へ移住し、間もなく妹夫婦が父母の収支関係の説明をした時に「12月から父母の関係の金銭収支を全て引き渡すから。」と言う約束をしたが、その12月末になっても一切連絡も無いので平

成18年の年明けてから内容証明の書面で妹夫婦に全ての返還を請求した。

 しかし、応じるどころか父親の遺骨を渡せと言って来たり、母親に対する脅しや嫌がらせが酷くなって来た。
それに対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、

ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人役場へ頼みに行った。


母が息子への全遺産相続に、
妹が成年後見人手続きで妨害!!

 
 この妹夫婦の一連の経過に対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人

役場へ頼みに行った。
 山形公証人役場の 三浦宏一先生が母親の録音テープを確認して母親の意向が確りしているので認めて最初

に、母親の実印の改印や妹夫婦から勝手に母親の住所の住民票が中桜田の妹自宅へ移動されていた事から、元へ戻すように勧められ、その後口答遺言の公正証書を作成することを言われ、その証人に大嶋夫婦が紹介さ

れた。
それに依って、私は母親の改印や住民票の取り戻しを終了し、私が札幌地裁の建物損壊損害賠償請求訴訟公

判から帰った後の平成18年2月5日ころ作成することを公証人と約束していた。
 しかし、その証人から妹に連絡されて妹が直ぐ平成18年2月6日ころ、山形家庭裁判所へ母親の担当医に「認

知症」の診断書を書かせて母親の成年後見人の手続きを申立てた。
 従って、一切の公証人と母親との口答遺言の作成も中止になり、直ぐ成年後見人の審判裁判が開始められた。

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