事件特報(1)
|
元警官、現職中に妻の両親を
|
|
平成18年3月まで山形警察署の警備係長として勤務し現在は退職金を手にして退職した警察官の事件である。 |
娘夫婦で遺言の
|
公証人役場へ連れ回し全財産渡さない
|
父親が平成10年頃に入ってから少しずつ認知症の度合いが酷くなり掛かっていた。 風呂に関しても妹が必ず監視し妹の自家用車やデーサービスの車両を呼んで一ヶ月に一回程度同じところへ連れて行かれて介護業者に洗ってもらった。 妹の娘からは一度も風呂も食事も介護して受けたことが無いと母親は告白している。 ただ、指爪や足の爪切りに対しては、「私の言うことを聞かないと承知しないぞ!!」と脅され業と深爪されて痛くて何度も泣いたと告白している。 そして耳糞に関しては、何年も一度も掃除していないので詰まって人の話が聞こえなくなって来てボケたようにさせられていた事が判った。 |
家の父母への虐待だけでなかった!!
|
実家の母親と札幌で一緒に暮して居たが、山形の土地を売却に帰ったまま帰らないので札幌でそのまま待っていた。 |
母親セツが帯広の娘へ逃避 |
平成13年の10月ころ「離れ。」で監禁されていた母親は、「このままなら娘夫婦に殺される。」と思い何とか嘘を言って逃避を謀った。 |
山形の妹夫婦と帯広の姉が事前に共謀して
|
私が母親から土地の権利書や預金通帳、実印など盗られていることを聴いて、母親の頼みから財産の入った手提げを取り戻す為や土地が売却されていないか等を調査に向おうとしたら、帯広の姉が「私も一緒に行く。」と言い出して同 |
ボケた父親を同行して妹警察官夫婦が帯広へ
|
山形から帯広へ姉と戻っても妹夫婦から返還に来る連絡が無い事から、母親と相談して妹警察官夫婦に対して内容証明の手紙を郵送し返還を求めた。 |
母親の札幌へ行きに脅して
|
|
見送りの帰りに母親が帯広の娘からも
|
|
帯広への逃避と息子へ話したことに対しての
|
帯広へ逃避した母親を又脅して札幌の私と暮そうするのを娘の警察官夫婦が妨害した。 山形へ帯広の姉の家から食事もさせないで姉は飛行機に無一文で母親を乗せ送った。 それを山形空港まで山形の娘の妹警察官夫婦が待ち受けた。 そして、母親が山形へ着くなり直ぐ妹夫婦は、自宅の「離れ。」へ入れ、母親が背負って持ち帰った土地の権利書と実印 の入ったナップサックを取り上げ再び又、妹警察官夫婦が手に入れた。 その後、母親に対して「私達に嘘を言って帯広へ逃げて、この恩知らずが許さない。」と言い、更に「亨へ余計なことをベラ ベラ喋って罰として一週間何も一切食べさせないからね。」と言い再度監禁した。 当時、同じように父親も「離れ。」に入れられていたと母親が告白する。 |
息子が必ず助けに来ると信じて
|
|
公証人役場の時の証人夫婦の妻が
|
平成14年9月6日、父親が口答遺言の公正証書を妹との間で作成した時の証人 大嶋夫婦の妻でもあり、又母親が平成13年夏に山形公証人役場へ妹夫婦に連れ回されて「全財産を娘に渡すと言え。」と強与された時にも証人の大嶋夫 婦の妻が、監禁されている「離れ。」へ6日目の午後3時過ぎに突然現れて、湯のみ茶碗に一杯のお茶を持って来て一緒に断食させられて寝かせられていた父親と母親に飲ませて帰ったと母親が告白した。 この時に一杯のお茶を飲んでからは記憶が無くなり気が付いたら「ピーポーピーポーと一日何回も救急車の来る病院のベットに寝かせられていた。」と告白し、そして母親は、数日経過して脳梗塞で倒れて大学の付属病院へ運ばれて入 院している事が判ったと話した。 母親は、平成16年に山形大学付属病院へ再入院したらしく平成14年度の入院資料は、5年以上経過している事から事 実関係の資料が私が調査しても判らなかったが、平成16年に入院した診断書は、入手できた。 この大嶋夫婦は、私が山形へ平成17年10月移住し、この事実を母親から聴いて母親の実印を改印したり、又母親の財 産を私に全部名義を書き換えると母親が言い出し公証人へ行った時に、公証人が証人二人として紹介した夫婦でもあった。 |
山形徳洲会病院へ転院させられ、更に、共に移動した
|
山形徳洲会病院が開業したのが平成17年10月である。 それに合わせて母親は、山形大学付属病院から母親の担当看護師や介護士と共に転院させられている。 従って、妹警察官夫婦は山形大学付属病院の時から母親の担当看護師や介護士達へ多額のお金を渡して賄賂を使っていたものと思慮される。 その賄賂を使っていた事は、妹自ら渡しに母親へ逢いに平成17年10月9日山形徳洲会病院へ向かう時に「この病院は、母親の病状から直ぐ退院させられるところ、特別に看護師や担当医に多額のお金を包んで渡しているから退院させ られない。」、そして「だから亨君が勝手に退院させようとしたり、外出させる事は、私達の許可がなければ出来ないことを頭に入れて措いてね。」と妹から忠告されている。 |
父親が他界前に 「騙され全部盗られた。」と
|
|
妹が帰った30分後に
|
平成17年12月3日、山形の桜田「某パレス」の老人施設の個室へ入れられていた認知症でボケた父親が息子が午後3時15分ころ行って「婆ちゃんに腰も風邪も治ったので何でも無いと言って欲しい。」と言う内容の話をして洗濯物を引 取り母親の入院している某病院へ向かった後、妹が父親の個室へ一人で来て約2時間も居て帰って約30分後に係員が介護へ回った時には既に心肺停止していたとのことであった。 その日は、息子の当番の日で洗濯物などの届け回収や様子を交替で見るのが妹と私の約束であったのに、午前中と私が立ち寄った後で娘が二回も出入りしていた。 妹は、自宅でも手作りの食事が少なく買い物の惣菜が多く洗濯物も病院から引き揚げたものは感染症に掛かると危ないと言って全て洗濯業者を利用している人間で、漬物なども漬けない家庭的な主婦でなく母親も私も妹夫婦の家庭料理 での食事を一度も食べた事も無いし、風呂も入った事も無い家庭で、一日に二度の出入りも絶対に過去にも無いことである。 |
「札幌の兄が事業失敗で借金し失踪した。」と
|
平成5年に山形へ本社を移転した時には、既に山形市の知人や親戚などに、この娘の警察官夫婦が「兄は事業に失敗して行方不明になって連絡が付かない。」などと嘘を言って親戚近隣へ言い回ったり、「兄が父親や母親を脅して毎月 |
アパート家賃預金通帳の引渡しや契約書の返還を
|
私が平成17年10月山形の実家へ移住し、間もなく妹夫婦が父母の収支関係の説明をした時に「12月から父母の関係の金銭収支を全て引き渡すから。」と言う約束をしたが、その12月末になっても一切連絡も無いので平 成18年の年明けてから内容証明の書面で妹夫婦に全ての返還を請求した。 しかし、応じるどころか父親の遺骨を渡せと言って来たり、母親に対する脅しや嫌がらせが酷くなって来た。 それに対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、 ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人役場へ頼みに行った。 |
母が息子への全遺産相続に、
|
この妹夫婦の一連の経過に対して、母親が怒って「全ての財産の名義を亨に渡すので録音テープで録音して公証人の先生に頼み、ここへ呼んで欲しい。」と母親が私に頼み、その母親の話の録音テープを持って山形公証人 役場へ頼みに行った。 山形公証人役場の 三浦宏一先生が母親の録音テープを確認して母親の意向が確りしているので認めて最初 に、母親の実印の改印や妹夫婦から勝手に母親の住所の住民票が中桜田の妹自宅へ移動されていた事から、元へ戻すように勧められ、その後口答遺言の公正証書を作成することを言われ、その証人に大嶋夫婦が紹介さ れた。 それに依って、私は母親の改印や住民票の取り戻しを終了し、私が札幌地裁の建物損壊損害賠償請求訴訟公 判から帰った後の平成18年2月5日ころ作成することを公証人と約束していた。 しかし、その証人から妹に連絡されて妹が直ぐ平成18年2月6日ころ、山形家庭裁判所へ母親の担当医に「認 知症」の診断書を書かせて母親の成年後見人の手続きを申立てた。 従って、一切の公証人と母親との口答遺言の作成も中止になり、直ぐ成年後見人の審判裁判が開始められた。 |
虐待メニューへ |
保護活動歴 |
メニュー戻る |
易経・鑑定・黒子 手相・人相・指紋 |
虐待特殊次へ進む |
|