婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2008年02月27日
6000万円の使い道
 昨夜はきちんと朝まで起こされる事無く寝れた。電話も無かったためか熟睡感も持てて嬉しい。今日は雑用を集めた水曜日、各種多方面への連絡事項も多く何時もの事だが忙しい。
 更に今日は午後から総合庁舎で年一回の母子保健推進協議会という飛騨保健所関係の会議に呼ばれていた。

 僕はいつもギリギリで働いている。これに間に合わせるために朝から少しずつ仕事をやりくりしないといけない。
 特に昼からの集団検診は、一人一人にかける時間をギリギリまで切り詰めないといけなかった。まだ内診台に上がる前から診察を始めて、内診台が上がり切る前に診察を終える。なかなか出来ない高度な業で仕事をこなした。

 上手い事分娩ともぶつからず、会議にはこれまたギリギリ間に合った。多くのお役所関係の方が集まっているので、立場上きちんと出席して発言する事は僕の使命でもある。

 さて会議での主なる議題は今年も医師不足の事であった(その他にもあるのだが、それは説明のみで済む事ばかり)。僕は毎年医師不足の現実について、この会議でかなり発言していた。
 そしてそれが影響したかどうか、今年高山市議会では、新たな予算措置として高山日赤病院と久美愛厚生病院に医師不足対策に各6000万円ずつの助成を決めた。ちょうどそのことが今朝の新聞地方面で一斉に報道されたばかりでもある。

 向こう5年間は続ける予定の予算措置らしい。市の予算規模から言ってもかなり思い切った金額だ。しかも一応原則としては、紐付きでない助成金だと言う。
 このお金はその決まった経緯から言って、医師不足対策に対して使われるべきお金である。間違っても某病院の累積赤字補填とかに回されないで欲しいものだが、きっと様々な思惑はあるだろう。
 僕はこの点の事を知りたくて、会議の中の市役所関係者にいろいろ聞いてみたが、今ひとつ明確な答えは得れなかった。まだこれからの事項もあるに違いないし、もっと詳しくは院長先生や市長さん筋に聞くべき事なのかもしれない。

 さてさて新聞によるとこのお金は、産科、小児科、麻酔科などの医師確保が主なる目的となっている。そうなると僕は助成対象第一人者の一人と考えて大きな間違いでないに違いない。何と言っても僕は一人で飛騨地域全分娩の3割を受け持っている。自分で言うのも何だがかなりのキーマンなのだ。
 聞いた話では、石原東京都知事は全ての産婦人科医に一律400万円支給せよと発言したらしいし、ここで僕が上手く立ち回れば、かなりのボーナスを僕が貰っても市民は納得するかもしれない(僕の人格を良く知っている市民がどう思うかは別)。

 しかし僕はここで隣に座った日赤の小児科部長同様、考え込んでしまった。この手の公的なお金は不公平感を出さないで使う事がとても大事だ。
 とりあえずそのお金で毎年1件ずつ周産期関係者に土地と家でも買ってもらおうかと冗談を話したが、確かにこれは医師の定住を勧める上でかなり良策ではないかとも思う。
 しかし世の中にはお金で解決できない問題もある。当事者の一人としていよいよインサイドな話が出てきそうだから、今日はここまでにしておこう。
2008年02月26日
受け入れ先病院の入院期間の話
 昨夜も深夜4時に分娩室からの、闇をつんざく呼び出し電話で起こされた。ちょうど楽しい夢を見ていた最中だった。夢の中で何かが僕を呼んでいる感じがし、気づいたらそれが何時もの携帯の着信音であった。
 夢の世界から現実に突然戻されて、それはあまり嬉しく無い。
 電話口の様子では、分娩の進行は概ねスムーズな様子だった。ここはもう一眠りして朝に縫合を回そうかと思う。

 しかし夢を見ている最中と言うのは、それほど眠りは深くないものだ。いわゆるREM睡眠の時間に当たり、夢を見ている最中に起こされて目が覚めると、今度は直ぐに寝付きづらい事が多い。
 3分ほど暖かい布団の中で考えていたが、やはりここは分娩室に出動する事とする。心臓に負担がかからない様に、珍しく上着を着込んで暖かい格好で出動した。

 深夜の眠気を維持したままお得意円月縫合を済ませて、そそくさと帰宅。2度目の睡眠には成功した。おかげでそれほどの眠気は無く外来業務に励む事が出来る。もちろん今日の外来も何時もの様にしっかりと混んだ。朝から晩まで入院患者さんもいれると100人は超えていただろう。

 さてこの1〜2週の間は、どういう訳か対応に苦慮する難しい患者さんが多く受診され、なかなか悩ましく思っている。
 僕も臨床経験豊富な方に入ってきたから、大抵の症例にはたじろがないものだが、ここのところはたまたまどうもそうは行かない事が多いのだ。
 各種難しい合併症や奇形関係、見たことの無い悪性腫瘍や、ほんまかいなのアンビリーバボーな話も有る。あまりいろいろな方がいるので混乱しそうだ。

 僕は一人しかいない。できるだけ難しそうな症例は産婦人科医がたくさんいる後方病院に早めに送りたいと思う。倫理上も社会制度上もその方が正しい事だろう。
 しかし産婦人科医が非常に少ない飛騨地域には、実質後方病院と言うのは無いに近い。つまり僕はどうしても名古屋や岐阜、富山といった遠くの病院に紹介状を書く事が多くなっている

 さてさて難しい症例と言うのはどうしても入院期間が長くなるものだ。
 一方、日本の医療業界では医療費抑制のために入院期間が長くなればなるほど、病院の赤字が増える仕組みが現在出来ている。
 7対1看護だったりDPCだったり(説明は長くなるので省略)、賢い?厚生官僚の方々は医療費抑制、入院期間短縮のためにあの手この手を考え出しているのだ。

 その結果、患者さんを受け入れる側の病院としては、入院期間が長くなるような患者さんをあまり受け取りたがらない傾向がどうしても出てくる様になっている。
 ここで大病院の近くに患者さんの親しい家族とかがいれば、少しは話が変ってくるのだが、大病院の傍に親しい方が住んでいる都合よい患者さんは多くない。身寄りの全く無いお年よりも少なくないのだ。裏返せば遠くからの患者さんはどうしても入院期間が長くなる傾向があるとも言える。

 つまり田舎の病院では、医療費抑制の問題と絡み、患者さんの受け入れ先を探すのにも苦労する仕組みとなっている。今日はそういう趣旨の話を書きました。
2008年02月25日
登山も仕事も目が大事
 昨日の山スキーでは久しぶりの単独ラッセルで、気持ちよくワークアウトする事が出来た。僕のスキー板は数年前なら普通サイズの板だと思うのだが、今の山スキーの世界のレベルで言えば細い板に分類されてしまう。 細い板だと軽いのは良いが、雪に潜るのでどうしてもラッセルスピードは遅い。 
 その点一人でラッセルしていると、自分の好きなペースで登れるからその点は良かった。細板だと軽い分小回りも効くし、多分昨日の様な藪山だと、細めの板が楽しいかもしれない。
 ただ太い板で、パウダーの中テレターンを決めるのは更にもっと楽しいかなあという気持ちもある。
 
 さて代務の先生が来てくれているお陰で、昨夜は夜中に電話が来たり呼び出されたりする可能性は低かった。山で適度に疲れていたお陰でぐっすりと眠れる。
 今日は午前中は予約患者さんがびっしりで、午後からは手術が3件と分娩が1件ある。その外にじわりと増えた入院患者さんが約30名と、急患さんの受診もあった。
 代務の先生が名古屋に帰ってしまう前に、とにかくできるだけ多くの仕事をこなしておくしかない。
 3件の手術のうち2件は膣式だったので、背中も痛い。多分穴の中の手術だと、視野の関係で目が疲れてそれが背中の筋肉に影響するのだろう。

 さてさて話はちと変わり、目と言えば昨日の山スキーでも頂上近くでは、雪原の中ガスで視野が悪くなり、帰りのトレースも風で消えて、緊張の場面がちとあった。
 もともとそれほど大きな山ではないから、道を誤っても知れてはいる。しかし集落と反対方向に向かって降りたりしたら、多分それなりに大変な思いをする事は間違いない(そんなヘマはそうしませんが)。

 山で目が見えなくなること程、恐ろしい事は無い。
 その点昨日の登山では最初から上部ではガスで視界が悪くなる事が予想されていた。
 そこで曇って使えなくなるだろう眼鏡を避け、昨日僕は始めてコンタクトレンズを使って山スキーしてみた。それがなかなか調子が良くて、コンタクトの方が視界の悪い時の登山には随分と向いてると分かった。
 ただ乱視の矯正がコンタクトでは上手く出来ないので、微妙に世界が歪んで見えるのが残念だ。

 山でも仕事でも目はとても大事だ。僕はほとんど生まれつき?視力の弱い人だったので、目の良い人が羨ましくて仕方無く思える時がある。これからはコンタクトをはめて登山をし、技の未熟さや体力の衰えを少しでもカバーできたら良いとも思うが、もともと眼鏡君だった僕には、それはちと似合わないだろうか。

眼鏡で無いほうが見た目も良いかも・・・。とはいえ一人だと誰も見てはいないからそんなこと気にしないでいいか。
2008年02月24日
今日行った漆山岳山スキーの地図です


吹雪の日にも楽しい山スキーは出来る
 天気の良くない日曜日。冬型が残り森林限界越えの山スキーにはかなり辛い日だろう。しかも昨日まとまった降雪があったばかりで雪崩の危険も少なくない。

 しかしこういう時に低山藪山スキーに行くと、想像以上のパウダースキーを楽しむ事が出来る時がある。
 今日は上手くそれに当たり、単独ラッセルこそ大変だったが、下りには標高差1000m強のパウダー滑降を楽しむ事が出来た。しかも以前から一度登っておこうと狙っていた漆山岳に首尾よく登頂できて、大満足の嬉しい一日だ。

 しかしこういう日には、雪国の住民は除雪で大忙しなのも確かだ。
 こういう里でも雪が降った時分に雪かきもせず、山に遊びに行く事が、ちょっと後ろめたく感じたりもする。
 これがこの手の日における低山山スキーの、唯一の欠点だと言えなくも無い。
2008年02月23日
山に行けない理由は山ほどあります
 今週末は久しぶりに大学からの医者が病院まで来てくれている。つまり心置きなく病院を離れ山スキーにいける貴重な週末だ。
 しかし金曜日の仕事はしんどくて、背中がぎしぎしと痛む。しかも昨夜の飲み会でもついつい後先考えず、飲みすぎ食べすぎしてしまった。これも普段のストレスの影響だろうと思うが、自分の消化能力を超えた滋養たっぷりの料理を食べたようで、胃腸がしんどい。

 それでもやや二日酔いを感じながら、目覚まし時計で早起きは出来た。しかしアドレナリンが枯渇していて山スキーに出かける元気は出ない。
 しばらく布団の中で山に行くかどうか迷うが、結局パワーは湧いてこずそのまま再び寝てしまった。
 次に起きたらもう午前9時で、外は霙混じりの雪が降っている。こういう天気では山スキーも楽しくないだろうと気持ちを収め、家族サービスに徹する事とする。

 午後からはその手の手伝いも一段落したので、温泉に行き岩盤浴など楽しんできた。これで万年肩こりが治るとはとても思えないが、せめて痛い背中をあっためて気持ちよい感覚を味わいたい。

 温泉からの帰路には、天気予報が的中し、外は吹雪となっていた。ただ朝のうちはまだ天気はまあまあだったし、こういう時の低山藪山スキーのネタもあるにはある。
 何時でも山スキーに行かない理由は山ほどあるものだ。仕事や家事や子供の世話や天気や肩こりや二日酔いやもう数えられない。
 しかしせっかく代わりの医者もいることだし、天気の悪い時でもがんばってスキーする位の根性があれば良いとも思う。山に行くよりも温泉を選ぶようになったのは、何だか軟弱かもしれない。
 しかしだんだん後先を考えて行動しないと身体が持たない年齢になっているのは確かでもあるだろう。
2008年02月22日
今日も走り続ける
 昨夜は仕事が割と早く終わったので、久しぶりに床屋に行く事が出来た。きれいさっぱり短めにカットしたら、白髪が目立つ様になり家族から年取ったと言われ憮然とする。
 夜間は9時過ぎに飛び込みの車中分娩が突然入り、出動を要した。ちょうどビールを一缶飲み終えた所で呼び出しの電話が入る。雪こそ降ってないが、」外は十分寒い。
 弱い自分が車に乗ってとっとこ病院まで急げとささやいたが、真面目で強い自分が勝って、きちんと歩いて病院まで行く(これって当たり前ですか)。帰宅の頃はもちろんすっかり酔いは覚めていた。

 今朝も分娩室からの呼び出し電話から始まった。深夜2時過ぎにまた別の分娩があったらしい。ただ僕を呼び出すのはルールにのっとり朝8時になってからにしてくれた。今日は午後から手術が3件ある。僕の睡眠時間をきちんと確保する事は、手術を受ける患者さんのためにもとても重要な事なのだ。

 今日の外来は混んだ。初診ガン患者さんも多い。しかも外来の最中に分娩が2件入った。午後の決められた手術時刻には何とか間に合わせたが、既に手術が始まる前から僕は疲れてくたくただ。
 3件連続手術は予想通り大変だった。特に3件目は想定外の癒着がありやや苦労する。

 今日は夜から個人的に重要な打ち合わせがある。それに遅れないためにも今日も朝から病院内を走り続けるしかなかった。オペ記事や病理伝票やカルテ記載を大急ぎで済ませて、病棟回診は重症さんのみとする。
 忙しい事がわかっていて、それに対応する様に朝から全力を出しても、約束の時刻に仕事は終わらず溢れ出した。どこまでこんな暮らしを続けるのだろうかと、内心暗澹とした気持ちもする。 
2008年02月21日
イージス艦の午前4時
 経過中の方の入院も無くて、昨日の夜は気持ちよくきちんと朝まで眠れた。
 最近寒い日が続き、寒さに震えて目が覚めるという朝が続いていたが、今朝はそれほどの冷え込みも無い。
 予報ではまた週末には寒気が来るそうだが、確実に春は近づいてきている。そうなるとパウダースキーのシーズンも残り僅かとなるから、それはちと悲しいか。
 今日の仕事は今の所スムーズに進んでいる。このまま早く仕事を引けたら床屋に行きたいと思っているが、どうなるだろうか。

 さて話は変わり、ここの所のテレビニュースでは、連日イージス艦の漁船衝突事故がトップで報道されている。
 宇宙を飛んでくるミサイルを遥か彼方で打ち落とす能力のある船が、直ぐ目の前の漁船を発見できないなんて、何だか不思議だ。

 しかもニュースによると、最新最強装備の結集イージス艦ですら、目前の船の発見は人の目の監視によるらしい。
 太平洋戦争時にあっという間に沈められた日本の巨大戦艦や空母の如しで、すごい船だと思っていながら、実際は役立つのか立たないのか良く分からない船をアメリカに買わされただけなんじゃないかと思いたくもなってくる。

 さてさて今朝のニュースでは、漁船と衝突したのはちょうど午前4時で、ちょうどその時刻は船上監視員の交代時刻に当たっていたらしい。午前4時は誰でも眠たい時刻だ。
 今更だが午前4時にさんざん仕事をしてきた僕は、人並み以上にその事を身に沁みている。

 眠たければ人間誰でも不注意になり動作も鈍くなる。分娩時の会陰縫合も同様で、昼間の縫合と深夜の縫合で、その出来映えが全く同じであるなんて、とんでもない話だ。
 再縫合が必要になるような変な縫い方は、深夜でももちろんしないが、どうしても深夜縫合の出来は雑になるのは仕方無いだろう。

 特に僕の場合は翌日も朝からびっしり大変な仕事が待っている。中には重要な手術も含まれる。午前4時の縫合の場合、2度目の睡眠に成功するため、わざと眠気を維持したまま縫合しないといけない。つまり深夜の縫合に手間暇はかけられない。緊張したり集中したりするわけにもいかないのだ(これには修行もいります)。

 一方、イージス艦のワッチは4時間交代だと言う。深夜の監視業務が終わったら、おそらく翌日は休養でぐっすりと眠れるのだろう。4時間交代の恵まれた深夜労働でもこういうエラーはある。人間とはそういうもので、この本質はヒューマンエラーだ。

 しかし一方24時間交代無しで産直業務に当たる僕が、深夜にエラーあったとしても、それはヒューマンエラーと考えないで欲しいと僕はマジに思う。僕はイージス艦のワッチと全く異なる条件で仕事している。

 僕の深夜のエラーはヒューマンエラーではなくシステムエラーと捉えてもらわなければ困る。そう周りで思ってもらわないと、とても僕は深夜にこのまま仕事し続ける立場でい続けられないだろう。
2008年02月20日
僕は不完全主義者
 昨夜も何だかんだと仕事で帰宅が遅くなった。更に夜中に分娩が一件出動を要する。とはいえ寝不足となるほどの深夜帯での分娩ではなく助かった。子供の塾のお迎えと重なりそうになるが、それとも上手くずれてくれた。
 分娩で出動したついでに、借りていたDVDを返却し、夜までやってる本屋とスーパーで各種お使いをすます。
 
 今日は様々な雑用を集めたペーパーワーク中心の水曜日。
 書類業務やドック検診、企業や市町村の集団検診に、流産処置や検査や分娩室で行えるような小手術が重なる。会議やら病棟やらとにかく今日もあちこちから各種用事で呼ばれまくりながら過ごした。夜には歯科受診の予約も入っているから、できる事ならそれにも間に合わせたい。

 僕は常に誰かを待たせている。待たせている人は、事務さんだったり、他科の医師だったり、患者さんだったり、看護士さんだったり色々だ。
 もちろん全ての用事を完璧にこなすなんて事はできない。どれもこれも周りがギリギリ迷惑しない程度で、業務や各種用件を済ませるのみだ。ただどんなに忙しくても死人は出ない様に、それだけは最低限気をつけなければいけない。

 そういえば今日夜の会議では、DPCという新しい診療報酬の請求法導入に際して、更に医師の事務手続きが増えるという話が出ていた。医師の業務が増えると共に、事務方さんの業務も各段に増えるらしい(DPCについては、幾らでも調べれば分かるだろうから説明省略)。
 だが悪いが僕はもうこれ以上自分の事務手続きを増やすつもりは毛頭無い。

 自分の身体は一つしかないわけだし、これ以上事務業務が増えるなら、僕専用の秘書を雇ってくれと病院に言うつもりだ。それをはっきり会議の席上で言わなければならなかったが、それを言う暇も無く、また別の仕事で呼ばれて会議をたたなければならなかった。

 とにかく何か余分に僕に仕事させたいのならば、それを補う様に別の仕事を減らすしかない。それを僕は絶対に譲るつもりは無いし、譲る必要も無いだろう。
 僕は完璧主義者では無い。よほどのスーパーマンで無い限り完璧主義者には僕のような立場で、僕のような仕事量をこなす事は出来ないと思う。
 僕はもうこれ以上何かを要求されたりする事が、もう本能的に我慢できなくなっているのだ。
2008年02月19日
学会報告も環境次第
 昨夜は夜中に呼ばれる事が無かったので、寝不足こそ無いが、今日も朝から忙しく仕事が続いている。
 カルテの束が減ってきて、もう少しで外来業務が一段落つくぞと思ってがんばっても、後から後から何とか診て欲しいと急患さんが受診するので、一向に仕事は終わらない。

 そうこうする内に次の検査や処置や会議の時間となるから、何時まで経っても僕は休めないという事となる。
 自分が休む時間を作るためには、どこかで急患さん受診を断ったり、会議を遅刻したり早退したり、とにかく仕事をサボる必要がある。しかし根が真面目なので、ついつい仕事を受けて続けてしまうのは僕の良くない癖だと思う。そしてこれから更に夜中にかけて分娩もありそうだ。こんな暮らしでは長生きできないよと、心底思う。

 さて急患さんの受診理由は様々だ。
 腹痛や出血が主だが、冬の時期はそれに発熱も加わる。中には足が浮腫むとか、頭痛や腰痛がするとか、便秘とか、薬がただ欲しいとかというのもある。
 どんな患者さんを受けるかどうかの判断は、看護師さんに任せないで僕が自分で行う。患者さんのトリアージは、甘く見ている中にも、意外な重症患者さんが混ざっていたりするから難しいのだ。
 今日も10人ほどいた時間外救急患者さんの中に、そういう重症患者さんが2人ほど混ざっていて、ちと冷や汗をかいた。そのうち一名は後日大学に搬送する事を決める。

 さて話は変わり、この日曜日の東海地方会学会では、何時もの様に若手医師が中心となり様々な発表が行われていた。
 中にはクエスチョンマークな発表も有るわけだが、何事も発表しないよりはした方が良いし、あえて突っ込みどころ満載の報告をする事も価値がある。
 意味があるのか無いのか良く分からないこだわりの診療でも敢えてそれをやることで、少しづつても医療は進歩していくのだろう。多分に趣味的な治療でも、学会で報告すれば、それはレアなケースとして価値有る事となる。 
 
 その点、僕は普段の臨床にあまりに余裕が無いので、最近さっぱり学会報告をしなくなった。普段の臨床で、特別な事をやる余裕は全く無いので、常にノーマル(自分でそう思う)な保険内診療に一日中徹している。
 まただいたい学会に出席できるかどうかも、直前まで分からないのだから、名古屋や岐阜で行われる学会に出て、演題を用意する気も、今ではほとんど失せてしまった。
 僕もたくさんの症例を持っているし、中にはかなり珍しいものもある。しかしそれを発表する手間をかけるだけの気が出てこない。それはあまりに普段の臨床業務が忙しすぎるとういうのが、言い訳でなく間違いなくあるだろうと思う。
2008年02月18日
夜中の電話もかなり来てます
 昨日は久しぶりに都会?に出たので、ついあちこちショッピングで見て回ってしまった。お目当ての地図や本など探してる内に、帰りの時刻は大分遅くなってしまう。
 スキー板もこの時期シーズン落ちの板が安くなってきているので、心動くものもあった。とはいえ大枚叩いて購入するには至らない。テレマーク板に求める性能も贅沢を言えばキリが無い。あっち立てればこっち立たずだ。大事な装備は、もう少し考えてから買うにしよう。帰りの高速道路は路面が凍りつき、荘川から清美の辺りではやや緊張の運転となった。

 病院が落ち着いている事を確認してから、気持ちよく眠る。
 しかし安らげる時間は短く、まず午前1時に経過中の方の心拍が落ちるという連絡を受けた。状況判断して帝王切開の準備はしておくようにと指示する。
 続いて午前3時に、もう直ぐ産まれる、心拍下がるから病院まで来てくれという電話連絡を受けた。「あっ、また落ちてる」などと臨場感溢れる説明付きの電話だった。とはいえ状況から察して僕が出動して吸引をかけたり、帝王切開をしたりするタイミングにはもはや無いらしい。

 ここで僕が会陰縫合のために出動すると、妊婦さんと助産師さんは嬉しいだろうが、今日月曜日の仕事に響くのは必至だ。ここは産婦人科ISOの取り決めにのっとり、翌朝縫合で対応する事にした。ただ助産師さんに呼ばれて出動を要した小児科の先生には申し訳なく思う。

 更に午前5時には産後の出血が多いという電話連絡まで受けた。これは収縮剤入りの点滴指示ですます。
 これ以外にも電話があったかもしれないが、寝ぼけてるので記憶には無い。夜中に何度もかかる電話により、睡眠の質は大いに落ちた。

 さて今朝早めに分娩室に出動したら、出血多いはずの妊婦さんは何事も無かったかの様に、分娩室を退出し大部屋で寝ていた。もちろん新生児もすやすやと新生児室で寝ている。
 心拍落ちていたと報告があった割には、緊急避難的にこういう時必ず行う様にと指導している会陰切開も行われていない。

 休み明けで今日の仕事は忙しい。要するに助産師さんは、何かあった時に備えて、不安から僕に電話をかけているのだ。気持ちは分からんでも無いが、深夜に電話をかけるのならば、それなりの適応を考え、対応してから電話をかけて欲しいと思ったりもする。
 助産師さんや看護師さんには勤務表があり、自分の仕事の時間は終われば何事も無かったかの様に家に帰って休み事が出来る。一方僕は24時間態勢で、僕が眠れていようがいまいが、朝になれば患者さんは山ほど受診してくるのだ。

 それにしてもこんなに何度も心配させる電話が夜中にかかっていながら、平常心で眠り続けれる僕は自分が偉いと思う。
 これも長年の修行の賜物だ。おかげで今日は多少の昼寝を要しただけでそれほど寝不足感は無く仕事が出来た。これで午前3時の縫合や午前5時の出血多量の診察で出動してたらそうはいかないだろう。
 僕の仕事は責任重大だ。だからこそ僕は夜にきちんと寝て休養を取るために、寸前で肉を断つ様な見切りが必要だという話を今日は書きました。
2008年02月17日
冬型強いと学会へ
 雪の日曜日となった。雪崩の危険も高そうだし、今日は山スキーに適した日とは言えないだろう。
 とはいえ低い山でも雪が増えているから、行く山さえ選べば山スキーに行けないという訳ではない。こういう時の定番である低山藪山スキーもかなり楽しいとは思う。
 しかし肝心の代務の先生は今週末は高山にはいない。また今日は名古屋で産婦人科学会の東海地方会があり、できればそれに参加し、勉強かつ学会出席シールを貰いたいという思惑もあった。

 色々悩んだ末に、日曜日は病院のお留守番を開業医さんにお願いし、名古屋の学会出席に一日を使う事とした。高速道路の積雪による影響がやや心配だが、有効に時間を利用するためにやはり車で移動する。
 環境には優しくないが、ETC通勤割引を使えば、今や車での往復の方が列車より随分と安くつく様になっている。

 しかも高速道路が名古屋側、高山側共に延伸して便利になった。車での移動は何時でも呼び出されれば高山に戻れるという事を考えると、列車の中で本を読むと言う楽しみがな無くなるのは悲しいが、車の方が列車より便利で安くかつ早い。

 もちろんただ学会出席するだけでは無くて、行きがけに山の偵察も行った。名古屋では登山用品店巡り、雑貨屋、本屋巡りもする。中々に忙しい一日だ。病院が落ち着いてくれていたので途中で呼び出されること無く助かった。
 山スキーに行けなかったのは残念だが、それなりに勉強もできたし、こういう日曜日の使い方も十分リフレッシュになったと思う。
2008年02月16日
代務医がいないと
 今週末は代務の先生が来てくれてない。産科代務は常時何時でも大歓迎で大募集中なのだが、やはりこの真冬の寒い時期は、わざわざ高山まで来てくれる有難い産科医の数は減ってしまう。
 そういう事で今日は大人しく産科待機のお留守番をするしかない。とはいえ思ったより天気が良い土曜日となった。せっかくの休日だし、やはりちょっとは山で遊びたい。

 そこで呼ばれても一時間以内で戻れる山として、郡上の高鷲スノーパークから大日岳周辺を考えた。何時もならこういう時は平湯の輝山辺りで遊ぶ事が多いのだが、いつも輝山ばかりではさすがに少しあきてしまう。
 その点大日岳は、ヒルガノ高原にスマートインターチェンジが出来たので、随分と近いイメージとなった。スキー場からなら1時間以内で確実に高山に戻れる。高山からの高速代も通勤割引を使えば片道400円だ。

 というわけで午前中はスキー場で遊び、昼から大日に行こうとしてた所で、またまた恒例、分娩室から呼び出し電話が入った。
 天気も良くせっかくの山スキー日和だったのだに残念だ。山スキーはあきらめてスキー場から引き返すしかない。いろいろあって分娩室への到着は遅れたが、分娩は優秀な助産師さんのお陰で問題なく安産で済んでいた。

 テレマークスキーは難しい。今日はスキー場でスキーの練習をするだけとなったが、課題のスキー練習はできた。
 途中で戻らなければならなかったのは残念だが、代務医がいない中、本望の目的を達せれたという事で僕はそれなりに満足だったりする。 
2008年02月15日
金曜日は背中が痛い
 昨日の手術後から、また背中の筋肉痛が酷くなった。自分ではさくさく手術しているつもりでも、無意識のうちに余分な力が入っていたのだろう。誰もが知っている?独特の嫌な持続痛だ。
 そこで昨日は帰宅後、岩盤浴やマッサージを受ける事を少し考慮に入れつつ、夕食兼ねで配偶者と国府の日帰り温泉に向かう事とした。温泉で筋肉痛を少しでもほぐそうという考えだ。

 ところがこれから施設の中に入ろうという所になって、分娩室からまた緊急呼び出しの電話が入った。腹も減っているが仕方が無い。配偶者は家に戻して、僕だけ病院に引き返し痛い背中で仕事をこなす。
 おかげで分娩室での仕事が済むと、国府まで行く時間は無くなってしまった。

 仕方無く近くのラーメン屋で夕食を食べると、僕一人で11時半まで営業している近くの日帰り温泉に向かった。
 この陽だまりの湯は入場料が1000円と高いので普段使う事はまず無い。とはいえ午後10時を過ぎると600円となり、まあ普通の値段になる。中に入ると韓国風マッサージが2000円と書いてあって、心が少し揺れたが、時間も金も惜しいので、最新型マッサージチェア200円でつかの間の気持ちよさを味わって済ました。

 ただそれで背中の痛みが取れるかと言うととんでもなくて、今日も痛みは持続している。
 外来は何時もの様に混んで、ますます背中は痛くなる一方だ。その間に各種処置や分娩もある。背中が痛いと字も汚くなるし、心の余裕も減る。先ほどは会陰裂傷の縫合の最中に、背中の痛みで冷や汗が出そうになった。

 なお背中の痛みや肩こりは、明らかに産婦人科医の職業病と言える。理由は毎日毎日狭い穴の中を覗き込む仕事をひたすら続けるからだ。だから僕の場合月曜から少しづつ背中が痛くなり、その痛みは金曜日にピークを迎える。金曜夕方に膣式手術なんて入っていると、指先が震えて頭痛までしてくる。とにかく仕事のしすぎなのだ。
 人間どんなにお金持ちでも、24時間痛みを抱えている暮らさねければならないならば、それは不幸な人だ。痛みを抱えたお金持ちになるより、貧乏でも健康である方が良いに決まっている。

 さて話が変わり、次回の診療報酬改定では、地方の産婦人科勤務医の負担を減らすため、産科関係の診療報酬が突出して引き上げられる事が決まったらしい。つまりずばり僕の立場の人間のために、国は政策を考えたという事となる。
 しかしいくら僕の仕事の単価が上がっても、病院の収入が増えるだけで、自分の収入が直接増える訳ではない。
 それに既に僕は、平均的勤務医の倍以上の売り上げをもう何年も上げ続けている人間なので、今更自分の売り上げが更に上がったって嬉しくもなんとも無い。 僕はただ単純に仕事を減らしたいのだ。しかし僕が仕事を減らすと多くの人が困るから難しい。

 さてさて次回の診療報酬改定では、医師の書類業務をサポートする医療秘書にも点数が付く事が決まったらしい。これは少し嬉しいニュースだ。字を書く事が減れば肩こりも少しは減るだろう。
 どうせなら、プロスポーツ選手の様に専属マッサージ師や、専属栄養士さんなどにも、点数を付けてくれれば良いと思ったりする。それの方が診療報酬引き上げより、僕にとっては100倍嬉しい。
2008年02月14日
そういえば今日はバレンタインデー
 昨日は割りとスムーズに仕事が終わり、夕方から近所の歯医者で歯科治療を受ける事が出来た。
 今回の虫歯治療は最初に全て悪いところを直してくれとお願いした関係か、始めてから2ヶ月近く経ってもまだ続いている。あちこちの歯が少しずつ虫に食われているらしく、時間がかかると言う。
 仕事の関係で歯科に受診したくても出来ない事が多いから、時間がかかるのは仕方ないのだろう。

 多分奥歯の周囲は歯周病にもなっているに違いない。色々とストレス多い暮らしをしているのも関係してるだろう。しかし中でも一番良くないのは、産まれついての甘いもの好きな為である事は間違い無い。
 聞いた話では、砂糖の取りすぎは身体の免疫力も落すという。甘いものばかり食べているから、週末に山スキーで運動していても体重はほとんど落ちない。身体が重いとジャンプターンもできないし、困ったものだと思う。

 さて今日はバレンタインデーだ。毎年家族の間では誰がチョコを貰ったかで、明暗が分かれたりする。
 例年3男がチョコを貰う事が多いのだが、彼は今日熱を出して学校を休んだから、中には残念に思った女の子もいたんじゃないか。
 とはいえ家族の間で毎年一番多くチョコを貰うのは僕である。理由は簡単、職場での義理チョコがあるからだ。
 ただ職員の間では毎年必ずこの時期、虚礼廃止のお札が回るらしい。それでも毎年僕は何個かチョコを貰えるから、それはそれで悪い気持ちがしない訳ではない(ただ貰える数には、世の中の景況と自分の立場により波がすごくあります)。

 というわけで、今日も頂いたチョコを朝から食べまくっている。かれこれ1000kcalはチョコから摂取しただろう。
 特に今日は雪であるにも関わらず外来は混むし、各種処置もあるし、午後には手術も2件あるしで忙しい。
 忙しいといらいらするので、どうしても机の上のチョコに手を出してしまう。いけないと分かっていながら手を出すなんて、人間の心の奥の深い闇から、背徳の欲求が染み出してくるみたいで複雑な気分だ(なんじゃこの表現は)。

 さてさてバレンタインデーにチョコを配るという習慣は外国には無いらしい。この習慣は日本のチョコレート業界(具体的にはどこの誰だろう。明治か森永の営業マンか?)が考え出したと言う。
 代わりに外国では、特にスペイン語圏において、サン・ジョルディの日という好きな人に本を贈る日というのがある。
 チョコレート業界の今日一日の売り上げはすごいものだろう。ここは不況叫ばれている出版業界も、サン・ジョルディの日を世間に知らしめれば良いと思うが、どうだろうか。

 とはいえ本を贈るよりチョコを贈る方が、日本の女の子には受け入れられるに違いない。日本のチョコは総じて外国より美味しいし、日本の本は外国よりかなり高い。
 しかもチョコは誰にでも甘くて美味しいけど、本は送られても何だか勉強しろと言われているみたいで、良い気持ちがしない人は多いに違いない。

 まあとにかくこういう事も仕事へのモチベーションを高める大事なエッセンスの一つだと思う。自分の収入に直接響かないお国の診療報酬値上げよりも、義理?チョコでも貰った方が、心と身体のやる気は出るというものだ。

このなかに本命チョコがあるか?それが問題だと思ったり
2008年02月13日
僕は漢字が苦手かも
 昨夜は仕事が一段落してから、HPの記録の更新を済ませたため、帰宅は遅くなった。遅い夕食を食べ終わったところで、分娩室から呼び出しが入り出動となる。その後借りていたDVDや子供のレンタル漫画を返して帰宅したら、東京新聞出版局から岳人3月号の寄贈本が何時の間にか郵送されていた。
 山スキー特集もさることながら、その他記事もなかなか充実していてつい夜更かしして雑誌を読んでしまう。しかしこういう時に深夜3時にまた分娩が入った。

 外は冷え込んで寒い雪がしんしんと降っている。とはいえこれが仕事だと観念し、車の氷を落としてから出動、さくさくと裂傷縫合は済ませた。
 というわけで昨日は久しぶりに睡眠時間が大分削られた。今日は恒例寝不足業務となる。半分寝ながら50人近くの人の検診業務を短時間で済ませた。最近深夜の仕事が少なかったので、これでこそ寝不足日記のネタらしいと思ったりもする。

 さてさて岳人が送られてきたのは、僕の去年のGWにおける上の廊下横断オートルートスキーが記事になったからだ。校正前のカラー原稿が手元にあるのでちょっとだけ載せてしまおう。

 僕以外の記録記事がこれまた面白いので、ぜひお近くの書店でご購入ください。

 しかしこの原稿、漢字の間違いだらけでとても恥ずかしい。そういえば僕は小学生の頃漢字テストは大の苦手だった事を思い出した。この年になって誤字で恥ずかしい思いをしないために、せめて子供達には漢字をしっかり覚えろよと指導しないといけないと思ったりする。
2008年02月12日
登りたい山は尽きない
 厳冬期の山で好天を当てるというのは、なかなか難しい。その点、昨日の山スキーでは見事に無風快晴の頂上に立つ事が出来て幸運だった。北は純白の槍穂高連峰、南は乗鞍連峰に挟まれ、これ以上無い素晴らしい景色の山頂だ。
 ある意味日本を代表する山岳景観の中を、人跡希なルートから登頂、滑降できたわけで、これほど幸せな事はあまり無いだろう。

 頂上から周囲の山々を見ると、過去に登った事のある山は多い。季節を問わなければほとんどの山に登った事はあるだろう。
 しかし冬のこの季節に限定すれば話は別となる。幾らでも登りたい山や、通過したい尾根、滑りたい斜面が設定できた。
 スキーという素晴らしい武器を手にすれば、雪さえあれば登山の夢はどんどん広がっていく。まだまだ自分の人生には楽しい事が残っている様で嬉しく感じる。

 そう思うと人生ゆっくりしていられない。
 昨日も山から下りた後、平湯の森で温泉に浸かりさっぱりしてから、明るいうちにと周囲山岳の偵察をして帰宅した。昨日の夕方まで高山に残っていただいていた代務の先生には大いに感謝する。
 山から帰って病院に寄ると、経過中の方が2人入院していた。これは夜中に呼ばれる可能性がある。自分の身体のためにも日記だけUPすると速攻で寝た。

 幸い深夜に呼ばれる事は無く済んだ。しかし朝はやはり分娩室からの呼び出し電話で始まる。裂傷大きく縫合は複雑だったが問題なく対応した。この3日間は毎日早起きしていたので、朝一の仕事でも眠くは無い。8時からの医局会にもきちんと出席できた。
 今日は3連休明けの火曜日で、忙しい事は分かりきっている。朝から多くの患者さん方相手にそれはたくさんの仕事をこなした。
 その合間には少しでも山スキーの記録も作っておきたい。

 趣味にがんばれる人は、仕事にもがんばれるものだ。
 どちらか片方だけでは、どこかで成り立たないものが出てくる。やりたい事があれば仕事でもがんばれるし、逆にやりたい事が無ければ、仕事も出来ないまま漫然と生きているだけとなる。
 僕も、登りたい山が尽きないでいる間は、この仕事をまだ続ける事ができるという事なのだろうと思う。

 背中の筋肉痛もありますが、身体はまだ動きます

2008年02月11日
今日はビックデイ
 久しぶりの晴れが予想される休日となった。山の雪は確実に増えてきて、今日は最高のパウダースキー日和になりそうだ。
 そこで今日は岐阜からはるばる出動してきてくれるMisao先生と、平湯温泉から安房平経由で十石山北東尾根を目指した。
 このルートは、アカンダナ方面から見て比較的目立つ尾根だから、おそらく過去に誰かは必ず登って滑った事があるだろう。
 とはいえ少なくとも僕等はこのラインで頂上を往復した記録を過去に見た事は無かった。

 早朝午前5時過ぎに平湯温泉をスタートして、全くノートレースの中ひたすら深雪ラッセルを続ける。Misao先生は更にワンランク上の強力スピードラッセルを見せてくれた。
 お陰で無事に無風快晴の十石山頂上に立てた。乗鞍岳はもちろん槍穂高、笠が岳、霞沢岳など周囲の一級山岳が一望だ。
 この時期は黄砂もまだ飛んで無いので、雪も純白で美しく展望もきく。遠く水晶岳まではっきりと見えた。

 Misao先生は中盤カメラを持ち上げて、傑作写真を次々とものにしていた。ここまで苦労してラッセルしてきた甲斐があった。滑降もこの時期お約束の豪快パウダーだった。
 今日は好天と強いパートナーに恵まれ、予想以上のビックデイを満喫する事が出来た。

今日の行程です。下りは一部青線


今年度最高の好天、無風快晴の頂上でした。


豪快滑降が待っていた
2008年02月10日
雪があれば負けません
 今日は長男の部活サッカーの強化遠征試合の引率があって、可児の中学校までサッカー少年達と出かけてきた。
 なお高山のサッカーチームは、グラウンドが雪で埋もれるこの時期、戸外でのサッカー練習ができなくなる。
 だからこの時期はどうしても体育館での基礎練習が主となる。
 しかしそれだけでは試合感が鈍るので、わざわざ雪の無い地域のチームと練習試合を組み、この時期に遠征するのが恒例なのだ。

 さて聞いた話では今日の高山東中のサッカーチームの対戦相手は、かなりの強敵だったらしい。
 普通ではなかなか敵わない相手との事だ。しかし何の因果か、昨夜は岐阜を初め太平洋岸でも大雪だった。つまり思惑外れて、今日の試合は雪の上での戦いとなったのだ。

 雪の上でのサッカー試合となると、高山のチームはやはり強い。
 何と言っても普段の生活で雪に慣れている。
 その結果今日の試合では、強敵相手に何と一試合も負ける事無く、東小チームは戦い抜いた。たまたまだが、今日は雪を味方にできたのだ。

 まあ今日は単なる練習試合だから、それほど勝ち負けに拘る試合では無かったらしい。しかし普段弱小?の高山のチームは、強敵相手でも雪の上なら負けないと言う事が、これで分かった。
 何となく南米サッカーで、高所に強いボリビア代表チームが、ホームの試合でのみ勝つという現象に、何だか似ているなあと思ったりもする。

可児まで来ても、雪上試合でした
2008年02月09日
今の時期しか無いかもしれないので
 金曜日の仕事はなかなか終わらず、しかも内容も濃かった。身体はともかく神経磨り減らしたという状態での帰宅で、時刻も遅くなる。
 今日はせっかくのパウダーシーズンの土曜日だが、これだけ疲れているのなら今日は完全休養に回した方が正解かもしれない。しかし日曜日には長男のサッカー遠征の引率の役があり、そう思うと今日土曜日のうちに、どこかには出動して山スキーをしたい。

 何と言っても今は一年で最も雪が多い時期だ。この温暖化の世の中で、今の内にスキーで登っておかないともう2度と登れない山もあるかもしれない。というわけで結局今日も朝から出動してしまった。天気は今ひとつなので、今日は飛越国境(岐阜と富山の県境とも言う)の山を2つ登ってスキーしてきた。
 午前中にキラズ山、午後に洞山だ。共にマイナーな山で夏道もあるのか無いのか分からない。ただ過去の記録をネットで探ると、この時期快適山スキーも可能らしい事は分かっていた。

 思惑は当たり、共に予想以上の快適スキーを楽しめた。もうこてこての藪山なのだが、傾斜もちょうど良かったし、まずこういう形でしか登る事の無い山なので、大満足の一日だ。
 こういう誰も振り向かない様な山での山スキーも、かなりマニアックな気もするが、僕は案外好きだ。将来雪が減るとこれらの山では山スキーできなくなる可能性も高いのだ。

キラズ山では素敵な巨木とも出会えました
2008年02月08日
患者さんはあふれ出しているのに
 今日は午後からややタフな手術が続けて3件ある。しかもその他に緊急手術になりそうな経過中の方もいて、もう大変になるのが分かりきった日だ。こういう日に、朝一番の家庭のゴミ出しを忘れてしまい、何だか嫌な予感がしたりする。

 予想は概ね当たり、まず午前中の外来は混雑し、同時進行の分娩は難産となった。
 会陰裂傷も強度で縫合には時間がかかる。おかげで午後の手術に間に合わせるために、今日も多くの患者さんに外来診察をあきらめて帰って貰わなければならなかった。
 仕方が無い事とはいえ、申し訳なく思う。ただたとえ診察できたとしても、僕の前に座っていられる時間は、まず1分にも満たない訳で、それほどは差が無いかもしれない。 

 午後からはタフな手術が続き、特に最後の手術の最中には何だか頭がボーっとして、吐き気までしてきた。朝からずっと走り続けている様な一日だから、無理も無いだろう。
 手術中に立体的空間認識を失いそうになるが、そこはそれ何とかクリアした。軽い小脳梗塞でも起きてるんじゃないかと心配になるが、そんなこといちいち気にしていたら先には進めない。
 更に急患さん診察と、回診業務がまだ残っている。こんな事では長生きできないよと心配だが、今日から代務の先生が来てくれているし、明日からの連休に希望を託してがんばろう。

 さて今日3件目の手術は、子宮膣脱の手術だった。
 この手の手術はガン手術や帝王切開と比べて、命に関わらないから、それほど切迫した手術とはいえない。
 にもかかわらず割と手間がかかり、手技も難しい。だからどこでも後回しにされている手術だ。産婦人科は今、膣脱を相手にする程の余裕が無くなってきてるのだ。今日もこの猛烈に忙しいのに、良くこんな手術をするよという感じも無きにしもあらずだった。

 とはいえそれでも、僕は患者さんの求めに応じて、月一件くらいのペースでこの膣脱修復手術を手間暇かけて行っている。
 これはせっかく覚えた手技を忘れたくない錆びさせたくないというのもあるが、やはり地域で多分この手術が出来るのは僕一人だと言う、使命感もあるだろう。
 とはいえ、その陰で多くの患者さんに、診察無しで帰ってもらう訳だから、カッコよいことばかりも言えないと思う。今や僕の診療は何時でもトリアージが必要な、非常事態の診療と言うことなのです。
2008年02月07日
腹が減っても戦います
 昨夜も経過中の方がまた2人残って、何時呼び出されるか分からない状況での就寝となった。とはいえ誘発を早めに切り上げた作戦が効を奏し、夜中に出動を要する事は無くて済む。さて今日は何時もより少し早めに起き、朝飯抜きで出勤した。
 理由は今日は年一度の定期職員検診の日だからだ。何時もは自分が診察する方なのだが、今日は診察される方に回り、朝から各種基本的検診を受ける。

 今から10年以上前のことだが、僕は過去に精巣ガン(セミノーマ)の手術を受けた事がある。
 僕の父親は胃がんに前立腺がん、祖母は大腸がんなので、僕はどちらかと言うとガン家系の人間だ。
 だからこの手のドック検診で僕が一番期待するのは、ガンの早期発見となる。
 しかし最近のこの手のドック検診は、ガンの早期発見よりもメタボリック系疾患の早期発見に重点が置かれつつある。体重や身長、腹囲や体脂肪率etcを量ってもガンの早期発見に繋がりはしない事は明らかなのだ。

 つまり過去にガンにかかった事のある僕としては、どちらかと言うと腹部超音波とか全身CTとかそういう類の検査を受けたい。
 特に最新のヘリカル多重螺旋CTは目覚しい進歩を遂げていて、すごく早いしその画像は驚くほど鮮明だ。
 コスト的には微妙だが、早くドック検診に進化したCTが導入される様になれば良いと思う。
 そういえば以前その事を検診担当責任者に話したら、まずは内科にかかって病名を得てからにしておくれと、当たり前の事を言われ引き下がった記憶がある。

 さてさて自分が検診を受ける日といっても、僕には何時もの様にたくさんの仕事がある。
 外来患者さんが山ほど僕を待っているし、分娩もあった。
 いろいろ都合をつけて胃カメラの検査は午後に回してもらう。そうすれば午前中の内に残った分娩と外来を片付けれるかもしれない。

 というわけで午後の胃カメラの予約時間に間に合わせるために、今日は朝から腹減りスピード業務となった。秒単位スピード外来は、長年慣れているので、腹が減っていてもまあ大丈夫だった。
 ところが分娩のほうは難産となり、やや手こずった。朝から何も食べて無いまま、押したり引いたりは剥がしたりとなる(詳細は省略)。おかげで胃カメラ開始時刻に間に合わせるのは大変だった。
 同じ院内だからこういうことも出来るが、やはり腹が減っての重労働?は疲れました。

 胃カメラの時は、ついでにセルシンを5mg静注してもらって、楽に検査してもらう。その後少しふらふらしたが、酔っ払いの様にふらふらしながら午後の仕事に励むのも悪くない。手術は無いから今日は大丈夫だろう。
 ただふらふらしている時に、ISOのサーベイランス(詳細はこれまた省略。世の中いろいろな事があります)の方々が外来に見えた。ぼーっとしてたので変な医者だと思われたかもしれない。
 ふらふらも無くなり、ブスコパンの影響もなくなったので、食事にありつけたのは夕方になってからだった。 
 今日は寝不足は無かったからまだそれでも良かった。たまには寝不足でなく腹ヘリで仕事する事もありますという話に今日はなりました。
2008年02月06日
神は自ら助ける者を助ける傾向にあり
 昨夜も経過中の方が2人残り、何時突然呼び出されるか分からない状況での就寝となった。
 しかしいちいち心配してても他業務に支障をきたすだけだから、やはり軽い睡眠薬を飲んで寝てしまう。これは正解で朝まできちんと眠れた。
 今日はペーパーワークと検診業務で固めた水曜日、せっせと午前中のデスクワークに励んでいたら、近所の開業医さんから緊急出動以来の電話が入ってきた。僕は直接状況を把握できなかったが、どうやらかなり胎児心拍が下がりかなり切迫した状況にあるらしい。

 ここで開業医さんの所に出動し手術を手伝いに行けば、多くのドック検診の患者さん方を待たせる事となる。そうすると玉突き状態で他科のドック検診業務まで支障を来たす。
 今までそういう事は何度もあったのだが、その度に検診担当看護師さんらは、ちと困った青い顔して僕に仕事を早くしてと懇願しにきたものだ。しかし切迫した命の方が大事なのは決まっているので、いくら検診担当の方が困っていてもできない事はできないとなる。

 今日はその辺の段取りが、開業医さんの機転で上手くいき(?)、結局僕の出動無しで、外科の先生が緊急出動された。
 後から聞いたら小児科の先生の出動まで要したとの事だから、きっと開業医さんの所では大変だったのだろう。
 一方検診センターの看護師さんらは、お陰で今日は順調に仕事を進める事が出来たに違いない。

 さてどうやら開業医さんの所で起きた手術適応は、臍帯因子によるものだったらしい。
 何らかのきっかけで臍の緒が胎児より先進すると、胎児の調子が突然悪くなる時がある。この臍帯因子による胎児循環不全は突然起きるのでなかなか予測困難で対応に苦慮する時が多い。僕もそれで痛い目に過去何度もあってきた。

 確実な予防策は無いが、あえて言えばしっかり児頭が骨盤に陥入していれば、骨盤と児頭の間に臍の緒の入る隙間が減るので臍帯因子によるトラブルは減る。 
 だから僕は10ヶ月に入った妊婦さん全員に、児頭を骨盤に陥入させるためしっかり歩いて過ごすよう、何時も良く指導している。

 しかし妊婦さんが言う事を聞かなければそれまでで、中には自分で産む気が全く無く、帝王切開となるまで全く動こうとしない妊婦さんもいた。他力ばかり当てにして自分で努力しようとしない方は、周りも進んで助けようとは思わない。それは何事でも言える事だと思う。

 さて骨盤が広くて、臍の緒が細くて、全く児頭が下がってない方(もしくは逆子)の方が突然破水したら、臍の緒が先に脱出してくる可能性は高い。骨盤が広いとか、胎児の臍の緒が細いとか、逆子とかは、たまたまの事で運不運の問題だ。
 しかししっかり歩いて児頭を下げておくという事は自分の努力の問題である。

 世の中には誰がどうしてもどうにもならない事は少なからずある。しかしそういう中でも人事の為せる業は少しは入ってくるものだ。僕はそういう例を山や仕事でたくさん見てきた。ちょっとした工夫で命の運命が分かれる事もある。
 神は確かに自ら助ける者を助ける。世の中の全ての事はそういう傾向にあるのは間違いないだろう。 
2008年02月05日
スキーは太く、身体は細く
 昨日は仕事終了後、帰宅を遅らせて山スキーの記録をUPした。普段しっかり仕事をしながら、僅かな休日に行う冒険としてはかなり上質かつ上出来だったと思う。
 今日は一日中外来の火曜日。朝からひたすら数をこなす秒単位外来を続けた。自称他称の急患さんも次々と受診される。合間には分娩や検査もある。

 この手の外来を続けていると午後の遅い時刻には、だんだんと自分もいらいらしてくる事が分かる。しかしそこは土日の山スキーの感動を思い出すことでがんばった。
 冬に入り手術数や仕事量を減らしたいのはヤマヤマなのだが、今日もたくさんの手術を決めなければならなかった。全く思惑通りに事が進まないのが悲しい。

 さて日曜日の乙妻山北東斜面パウダー滑降は、メンバー構成が今思っても色々な意味で絢爛豪華だった。
 平均年齢はやや高めだが、その分持ってる装備も素敵なものが多い。来ているジャケットも皆新品高級舶来品?ばかりで、僕の年代物モンベルヤッケがみすぼらしく感じた。
 しかも姿かたちも、皆痩せててカッコよい。HPの写真を見ると僕だけデブのおじさんだ。

 普段の生活では、自分が周囲同僚ドクターと比べて太ったおじさんだとは思わないが、山の世界で比較するとそうはいかない。
 筋力アップが難しくなった今、僕の体力アップはもはや体重を減らす事しかないかと、後から写真を見て思ったりする。
 そうすればスキーの足前はともかく、少しは写真映りも良くなるだろう。

 さてさてその中でも特に印象に残った装備は、やはりスキー板の種類だった。何時も一緒に良く登るMisao先生のハボックも太いなあと思っていたが、Hosiyaさんの板は更に太い。
 そして極めつけはHayakawa先生のスキー板ポンツーンで、僕のスキー板の倍近いの太さだ。これではラッセルスピードもかなり異なるだろう(基礎体力も違いますが)。またこれだけの板を乗りこなせる技術も相当なものだと思う。

 テレマークの板とアルペンの板を単純に比較する事はできないかもしれないが、何だか僕だけ最初からラッセルするつもりの無い板を履いてきたかの様で申し訳なく感じる。
 身体は太いわ、装備はボロイわでは、これじゃあとても山スキーで追いつけないとなる。

 大体僕は山で行動中も、行動食を良く食べる。食べすぎだよと指摘された事も多い。他の皆は何も補給せず行動できるのが不思議にすら思う。
 しかしこれからは心機一転痩せる事を目指し、食べ物を減らし、ぽっちゃり体型を克服し、太い板でがんがん粉雪をスピードに乗って登り滑れる人間となるのだ。と思うだけは思うのだ。

滑りや登りの違いは、板や装備のためではありませんが
2008年02月04日
強運の星の下でスキーをしたい
 昨夜は高速事故の余波による渋滞に巻き込まれ、延々国道19号経由で松本から帰宅したため、家に着いたのは夜10時近かった。もうくたくたという感じで、装備の後片付けをするとさっさと寝てしまう。夕方から病院よりやや不穏な連絡が入り、夜中に呼ばれる可能性もあったが、呼ばれない方に賭けて、デパスを飲み熟睡した。
 山で遊びすぎて、仕事に支障をきたしてはいけない。しっかり疲れを取るのも社会人の務めだ(ただ夜中に仕事が入ると話は別、ある意味これは人権問題でもありますから)。

 お陰で今朝起きたら、まあ体調は良い。昨日から風邪気味でもあったのだが、今は鼻水くらいで大丈夫だ。土日の山スキーの感動の余韻もしっかり残っている。
 今日は朝から既に分娩が2件、更にこれからもう1件ありそうだ、外来に病棟に月初めならでは各種業務も追加される。
 忙しいのは何時もの事だし、なんとか仕事の隙間に山スキーの記録も作りたいが、どうなるだろうか。

 さてさて昨日の山スキーはまさしく働き盛り4人組(中年4人組とも言う)という感じで、いわゆる分別も何もかもわきまえた大人の集団の山スキー行であった(一応は・・)。
 にもかかわらず、登る尾根は間違え、それなりに雪崩の危険の高い地域も通過した。ちとそんな事で大丈夫かなあという気も全く無い訳ではない。

 もしこれで雪崩遭難と言う事にでもなると、下手すると社会面の一面に乗るだろうし、多くの家族も泣くだろう。全員合わせると子供も10人以上、嫁さんも最低4人?いるはずなのだ(推定もちょっと入る)。

 とはいえそんな事はお構い無しで、行動中は皆、驚く程前向き、かつ楽天的だった。
 大体山スキーとか冬山登山はもともと危険を内含しているもので、後先分別ばかり強調しているとどこにも行けない。山スキーや登山が自己責任の前提に成り立っているのは当然だと思う。しかし自己責任だから何でも自由と言う訳でも無いだろう。

 パウダースキーは雪崩の危険を常に背負っている。昨日の様々な場面を思い出せば、確かにそこには経験に基づく慎重な判断が入っていた。また危険を減らすスピードもあった(僕は遅かったですが・・)。
 ただ雪崩は時に予想を超えた時や場所でも起こる。やはり何処かで運を当てにしないといけない面もある。
 その点昨日の山スキーのメンバーは強運の持ち主が揃っていた。
 別に運を当てにした登山をしたと思ってはないが、それでも強運の星の下でこれからもスキーを続けて行きたいのは確かだ。

雪崩の危険のある箇所は間隔をあけて通過した
2008年02月03日
目が点になったり、舌を巻いたり
 土曜日の白鳥山北西尾根は、僕にとっては意外に手強かったが、Hoshiyaさんにとっては意外に簡単だったらしい。
 何時もながらのさすがのパワーに感心する。
 さらに土曜夜は戸隠の別荘地の素敵なログハウスに約30人の山スキーヤーが集まり、情報交換兼懇親会で楽しく過ごす。夜中まで各種アルコールを飲んでいた方が多かったが、僕は日曜の山スキーに備え0時過ぎには目立たない様に寝た。

 というのは、金沢のカリスマ山スキーヤーHayakawa先生、古川のスーパー山スキーヤーHoshiyaさん、さらに岐阜から遠路駆けつけてくれたジェントル山スキーヤーMisao先生(こういうサブネームを勝手に付ける僕は、友達を無くすんじゃないかと心配だ・・・)と4人で、翌日日曜日には乙妻山で山スキーしようと話がまとまっていたからだ。

 なお厳冬期パウダー時期の乙妻山は、決して簡単な山と言えない。かなり上級の健脚コースに入るだろう。
 下手すると僕が大ブレーキとなり、僕以外の3人に大迷惑をかける可能性もある。そうなると後から何を言われたり書かれたり?するかもしれない。口だけ山スキーヤーとしてヘテレマーカーの烙印を押される可能性もある。
 そう思うとこれはまた大変なプレッシャーなのであった。

 さてその心配はいきなり朝から的中して、まず出発時間6時に少し出遅れてしまう。
 しかも目指す尾根を間違えて、一本奥の間違った尾根を登り出してしまった。正しい尾根には前日登ったHorigomeさんパーティーのトレースがあるはずなのだが、その跡形も無い。雪はどんどん降り積もってるし、これはえらいこっちゃかもと思う。

 しかしそこからのラッセルパワーがすごかった。特にHayakawa先生のスピード猛ラッセルには圧倒される。僕は着いて行くだけで精一杯だ。この技術と体力の程度は並大抵じゃないなと、目が点になりました。

 途中雪崩の危険地帯もあったが、そこはつぼ足でクリアし、誤った尾根から難なく?乙妻に登頂し滑降した。
 天気も良くないのに良くやったと思う。ただこの位の悪天は、Hayakawa先生やHoshiyaさんにとっては、大した事なさそうですが・・・。
 
 更に帰りの長野自動車道で事故があり、渋滞に巻き込まれため、昨日高山に帰宅できたのは大分夜遅かった。とりあえず病院は大丈夫だったのでホッとする。疲れたが大充実の特別な週末となった。

 昨日のような天気で、しかも誤ったルートから軽々登り上げるパワーと、滑降技術には正直舌を巻いた。とりあえず僕としては大ブレーキまでにはならなくてまず良かったという感じだ。
 登頂、パウダー、更に温泉と戸隠蕎麦まで味わえ、大いに勉強になる一日でもあった。
 これも特別なメンバーに恵まれていたからに、他ならない。昨日は本当にどうも有難うございました。

赤線登り、青線下り、緑線は予定していた登りの尾根


何でそんなに早く登れるの?と思ったり


粉雪飛び散る大滑降が続いた
2008年02月02日
白鳥山から戸隠へ
 今週末は黒部横断や国内外における各種エキストリームスキーで有名なMiuraさん(三浦雄一郎とは違う方なので念のため)主催による、山スキーヤーの集まりが戸隠である。
 山スキーヤー界(そういうのがもしあれば)では有名な方が何人も集まるらしい。その道のエキスパートとも知り合えるので、以前から僕も楽しみにしていた会だ。

 そこでせっかく長野の奥座敷まで遠征するからには、パウダースキーも道すがらそこかしこで楽しもうと言う欲張りな計画を立てた。そのために代務医にも金から日まで、何とか都合をつけていただく。この際がんばって充実した週末としたい。

 そして土曜日は運良く高曇り無風でパウダースキー絶好の好天となった。ちょうど高山から日本海側を通り戸隠に向かう場合、その中間地点に山スキーで有名?な山白鳥山がある。
 白鳥山は高山からだとちょっと中途半端に遠いので、僕は今までそこで山スキーをした事は無かった。

 そこで土曜日はまず、やはり戸隠まで来てくれる古川のスーパー山スキーヤーHosiyaさんと、白鳥山の麓にある上路の集落午前6時で待ち合わせとした。狙いは白鳥山の北西尾根とする。
 暗い中車が坂道を登れなくなったり、日本海近くで独特な重雪ラッセルに苦労したりしたが、まずは土曜は首尾よく白鳥山で大滑降を楽しんだ。上部は美斜面パウダーで日本海に飛び込む様な超快適スキーだった。

 そしてその後Hoshiyaさんと僕は温泉に入ると、直ぐに戸隠まで直行した。夜はそこのログハウスで山スキーヤの集まりだ。週末の楽しみはまだまだこれからも続くのであった。

白鳥山の地図です。左上にちらりと日本海


海が見えると何故か嬉しい飛騨の人


海に向かっての大滑降でした


夜は飲みながら、情報交換も少し(何時もながら勝手に写真を載せて、すみません)
2008年02月01日
そんなに帝王切開が良いですか
 昨夜も日付が変わるちょっと前くらいに分娩あり、出動対応を要した。やや要注意でもう少し時間がかかるかと思ってた方だが、スムーズに分娩となったのは良かった。時刻的にも寝不足となる時刻では無く助かる。
 今日も様々な良いニュース悪いニュース入りながら仕事していたが、だからどうと言う事は無い。良い事もあれば悪い事もある。世の中そういうものだ。

 さてさて普段仕事をしてて良くある事だが、特に適応が無いのに、分娩は帝王切開でぜひお願いしますと言ってくる方は意外に多い。
 高山のような所でも月に1名くらいはそういう方がいるから、都市部では多分もっと多いのだろう。
 だいたい今の日本での帝王切開率は15〜20%と言われている。帝王切開というのは世界中で最も良く行われている開腹手術であり、確かにごくありふれた手術と言える。
 
 そのため、おそらく帝王切開を希望する妊婦さんは、帝王切開の方が楽で安全だと考えているのだろう。
 実際にブラジルを始めとした南米の国では、自力で産むのはお金の無い人だけで、普通の人は皆帝王切開で分娩すると聞いた事がある。確かにブラジル人の方は帝王切開既往の人がすごく多い。
 コパカバーナのビーチで寝そべる美女も、その多くは数年後分娩の時には帝王切開手術となり、お腹に傷が出来るのだ(こういう想像は品が無さ過ぎですか・・)。

 さてそういう帝王切開を希望する妊婦さんは、なぜ手術分娩を進んで希望するのだろうか。
 それは多分帝王切開の方が安全で痛み少なく楽だと思っているからだろう。

 だが帝王切開は自然分娩より安全だと言う考えは間違いだ。帝王切開の方が危険である。これは統計的に数字で出ている。
 だからほとんど全例手術分娩のブラジルでは、日本より格段に周産期死亡率も母体死亡率も高い。

 痛みについては、確かに初産の陣痛より帝王切開の方が痛み少ない気はする。
 しかし陣痛の痛みは分娩が終わると無くなるが、手術の傷の痛みは分娩後も長期に残る。
 しかも経産の陣痛は比較的楽な事が多いから、経産の陣痛と比べると総じて帝王切開より痛み少なく楽だと思う。
 一度帝王切開をすると次も帝王切開となる確率が高い事を考えると、数人子供を産むのならトータルの痛みも自然分娩の方が少なく楽なんじゃないか。
 しかも忘れてはならない点で、帝王切開は自然分娩より何倍もお金がかかるという事もある。全ての分娩を健保で手術にしていた日には、日本の健康保険は途端に破産し成り立たなくなるだろう。

 確かに分娩は何があるか分からない。突然へその緒が出てきたり、胎盤がはがれたり予想できない事が少なからず起こるのは確かだ。しかしそれでも腹と子宮に深い傷が残るのだし、希望あれば帝王切開にしてあげるという考えには、僕はとても賛同できない。
2008年01月31日
検診業務もしています
 昨夜はちょうどサッカーとハンドボール決勝の時刻に分娩が一件、更に夜中0時に分娩があり、それぞれで出動を要した。
 スポーツ観戦の定番でビールを飲んでいたから、寒い中病院までは歩いて行く。外にはしんしんと雪が降っていた。

 この点僕は今まで何度も、猛吹雪やドカ雪の深夜に緊急出動した経験がある。
 そういう時は除雪が間に合わないので、やはり徒歩で病院まで歩かなければならない。山や仕事での色々な経験があれば、昨日くらいの多少遅い時刻の雪中出動なんてどうって事は無い。

 さてさて話は変わり、僕のいる久美愛病院は比較的検診業務に力を入れているという事を看板にしている。言い方を変えれば、ガンの早期発見に力を入れて地域住民の健康維持に大きく貢献しているとなる。

 それは全く良い事に違いない。これは前院長の肝いりでもあり、僕も毎週たくさんのガン検診業務をしている。ガンは早期発見が何よりも大事だ。僕は自分の経験上もそれを痛感している。
 だから、僕はせっせと毎週100人は子宮ガン検診を行ってきた。毎週100人と言えば年で5000人近い。10年で飛騨地域の全女性(子供を除く)の人口に匹敵する数字だから、これはそれなりに大したものだろう。それなりに飛騨の子宮ガン早期発見に僕は貢献しているのは間違いない。

 しかし僕ほど多くの分娩数を扱っていて、同時にガン検診もたくさんしている産科医は世間にまずほとんどいない。様々な医師の集まりに出て、僕は良くその事を聞かれるし、実情を話すと驚かれる。
 自分の身体や労働環境を考えるのならば、ガン検診か分娩かそのどちらかを辞めた方が良いのではないかという訳だ。

 確かに僕の仕事量は多すぎる。昨日も集団ガン検診の最中に、子宮外妊娠疑いの方の緊急受診があり、ちと困った。
 その外にも各種業務連絡電話もある。以前にはガン検診の最中に分娩後の方が出血多量となり、輸血寸前の状態まで進んでしまった事もある。奇麗事ばかりでは言えない綱渡りの厳しい世界なのだ。

 更に先日お隣の日赤病院では外科で乳がん検診を、医師不足から休止にしたという連絡を受けた。
 日赤病院の外科医の人数は5〜6人だ。一概に比較は出来ないが、何で一人産科医の僕が子宮ガン検診を続けれると言うの?と思ったりもする。

 世間の鬼気迫る?需要がある分娩とガン治療が辞められないのならば、せめてガン検診業務からは撤退せよという理屈は通ると思う(統計上の検討も必要でしょうが)。
 しかしガンは早期発見できなければ終わりだ。そう考えると何の症状も無い人にも片っ端からガン検診を行うと言う事は、大事なガン治療の一環だと考えれなくも無い。
 また子宮ガンというのは、早期発見できれば、治療にかかる手間はぐんと減らす事ができる。そうなれば医師も患者も嬉しい。

 どうするのが一番良いかは分からない。自分の権利と健康のためには、病院の方針を気にする事は無いとも思う。
 しかし僕は自分のガン経験からも、がん治療や検診業務から撤退する気が今ひとつ出てこない。
 身体は動く以上、せっせとガン検診業務も続けるのが正しい生き方だと、内心では思っているのだろう。
2008年01月30日
医療のコンビニ化という言葉は正しいか
 ここのところ深夜に呼び出されることは、ほとんど無く済んでいる。お陰で寝不足も無い。
 寝不足無ければ寝不足日記の題名も名ばかりとなり、看板に偽りありという事にはなる。とはいえ自分の健康にとっては寝不足なく規則正しく暮らせるのが良いに決まっているから、これで良いのだとも思っている。

 さて最近「医療のコンビニ化」という言葉が時々テレビや新聞で時々聞かれる様になってきた。
 大した重病でも無いのに気軽に救急外来を受診する人が多くいるため、ただでさえ少ない医師のマンパワーが益々不足してくる。そういった状況を指しての言葉だろう。なおそんな言葉は数年前には聞いた事が無かった。要するに世間が世の中の医師不足にやっと気づいてきたという訳だ。

 とはいえ産科と並んで医師不足著しいと言われている小児科では、高山において深夜未明の時刻に突然呼び出されたりする事はあまり無いと、若手医師が先日僕に話していた(難産による分娩室からの呼び出しは別)。
 やはり地方のお母さんは都市部と比べて深夜の受診を控える傾向にあるのだろう。深夜族でなければお母さんも子供も夜中は眠いものだ。
 しかし分娩は地方でも都市部でも時刻に関係はない。深夜未明労働の多さは、全国何処でも産科医の宿命なのだ。

 5〜6年前の僕は全く24時間人間コンビニだった。全ての分娩で立ちあっていた関係で、深夜でも何でも3時間に一度は必ずどこかから電話が入る暮らしをずっと続けていたのだ。
 だからその頃の数年間は僕は何時も眠くてボーっとしていた。今から思い出しても、その頃はなにか暗くて何時も眠たいという記憶しか思い出せない。つまり完全な欝状態だったと思う。

 これはだれでも、数時間おきに突然起こされて仕事しなければならないという暮らしを何年も続けたら、同じ状態になると思う。身体を壊す前に精神を病んでしまうのだ。
 だから僕がこの寝不足日記をせっせと続けていられるのは、あの時の数年間の眠たさ辛さがバックボーンにあるのは間違いない。その時の眠くて暗いメンタルトラウマが、今になって反動として日記にぶつけられているのだ。

 さてさてそこでこれではいかんと、今から5年前に僕は3ヶ月間分娩を一切ストップする決断をした。
 それは突然の事でもあったので、各方面から色々な抵抗があった。しかし今でも僕がこういう状況で仕事を続けていられるのは、この時の決断があったからで間違いない。
 それは僕が分娩業務をしないという事で、困る人はたくさん出る。情に訴えられたりもした。
 しかしそれなら僕のような暮らしを一年でもやってから同じ事を言えと、僕は本気でその時全ての抵抗を突っぱねたのでした。

 さてさてそれなりの経緯を経て、その頃と比べて今の方が深夜労働は随分と減った。
 飛騨の患者さんも医師不足を理解してくれる様になって、多少の出血や腹痛なら時間外に受診せず、できるだけ診察時間内にかかってくれる。
 医師のたくさんいる他科からの紹介患者さんも、昔よりは良く待ってくれるようになった。だから僕は時代の流れは順風だと思っている。少しずつでも良くはなっているのだ。

 さてさてとは言いながら、今も急患さんが救急受診してきたという連絡が入った。先ほどから続けて3人目だ。
 やっぱり昔も今もコンビニはコンビニかなあと思う(時刻的には気になりませんが)。
 ただコンビニというよりも、その本質は需要と供給のバランスが完全に崩れている事にある。
 とにかくはちょうど急患さんが多く救急受診する夕方の時刻に、この日記を書くという習慣は、僕にとって良いガス抜きになっている事はまず間違い無いだろう。
2008年01月29日
飛騨は寒いところです
 この土日の山スキーでは土日ともにきっちり登頂して、頂上からパウダー滑降するという完成度の高い山スキーを楽しめた。また厳冬期の登山らしく寒さが印象に残る山スキーでもあった。
 パウダー滑降が好きな山スキーヤーにとって寒さは有難い事だ。寒ければ寒いほど雪がさらさらとなり軽い粉雪滑降が楽しめる。もちろん身体は寒いのは辛いが、現代の優れた防寒具下着やシェルを身に着けていれば、行動中に凍えてしまうほどの事は無い。日帰り登山だから、指先を濡らさない限り、凍傷にもまずあまりならないだろう。

 しかも今回の山スキーは、その登山中でも時々眼下に平湯温泉街が垣間見えるという登山だった。
 あそこまで降りれば暖かい温泉が待っていると思うと、寒さも吹き飛ぶ。
 実際に登山後凍えた身体を温泉で暖めていると、何だか身体の芯から溶けていくような快感だった。こういう楽しみは日帰り山スキーならではの最高レベルの贅沢だろう。
 
 さて昨日月曜日の朝は、晴れた関係で放射冷却が入り更に飛騨は冷え込んだらしい。
 通勤途中の電光気温標識もついにマイナス10度の大台を指していた。
 何でも昨日は荘川の六厩地区でマイナス22,2度を記録し、それは北海道よりも寒く、昨日の全国アメダスの最低気温だったらしい。飛騨は昨日日本一寒い所だったのだ。
 月曜日の午前中まで高山にいてくれた名古屋からの代務の先生はさぞかし寒さで驚いた事だろう。こういう事は滅多に無いので、これで懲りないで欲しいと思ったりする。

 なお荘川の六厩地区には大きな山は無い。とはいえなぜか冷え込むので、雪さえあればこの時さらさらパウダーが楽しめる低山が幾つかある。僅かな隙を見て登りにいけないかと考えたりして・・。

 さてさてその寒い日の昨夜は病棟の新年会が、高山の寿司屋さんで開かれた。
 こういう時は日本酒に限るので、美味しい刺身と日本酒ですっかり良い気分となる。しかし今日も仕事があると思うと夜更かしはできなかった。 2次会ではそれほどは飲まず、健康的にカラオケを楽しむのでした。まあ宴会の最中に分娩呼び出しが無かった事は良かった。

 そして今日は深夜から雪が降り出して、朝起きたらそれなりに積もっていた。低気圧通過により雪が降る日はそれほどは冷え込まないもので、朝の電光気温標識はちょうど0度だった。昨日より今日は10度も暖かい。とにかくこの機会にどんどん雪が積もって欲しい。できれば標高の低い藪山でも雪が積もっていて欲しいのだが、どうだろうか。
2008年01月28日
写真はカラーが良い
 この金から月にかけては、手術が大小含めて5件。一部新ルートを含む山スキーが2つと大充実の数日間となった。これも代務の先生が高山まで来てくれていたお陰で感謝する。夜中に起こされる心配なく夜眠れるという事で、それだけでもかなり大きい。

 さてとは言うものも実は昨日山から帰ってきたあたりから、子供達から移されたインフルエンザの症状が出てきていた。喉も痛いし少し身体もだるい。
 やはり極寒の山スキーはそれなりの負担を身体に与えていたのだろうか?

 気合で風邪を治すほどの基礎体力と免疫力が無い僕は、家庭備蓄のタミフルを内服して早めに寝るしかない。
 タミフルが効いたのか、ワクチンを打っておいたのが良かったのか、とにもかくにも今日の昼には風邪は大分良くなってきた。これは午後の手術で少し緊張したのも良かったのかもしれない。

 なお聞いた話では今年のインフルエンザワクチンはその効果が今一つだったらしい。
 家庭内でも、ただ一人ワクチンを接種していなかった長男のみが、今の所家族の中で唯一インフルエンザに罹ってない。ちと皮肉な話だ。つまりはワクチンのタイプが良くなかったのだろうか。せめて高熱を出した三男を除き、それほど重症化しないのが救いだ。

 さてさて話は変わり、先ほど昨日一昨日の山スキーの記録をUPした。どちらも豪快パウダーを楽しめたが、記録を作って決定的に大きな違いがパートナーの有無であった。
 やはり一人で登った山スキーの記録では、写真がどうしてもつまらない。まるで白黒テレビとカラーテレビくらいの違いがある。もちろんこれは天候の違いもあるだろうが、やはり写真はカラフル色付きが良い。
 冬山は基本的に白黒の世界だ。たまに朝日の赤とか、夕日の黄色とかあるが、タイミングがあわなければどうにもならない。。

 白黒の世界でも素晴らしい写真を撮れるだけの、抜群の写真テクがあれば良いのかも知れないが、コンパクトデジカメでただ撮るだけだから、それは所謂無いものねだりと同じ事なのだろう。単独行のシュプールだけの写真ではやはりちと寂しいなあと今更ながら思ったのでした。

 というわけでまずは白黒単独の大崩山北東部尾根の記録へどうぞ。
 続いてカラー色付のアカンダナ山の記録へもGO 
 
  これ以前の日記は削除しました。