アルビオン王家の朝は早い。
「メシがまずいと思うんだ」
「いきなり何を言っておるのですか、殿下」
柔らかい陽射しに彩られた白の宮殿。
朝食が終わるや否や告げられた、ウェールズのあんまりな言葉に、侍従長バリーは呆気に取られながら尋ね返した。
「だからさ。なんかメシがまずいんだよ、バリーのじいさん」
「はぁ……左様ですか。まあ、好き嫌いをするなとはさすがに言いませんが、今回の朝食はそこまで言われるほどのものではなかったように思いますよ」
「違う! そこからしてまず違うぞバリー! 何と言うかアレだ、味に求めてるものが根本的になんか違うんだよ!!」
曰く、出されるものが、それなりに手間と暇を掛けたものであることはウェールズも認めているらしい。
しかし、もっと根本的な部分で、出される料理が自分の舌と合わないとウェールズは訴える。
「みそがっ! 醤油がっ! 米が喰いてぇー!!」
うがぁーっと目を血走らせながら、太陽に向けて吼えるウェールズ。
バリーはかなりドン引きしながらも、おずおずと申し出る。
「えー……一部仰ってることがわけわかりませんが、一応ライスなら厨房に備えがあるそうですよ」
「よし、でかしたバリー! 昼飯は米! 米食うぞ米!!」
* * *
「…………うーん。微妙だ」
出された米を口の中で咀嚼する。どこかパサパサした舌触り。
炒めたらそこそこ美味しくなりそうだが、ウェールズの望んでいたモチモチした触感とは微妙に異なる。
「何と言うか、さっぱりしすぎてる……」
「まあ、ライスは菜食の一つですので、さっぱりしているのは当然かと」
「くっ……ここでもそんな食文化の違いがっ!?」
ぬかったわとウェールズは苦悩に頭を抱えた。
いや……だが、絶望するにはまだ早い。クールになれ。クールになるんだウェールズ。
そもそも米はあったんだ。なら米を利用することで、麹が作れるはず。しかもここは魔法が存在する世界。
本来必要な醗酵期間を大幅に短縮することすら可能。なら、まずもってやるべきことは一つ。
しばし黙考した後で、ウェールズは決然と顔を上げた。
「……バリー、近衛隊を緊急で招集しろ。隊員が集合するまでの間、私達は一度『実験農場』に行くぞ!」
「お、お待ちくだされ、殿下……!?」
「くっくっくっ……とるにたらぬハルケギニアの食文化よ! 革命してやる……! 革命してやるぞ……っ!!」
「で、殿下がご乱心じゃーっ!?」
* * *
太陽がさんさんと輝く青空の下、無数のゴーレムが忙しなく動いている。
手から生えた無数の犂や鍬で畑を耕すゴーレム。井戸水に繋がった配管越しに水を散布するゴーレム。
「何度見ても思いますが……農地を耕すのにゴーレムを使うのは、さすがにどうかと思いますぞ、殿下」
「そうか? ゴーレムは人間より力があって、疲れない。その上メイジが居れば、いくらでも数用意できるんだ。街の建設みたいな大規模なものだけじゃなくて、こういう日常的な分野でも、使えるものはドンドン使っていかないとな」
「むむ……確かに、そうとも言えますかな……? しかし、貴族が農地を耕す……う、うーむ」
ここは王都の郊外に設置された、ウェールズが保有する農場施設だ。
特徴としては、多数の魔法技術が実験的に導入されている点にある。
錬金を用いた基本的な土壌の改良から始まり、耕作や放水などといった単純作業におけるゴーレムの運用に至るまで、さまざまな側面から新たな農業の可能性を探っていた。
最初はウェールズが趣味で始めた家庭菜園のようなものだったのだが、公共事業の絡みで関係を深めた商会の一部から出資を受けたのを切っ掛けにして、今や実験農場はある種無駄と思えるほどまでにその規模を拡大していた。
ここで確立された技術の大半は、出資を行っている商会を経由して国内に還元されている。
最近新たに広まった農業技術のほとんども、この実験農場で検証されたものだったりする。
アルビオンでは急激な勢いで、単位面積辺りの収穫量向上と、農作業そのものの効率化が進んでいた。
しかし、農家で最低限必要と思われる人手がどんどん少なくなって行くことで、無駄な食い扶持を減らすためと、農家の次男坊や三男坊が家を追い出されるというケースが続出した。
こうした人々のほとんどは定期便を乗り継いで、次々と職を求めて都会へ足を運ぶ。そして、同時期に開校された民兵士官学校への志願者や、官営工場の就業者として採用されていった。
ある程度広い視野をもって、一連の事態の推移を見据えることが可能な者たちは、すべては最初からウェールズ皇太子の思惑のうちかと、その手腕に舌を巻いたという。
なお、以下は、こうした実験農場の副次的な成果を受けた、侍従長とウェールズが交わした会話の一部。
『おお、よもや農業技術の発展がこのような結果に結びつくとは!』
『うん。そだな。良かったな』
『さすがは殿下! ここまでの展開すべて読み切った上の行動だったのですな! じいはもう感服ですぞ!!』
『いや読み切る何も、別にそんな発想はなかったわ』
実際は単なる偶然の結果というオチだったりする。
閑話休題。
そんな勝手知ったる農場である。慌てて後追うバリーを余所に、ウェールズは一人でズンズン先へと進む。
「おっと、ここだここ」
「ふぅふぅ……い、いったいなんですか」
息を切らせながら尋ねるバリーの疑問には答えず、ウェールズはそこで育つものに手を伸ばす。
「うんうん。順調順調。よーく育ってるな」
「それは……大豆ですかな?」
ウェールズが足を止めた区画では、青々とした大豆が実っていた。
じーっともの問いたげな視線がウェールズの背中に注がれる。
「ん……なんだその目は?」
「い、いえ、なぜ大豆なのかなぁと疑問に思っとるだけですぞ」
「ムキー! 言っとくが、大豆バカにすんなよっ!」
芳しくないバリーの反応に、ウェールズはムキになって身振り手振りを交えながら反論する。
「そもそも大豆ってのは栄養価がバカ高い! 含まれてるタンパク質やサボニン・レシチンはコレステロール低下を助けるし動脈硬化の防止や脳卒中の防止にもなるとまさに奇跡の食品と言えるな!」
「たんぱくしつ? れしちん?」
「そんな畑の肉とも称賛される大豆だがそれだけじゃない。さらに蒸して潰した大豆を米から作った麹菌や塩や水と合わせて醗酵促進させりゃあ至高の食材の完成と来たもんだ!!」
力説しながらずいずい顔を寄せるウェールズの剣幕に気押されて、バリーがどんどん後ろに下がる。
「し、至高の食材、ですか?」
「そう、至高の食材だ!」
さらにずいっと顔を寄せて答えた所で、ウェールズはようやく我にかえったのか、何度か咳払いした後で身体を戻す。
「ゴホン。まあ、ともかくアレだ。さっさと収穫して城に戻るぞ」
「はぁ……わかりました。しかし近衛まで招集して、いったい城で何をなさるつもりなのですか?」
「ああ、そいつは簡単だ。つまり、近衛の連中に手伝って貰って───」
こいつを錬金をさせるのさ。
ぎょっと目を見開くバリーに向けて、ウェールズはあっさりとそんなことを告げるのだった。
* * *
再び場所は戻って宮廷へ。
中庭に整列する近衛隊の面々が現れたウェールズに向けて、一斉に敬礼を捧げる。
「御苦労。今回、諸君らに集まって貰ったのは他でもない。諸君らの高度な魔法技術を必要とする非常に難解な案件が発生したからだ」
「殿下、いったいそれは……?」
代表して尋ねる近衛隊隊長に、良い質問だとウェールズはマントを翻しながら背後を指さす。
「ずばり───それはこいつの錬金……っ!!」
ウェールズの杖が指し示した先には、ほかほかと湯気を立てる、蒸して潰された大量の大豆が山となって積まれていた。
「ま、また殿下の食道楽が始まったというのか……!?」
「も、問題だぞ! これは問題だぞっ……!」
「俺らって……! 俺らって、確か近衛だよな!? なぁ? そうだよな!?」
「ハハハ……! 現実は、いつも過酷……!!」
狂乱する近衛隊の面々を前に、ウェールズはわかっているとばかりに頷き返す。
「うん。では、皆に気持ちよく納得して貰った所で、まずは私が見本を錬金して見せよう」
その場の空気をいっそさわやかなまでに無視して、ウェールズは蒸した大豆の一部を取り出すと、米から作った麹と塩水を加えた樽に入れて、杖の切っ先を向けた。
死んだ魚のような目になって見守る一同を前に、ウェールズは深く重心を落としながら、精神を研ぎ澄ませていく。
(みその醗酵過程は複雑だ。しかしそこは究極の反則技たる魔法! 数日食事を抜いたメイジですら無機物から上手い肉を錬金できたんだ。この数年間に及ぶ日本食への渇望すべてを……っ! いま、ここに込める……っ!!)
麹菌の働きを促進させるイメージ。かもすぞー。たんぱく質をアミノ酸やペプチドに変化。かもすぞー。でんぷん質を糖化させてブドウ糖。かもすぞー。さらにアルコールや有機酸へ。
かーもーすーぞー!
「大豆から『みそ』を錬金……っ!!」
ウェールズが詠唱を終えると同時、その場を眩いばかりの閃光が貫いた。
『おおぉぉおぉぉおおおお!?』
ウェールズの抱く食への渇望が系統魔法と結びつき、ハルケギニアに和の世界が降臨する!
「ふぉー! こ、これが殿下の仰っていた至高の食材──『みそ』なのですか!?」
「ああ。そうだ。こいつが『みそ』だっ!!」
ウェールズの雰囲気に飲まれてか、かなり興奮した様子で、バリーを筆頭に近衛隊の面々が次々と錬金された大豆に顔を寄せる。もうなんかみんなヤケッパチだった。
「ふむふむ。これは錬金で醗酵を促進させたということですかな?」
「そうだ。細かく言えば色々あるが、ようは大豆を醗酵させたもんが『みそ』だからな」
質問に応えた後で、ウェールズは一瞬黙り込む。
「あー……バリー。ちょっと味を見てくれないか?」
「む、味見ですか? わかりましたぞ」
錬金された『みそ』に、どれどれと指をさして、バリーが一口嘗める。
「ゥンまぁ〜〜いっ!! この味わあぁ〜〜舌にピリリと絡みつくような塩味が最高ですぞ!!」
「ふむ……ちなみに、バリー。急に目眩がするとか、動悸、息切れ、頭痛や腹痛といった、変な自覚症状が出てくるような気配はあるか?」
「は? いえ、何ともありませんが」
「良し、成功! では安全を確認したところで、皆も味を確認してくれ」
「わしってもしや毒味役!?」
ようやく自分が果たした役目に気付いてバリーが叫ぶも、それをあっさり無視してウェールズは近衛隊に向き直る。
「味を確認できたか? 良し、では続いて味のイメージを掴んだ者から、精神を集中しろ! 今日中に商会へサンプルとして運び込む分の錬金を終えるぞ! 杖構え、対象大豆、錬金用意!」
『錬金用意、アイ・サー!!』
王軍の精鋭たる近衛の騎士達が一斉に杖を構え、山と積み上げられた大豆に向き直る。
「覚悟を決めろ! 錬金発動!!」
『錬金発動、アイ・サー!!』
号令と同時、一糸乱れぬ呼吸で詠唱は放たれた。
近衛になってまで、いったい俺ら何やってんだろうな? そんな疑問は、決して抱いてはいけない。
次々と放たれる錬金の光が、中庭をどこか物哀しく染め上げて行った。
こうして、宮廷で錬金された『みそ』をサンプルに、ウェールズと協力関係にある商会が多数参加して、『みそ』の成分と醗酵過程を分析。ウェールズの提供した麹と合わせて思考錯誤を繰り返し、ついに錬金に依らない『みそ』の製造方法が確立された。
ウェールズの考案した『みそ』は、大豆を原料にした手軽な醗酵食品として、アルビオンのみならず、ハルケギニア全土に広がり、後世に至るまで親しまれることになる。
図らずも『みそ』の発祥地として知られることになったアルビオン産の大豆は、市場において高値で取引され、貴重な輸出品目の一つとしてアルビオン王家の財政を長く潤わせたそうな。
なお、色々問題あった国内をウェールズがどうにかまとめあげた年。東方から交渉に訪れたエルフの使者が、まずもって『みそ』の取引を第一に望んできたりして、アルビオン政府の面々をぎょっとさせることになるのだが、
それはまた、別のお話。
- 2007/07/18(水) 00:01:02|
- ジャンク作品
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はじめまして。
アルビオン王国興亡期、一気に読ませていただきました。とてもおもしろかったです。
こういう、現代知識で政治闘争や経済介入をするお話は大好きです。
麹と大豆をすでに用意できてるってことは、
豆腐、日本酒、醤油などの和食に必須の食材や調味料も作成可能ですね。
練金があれば、ウェールズがまずフィーリングでサンプルを作って、
それから過程解析は専門家に丸投げできるってのは実においしい。
確かに、これなら詳しい製法を知らなくてもなんとかなりますね。
壊れ気味の近衛の皆さんには気の毒ですが、この先何度も同じことが繰り返されそうw
本編ではいよいよレコン・キスタが策動し始めたようで、
この先ウェールズがどう対応するか、非常に楽しみです。
楽しみにさせていただきますので、どうかがんばってください。
- 2008/02/27(水) 17:04:15 |
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- トヅ #mQop/nM.
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