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3月2日は、「遠山の金さんの日」です。
1840年に、遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)が江戸北町奉行に任命さ
れました。江戸には北町奉行所と南町奉行所があって、1ヶ月毎の交替で
勤務にあたっていました。江戸町奉行とは、現在の警視庁長官と都知事
と東京地裁長官の全て兼任している存在で、その権力は絶大です。

3月2日は、「遠山の金さんの日」以外にも以下などの記念日です。
・松本智津夫(麻原彰晃)誕生日(オウム真理教教祖)(1955年)
・北海道庁爆破事件(1976年)
・チャップリンの遺体が盗難された日(1978年)

上記2番目の「北海道庁爆破事件」について少し説明します。
1976年、札幌市中央区の北海道庁本庁舎1階ロビー西側にあるエレベータ
ーの近くで、時限式消火器爆弾が爆発しました。2人が死亡、95人が重軽
傷を負うという被害が出ました。

地下鉄大通駅のコインロッカーから「東アジア反日武装戦線」を名乗る
犯行声明文が見つかり、道庁がアイヌ侵略の拠点であるとの理由から犯
行に及んだとされています。この実行犯であるとされている大森勝久は
殺人等の罪に問われて死刑が確定しています。

この記念日にちなみまして・・・
「死刑に関する裏知識」を紹介します。
各関係業者向けに犯罪防止対策、並びに手口の警告としてお知らせします。

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未成年者は死刑にならないのか
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ちまたでは、「未成年者は死刑にならない」と信じている若者も多い様
ですが、少年法第4章第51条によると、18歳、19歳の未成年者を死刑にす
ることは、以下の通り、可能です。

  国内法における最低法定年齢
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/0111/11a_016.html

  罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断
  すべきときは、無期刑を科する。
  罪を犯すとき18歳に満たない者に対しては、無期刑をもって処
  断すべきときであっても、有期の懲役又は禁錮を科することが
  できる。この場合において、その刑は、10年以上15年以下にお
  いて言い渡す。

死刑の最低年齢は、犯行時18歳以上だと定められています。
ちなみに、無期刑の最低年齢は、法律に特段の定めがないので、刑事責
任能力を問うことのできる犯行時14歳以上です。
2000年11月に成立した少年法等の一部を改正する法律で、無期刑を科す
か有期刑を科すかを、裁判所が選択出来る事とされました。

実際に、戦後死刑確定を受けた少年犯罪者は7人います。内、6人は既に
死刑が執行され、処刑されています。

  氏名      事件名                犯行年齢  死刑執行日
  片桐操    少年ライフル魔事件    (18歳)  1947年 7月21日
  古川高志  矢野村強盗殺人事件    (19歳)  1953年 3月20日(※)
  坂本登    福岡強盗殺人事件      (19歳)  1953年 3年27日
  黒岩恒雄  正寿ちゃん誘拐殺人事件(19歳)  1979年10月**日
  小島忠夫  釧路薬局一家殺人事件  (19歳)  1993年11月26日
  永山則夫  連続射殺魔事件        (19歳)  1997年 8月 1日
  関光彦    市川一家4人殺害事件   (19歳)  未執行



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兄の身がわりに処刑台に立った弟:死刑囚列伝
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古川高志 死刑囚[矢野村強盗殺人事件]

【経緯】
1947年5月23日、兵庫県赤穂郡矢野村の農家に古川兄弟が強盗目的で古い
斧を持って侵入しました。兄が歩いたら床がきしんで音がした為、就寝
中だった農家夫婦の妻が起きてきて叫び声を上げました。兄は咄嗟に斧
で殴り殺しました。騒ぎで起きてきた当家の主人も同様に斧で殴殺。
兄は、弟(古川高志)に「斧を捨てて来い。」と言って斧を渡し、弟は
同家便所に斧を捨てて、再び部屋に戻ります。そして、兄弟は衣類57点
を奪って逃走しました。
やがて、聞き込みから古川兄弟が捜査線上に浮上し逮捕されます。

【身代わり】
古川兄弟は、相生警察の取り調べに対して犯行を素直に認めましたが、
「主犯は弟で、兄は高志の指示に従っただけ」という供述を基に検察側
が起訴をしたことが後々まで問題となります。
一審神戸地裁姫路支部は、弟に死刑、兄に無期懲役の判決を言い渡しま
した。従犯として無期懲役を受けた兄はそのまま服役します。

【真実】
その後、古川高志の姉が大阪拘置所の教戒師を訪ねてきます。そして、
「弟の高志は、以前に窃盗で前科があり、しかも体も弱く妻帯者である
兄を庇って、自分が罪を背負う気になったのではないかと思います。」
と告白しました。
これに驚いた教戒師は早速、高志に面会して事の真相を問いただしまし
た。すると、高志は逮捕された相生警察署の向かい合わせの留置場で、
怯える兄に「俺が罪を全て負うから大丈夫だよ」と約束したことを白状
しました。

控訴審では、証人として兄が呼び出されました。裁判官に真実を問い詰
められた兄は、弟の視線を避ける様に顔を背けて「やったのは弟です。」
と小さい声で証言しました。これにより、1948年7月、大阪高裁は、弟 
古川高志の控訴を棄却。
1951年2月2日最高裁は上告棄却で古川高志の死刑が確定し、1953年3月20
日大阪拘置所で死刑が執行されました。

兄は、服役中、神戸刑務所で同房者に、「殺したのは俺だ。俺はなんと
卑怯な兄だろう。」と何度も何度も嘆き続け、後に「自分が主犯である」
と認める手紙を残しました。



2007/02/25 更新



        

激裏クリニック@アングラ六法全書 2007/10/15発売



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